第二百十七話 語らぬ墓守


 この街の海岸には、巨大な鯨骨げいこつを立てた『鯨塚くじらづか』という墓があるそうな。私は車窓から、海蝕崖かいしょくがいの草原を潮風が撫で上げていく毛並みと、眼下の荒波に突っ立つ岩礁がんしょうの対比を眺めていた。都峨路つがろから聞いた、竜口家が在るという場所は曖昧だからこそ、目立つ景勝地の周辺から探るしかないだろう。

 

 私と双子を竜宮城へと導くドライバーは、亀ではなく 兎川うかわ らんだ。爽快な空が過ぎ去るルームミラーに映り込んだのは、ヘタった兎耳のような二本の浮き毛。赤縁眼鏡の彼女は、ハンドルへ無気力にしがみいている。

 

「アタシったら、衝動的に妖力を解放して大人げなかったですね……。美峰みねサンにも、千里サンにも申し訳ない事をしました。竜口家へ千里サンを絶賛誘拐中だし、バレたら社長にられちまいマスっ! 」


「煉さん反省中だから、黒曜には私が言い訳しとくよ 。今も、私の我儘に付き合ってもらっているし」

 

「アタシの真の上司……社長令嬢が降臨されました! 雛の我儘には、つよつよ社長も適わないことでしょう! 」

 

 栗梅色の浮き毛が元気にハネて、私は安心してしまう。美峰と煉の間には『宮本家』という峡谷があるだけで、本心は対立を望んでいないんだと知り得たから。


「ねぇ、あれが『鯨塚』じゃない? 」


 助手席から海を食い入るように眺めていた紅音あかねの一言で、私達も眼下を確認する。断崖絶壁の山が波浪に浸蝕された洞窟の向こうに、一基。三枚羽根プロペラに似た背骨をテトラポッドのように積んだ道の先に、一対の巨大な顎骨がっこつが祀られている。弓形の骨が向かい合って聳え、白い鳥居のようだ。但し、周囲の岩場が削られて陸の孤島と化しているが。私の隣で、翠音みお翡翠ネフライトの猫目を研いだ。


「やはり海蝕洞かいしょくどうを通らないと行けないようですね。道程にヒントがあれば良いのですが……ん? 今、鯨塚に誰か居ませんでしたか? 」


 確かに、人に似た白い布が翻ったような。畑でもないのに、案山子カカシ……な訳がないか。ギラリと牙を見せて嗤った紅音が、未確認生物へと指差す! 


「地元の釣り人ならば、聞き込みに丁度いいわ! 煉、今こそ兎の爆進を見せなさい! 」

  

「少々荒くても、ニャーニャー泣かないでくださいね!? 」


 煉は意地悪く嗤い、ハンドルを切って応えた! 襲い来る急カーブで、頭をぶつけた私と翠音は星を散らして目を回す! 安全運転の亀に乗れた、浦島太郎が羨ましいな。

 

「上から見るより、足場が荒いわね」


 赤い車から降りた私達は、紅音を先頭に波打ち際を辿る。海蝕洞へ引いていくさざなみが、私達を神秘的に招くのだ。眉寄せた紅音が、跳躍の度に孔雀の尾羽を扇がせ、器用に岩道を渡って行った。幸い、洞窟内の潮位は浅いようだ。荒い石段を横倒したような道に潮が寄せるくらいで、庭の飛び石へ跳ねるように進める。私も次の岩へと着地した時、ふところのスマホから振動が伝わった。ある予感に、鼓動が熱く波打つ。


『答えなくてもいい。俺が帰って来るのを待っていてくれたように、千里が無事に帰って来るのを待ってるから』


 智太郎からの祈るようなメッセージに、私は照らされた。会いたいのに逃げたくて、血道は引き裂かれそうになる! 衝動の乱気流が、腹底で唸りを上げていた。私は智太郎の為にも、竜口家に辿り着かなくてはいけない。秘匿を明かす時には、咲雪と智太郎が再会出来るようになればいいんだ。私が暖かい端末を懐へ抱いた時、先を往く紅音が立ち止まった。


「釣り人……には見えないわね」


 海蝕洞の向こうから、潮風が吹き荒ぶ。鯨骨の白鳥居と後光を背に、門番の如く立つ男在り。乳青色に透ける紐で襷掛けをした、白い括り袴姿の男だ。乳青色の術式が綴られた、長い白面布を被っていて顏は分からない。生者が死装束を纏うように、空疎くうそな存在に思えた。しかし、彼が構えた長槍の両端には笹型の両刃が輝く。が、私の翼耳を浸蝕して肌がビリビリする。

 

「紅音と翠音……猫の双子もご登場か。君達のような使者が、咲雪さゆきを隠世へ連れ帰るのを……かつての俺は恐れていたんだ」  


 何故、私達の名を知っているのか!? 私が開眼した瞬間、男は地を蹴った! 波飛沫を、紅い旋風と刃風が切り裂く! 男が構える槍の柄を蹴り弾いた紅音が、蜻蛉トンボ返りにて煌々と笑う!


「私達を待っていたかのように、熱烈な歓迎ね! 狭い洞窟で長槍なんて足枷ハンデでしょ、来客を馬鹿にしてるの? 」


「君達へのもてなしは言霊を持たず、が語る潮風なんでね」


 男は手馴れたように長槍をさせ、洞窟幅を瞬時に掌握する! 短槍が岩壁ギリギリに火花を散らし、顔を顰めた紅音に迫るのだ! ! 伴う風鳴りが、わたし達の脳髄を揺らしている! 音の術式に屈する前に、私は男へ紫電を放つ! 後退した男は穂先を戻したが、紫電は髪筋へ掠めたのみ! 駄目だ……下手に紫電を扱えば、水辺の足元から仲間に感電してしまう。翠音と共に足元をなぎ払われそうになり、私達は長槍を避ける! 紫電の翼を広げ、私はに止まった。蝙蝠を演じさせられ、苛立ちに叫ぶ!


「貴方が竜口家の門番だと言うのなら、攻撃を止めて! 私は招待状を持っているの! 」


 男が私へ振り返れば、逆さまの袖に忍ばせた絹布けんぷの朱印がかがやきで応えた。

 

「残念ながら。君以外は、ここを通す訳にはいかない。俺を浸蝕する当主からのめいなんだ 」


 猛火の玉兎が、生意気に笑った。掌が弄ぶつぶては、刹那のくうに浮かぶ。


「妖の意識を麻痺させる音の術式に、変幻自在の長得物……アナタが生を受けた家門が分かってきたっス! アナタは『十五年前の蝶狩りで』と、尾白家当主からアタシは聞いていたんですがね! 全く親不孝者です! 」

 

 咆哮した煉が、白焔に燃える礫を次々に蹴り放った! 私は過ぎる白焔の中を舞い降りながら、『元来の過去』で死んでいた男を思い出す。私が【過去夢】で塗り変えた現代いまは、彼を密かに蘇らせていたのか! 幼い私が操った『白虎の形代』は金の瞳を瞬き、緋寒桜の峡谷へ墜ちる彼を救い出したのだから。

 

 彼は現代いまに駆ける。槍を旋回して弾くも、白焔の礫は天井をも狙っていた! 衝撃波と落石が白面布を捲り、彼の頬を切る! が、あか伝ったはずの傷は。傷口を掌握する『シン』の術式が生んだ、不死身の戦士か!


「俺は……雪解け水の泡になった白昼夢を視続ける亡霊だ。雛鳥の君が咲雪の祈りに気づけば、仲間の運命は変わるんじゃないか?」


 柳煤竹やなぎすすたけ色の、柔い髪筋が靡く。咲雪の墓守である彼は、私へ微笑んでいた。カササギの翼のように緩やかな二重の鵲眼しゃくがんは、蒼黒の瞳を露わにする。

 

「やはり貴方は、尾白おじろ わたるだったのね。分からない……仲間の運命を私が握っていると? 咲雪は何を祈っているの? 」


 智太郎の父親でもある渉は、『浸』の術式の傀儡と化していた。だが饒舌に敵意を語る身体とは相反し、語らぬ意思を垣間見せた気がする――『浸』の術式のせいで、告げられないナニカを私に伝えようとしているの? 唸りが形に成らないまま、私は岩影から誰かにぐっと手を引かれて片膝をつく。吹き出した影が、墓守を睨む翠音の姿を成した。煌々と、翠眼が輝く。

 

「千里に言わねばならない事があります。私は貴方と共に、咲雪の元へ往く事は出来ません」


「どうしてなの、翠音……」

 

 驚愕した私の前で、翠音は孔雀の尾羽を広げて立ち上がる。影纏わせる掌を、疾走する渉へと向けた!


「私は、『隠世』の家族を見捨てた咲雪を許すことが出来ないのです。紅音は命懸けで炎陽様の【魅了】から守ったのに、咲雪は血濡れた足跡ばかりを残して『人の世』へ去ったのだから。それでも……私の妹に、千里が哀悼を捧げてくれるのなら託したい」


 波飛沫を上げた影茨が、渉を捕らえた! 静止した槍には小さな孔が並んでおり、白鳥居にも同じ孔が見えた気がした。鯨骨の頤孔オトガイコウは、音波を鯨の耳に取り入れる。あの白槍は、音の術式を呼吸する縦笛か! 渉は自らを捕らえる影茨に動じない……私は不気味な静寂に翼耳を伏せた。孔を封じたはずの影が、劈く高音で噴出されてしまう!


「翠音、聞いては駄目! 」


 私の叫びすら掻き消す! 琥珀色の猫耳を伏せれず、翠音は高音をもろに浴びた。見開かれた翡翠ネフライトの瞳が、ふっと翳り……身体が傾ぐ。抱き留めたのは、紅音だ。意識を失った翠音の瞼を閉ざすと、煉へと託した。


「全く……意地っ張りで、可愛い妹なんだから! 咲雪を許せないくらいに、私が大好きだって面と向かって言えばいいのに! 『天邪鬼の仇討ち』らしく、愛憎を反転していきましょうか」


 息を吸い込んだ紅音は、【空隙華歌くうげきはなうた】を歌う。

 

  

『 龍額へ、血赤珊瑚を連ねよ。

  静寂の宵宮祭で、灯篭を流した海へ往こう。

  尾鰭が溶ける泡沫が、私の血中を昂らす。

  鰭耳を釣針で貫く、熱き和の調べを   』


 

「『浸』の術式で聞いてるんでしょ、竜口家当主! 私達を直接出迎えなさい! 私は幼い頃から、人魚姫に恋焦がれ続けてきたの! 春の隠世から解放されたこの想いに貴方が応えてくれなきゃ、片想いになるじゃない! 」


 紅音が払った長髪が波打ち、傲慢に広がった。梯姑デイゴの花が顕現し、海蝕洞に嵐を呼ぶ! 浮かぶ枯れ枝に、紅緋べにひの刃が穂を成して咲き乱れる。先端に金泥を塗すしべは、水引の花火だ。

 

「刃の花嵐で翔けるわよ、千里! 出口へ紫電を放てば、上出来な脅しでしょ? 」


「それで行こう。真っ直ぐな私達を邪魔すれば、串刺し感電死が免れない」

 

 紅緋の刃の群れへ乗った私達は、火矢ひやの如く突き進む! 蒼黒の瞳を見開いた渉も、すれ違う紫電一閃を止められない! 波荒らす弦の軌跡になるのは、琴の竜頭を目指すようだった。私達が爽快に笑えば、闇が明ける。紅音と私は白鳥居へ降り立ち、海蝕洞へ振り返った。渉は呆れを通り越し、少年のように肩を揺らして呵っていた。

  

「千里の穏やかな顔立ちは秋陽あきひさんに似ていると思っていたが、真っ直ぐな覇気には翔星かいせいも勝てないな! 」 


 渉は弾けた溌剌さを、ふいに妖しい唇で閉ざした。その向こう……気を失った翠音を抱き、煉が焦ったように何かを叫んでいる。砕けた荒波で上手く聞こえない……『逃げてください、二人共』!?

 

「俺達は、竜宮城での君の選択を信じている。智太郎を頼んだ、千里」


 紅音と私の背後から、巨大な影が迫る。すっと怖気に凍え、私達は振り返った。白鳥居が、。鯨の顎骨に大口で呑まれる暗転……『浸』の術式が、透明な向こう側に波紋していた。


  

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