第110話 『背神者と棄教者』
黒神波動上昇会——通称『黒神会』。不埒にも十字架の意匠さえそのままにして他宗教の教会を継いだことからもわかるように、その団体は常道から大きく逸脱していた。
元来は『
そして二十七年前、教祖の女ともどもアンゴルモアに身を捧げ、全員が死亡したとされている。
「だが、アンゴルモアを崇めているだけあり、奴らへの調査は中々のものだ。ハウンド、ニジフク、そしてクイーンの三種が存在し、空に開く
「トンデモ生命体ってことですね。まっ、慣れたものですよぉ——とは言っても、ベルちゃんはまだ
「ふむ。早くからミンクツの民家で居候していたのを鑑みるに、ベルチャーナ君はミンクツの近くに飛ばされたのか。幸運だな」
「そういうレツェリ元司教は? 見たことあるんですか、アンゴルモア」
話に交ざりたかったのか、ベルチャーナの問いに答えたのは、月も昇り切る時刻だというのにちっとも眠くなさそうなアマネだった。
「おじさん、すごかったんだよ! あのね、ミンクツの外でわたしがゴミ拾いをしてたら、おじさんがアンゴルモアを真っ二つにして……! 方舟のクラウンスレイヤーさんみたいだった!」
「へえ……アマネちゃんとはそこで会ったんだぁ。どうやら自慢のギフトは通用するみたいですね、レツェリおじさん?」
「私はおじさんではない。その呼び方をやめろ」
「元レツェリ司教」
「そのよくわからんのもやめろ」
あまりからかうと殺されるので、ベルチャーナはやめておいた。
ベルチャーナもレツェリ個人に対し詳しいわけではないが、
なにせ英雄ハブリが命を賭して聖封印を施した原初のイモータル、ヴェートラルの復活は当時葬送協会も頭を悩ませていた脅威だった。だからこそ、葬送協会のエクソシストたちによる葬送ではなく、本当の意味でイモータルを殺しきることのできる、不死殺しのイドラに白羽の矢が立ったのだ。
レツェリがイモータルを殺せるのなら、わざわざイドラを頼る必要もない。あの作戦にイドラを頼った時点で、法外な力を持つレツェリのギフトとて、不死の怪物には通用しないという証拠だ。
だが——アンゴルモアは問題なく殺せるらしい。
ならばこの世界に、レツェリにとっての脅威は存在するのだろうか?
ベルチャーナは軽く考えてみたが、見つけられなかった。
「話を戻すが……ここに残っていた資料には、ほかにもなぜか方舟に関するものもあってな。アンゴルモアと
レツェリは言いながら、講壇の上に置きっぱなしだった一枚のファイルを手に取る。その名簿の中には、当時の黒神会の信徒の名が羅列されている。
どうやらレツェリは、そこに書かれた人物を探してミンクツを彷徨う中で、ベルチャーナの居場所も知ったようだ。
そしてベルチャーナもそれに思い至ると、レツェリがごく自然に、教会に残された資料や名簿の文字を解読できていることに気が付いた。
「……読めるんですか? ここの文字」
「ある程度は覚えた。知らない単語、読めない漢字はまだ多いが、文の意味を推し量ることは可能だ」
「そーですか。司教なら、方舟の配給でもたつくこともなさそうですね」
「元司教だ。それで、名簿にあった者はほぼほぼ行方不明だが、唯一トビニシマルオという男の所在がつかめたのでな。奴も街はずれに住んでいて、ここからなら遠くない。今から向かう」
「なにもこんな夜中でなくとも……」
「昼間は外出しているかもしれん。二度手間を取らされるのは面倒だ」
自分本位、という感想は口に出さないでおく。
錠がなくとも、ベルチャーナはレツェリの監視役だ。レツェリが向かうというのなら、同道せねばならないだろう。
長椅子の上にファイルを放り、外へ向かおうとするレツェリ。ベルチャーナもそれに続き——さらに、当然のようにアマネもついてきた。
「……アマネちゃんは、お留守番してた方がいいんじゃないかな」
「ええーっ? のけ者は嫌だよお」
「でも、こんな時間だし」
ベルチャーナは助けを求めるように、レツェリの方をちらと見る。
「邪魔さえしないなら、ついてこようとも構わん。だがはぐれれば探さんぞ」
「うんっ、ちゃんとついてく!」
元気よく答えるアマネ。ベルチャーナは、そういえばレツェリはこういう男だった、と肩を落とした。
アマネがどうなろうと、この男は眉をしかめさえしないだろう。他者のことなどどうでもいいのだ。
(……わたしが守んないとね)
ベルチャーナにも、アマネの天涯孤独な境遇はなんとなく察せられる。だからといってレツェリのような冷血漢についていかなくとも、とは思うが。
「では、行くぞ」
迷いない足取りで、レツェリは夜を先導する。
たどり着いたのは教会と同じく、人里離れたミンクツの端。アンゴルモアが迷い込まないとも言いきれない、住むところを追われた者や、居場所のない者が流れつく土地。
その片隅に、隠れるように立てられた掘っ建て小屋があった。
廃材をかき集めて無理やり家の形にしたみたいなもので、雨風を受け止めればそのまま壊れてしまいそうなそれは事実何度か壊れてしまっているらしく、上から何度も補修を重ねた形跡がいくつも見られる。
「この辺り、わたしも来たことあるよっ。こっそり街から物を捨てにくる人たちがいて、そういう人たちのゴミからまだ使えるものを探してたの。まあ、怖い人に怒られて、中々近づけなくなっちゃったけど……」
「縄張りがある、ってことかぁ。アマネちゃん、そのとき大丈夫だったの?」
「うんっ、逃げ足には自信あるから! へーきだよっ」
「そっか。けど、あんまり危ないことしちゃだめだよぉ」
夜闇ではぐれぬよう、ベルチャーナはアマネと手をつないでいる。体温を伝える小さな手は、そのか弱さを表すようだった。
レツェリは会話に交じることも、粗末な家に反応を示すこともせず、ただ無遠慮に無骨な木のドアに近づいた。彼はノックを知らない野蛮人ではなかったが、礼儀を示す必要はないと判断したらしく、躊躇なくドアの取っ手をつかむ。
しかし、内側から施錠されており、ドアは開かない。粗末な造りでも、セキュリティだけは怠れないらしい。
「……起動しろ」
その左目が怪しく光る。
ドアが開いた。
「——えっ。レツェリ司教、今もしかして鍵壊しました?」
「元司教だ」
「質問に答えてくれません?」
無遠慮にも部屋の中へ踏み込むレツェリ。
ベルチャーナは迷ったが、アマネとともに後に続いた。
中は、外見通りといった感じで、一本の太い柱と何本かの細い梁で支えられた空間に、手製か拾い物と思しきいくつかの家具があるだけの狭苦しい部屋だった。
そして、その部屋の片隅の、ボロボロになったぺちゃんこの布——敷き布団のつもりらしい——の上に身を横たえていた男が、物音に反応して目を覚ましたのか、むくりと体を起こした。
「……あなたは?」
男は三十路も半ばを過ぎたであろうかと思しき人相で、痩せているのに、腹部だけがぽっこりとシャツの生地を押し上げている。
「黒神会、トビニシマルオだな。いくつか質問に答えてもらう」
レツェリは
その様子に、男——トビニシは目を丸くする。
だが、すぐ、諦めたような笑みをこぼし、うなだれた。
「黒神会。黒神会……。ああ、懐かしい名だ。なるほど、あなたは過去の清算に来た取り立て人というわけだ」
「なに?」
「あの事件について訊きたいんでしょう? なんだって話しますよ。どうせ……もう全部、終わったことなんだ。二十七年も前のことを掘り起こしたって、どうにもなりませんよ」
「……黒神会自体の情報にも興味はあるが、私の主な関心はアンゴルモアと方舟だ」
「え?」
そこでトビニシは顔を上げ、改めて眼前の来訪者を見た。
レツェリと、その後ろにいるベルチャーナとアマネ。
三者の顔をまじまじと見つめ、それから困惑したように瞬きする。
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