第二百十二話 月星日を尊ぶ隠世
私は憧れた電線上を歩み、
電柱だけが奇妙に生える海は、生き物が死滅した世界みたい……。望洋と着地した瞬間、自分自身が小さくなってしまうような恐怖が襲う。夜の狩りに向かう智太郎達を「いってらっしゃい」と、無理矢理整えた笑顔で見送ったはずなのに……私はどうして孤独な夢の中に居るの? 智太郎が去り際に返したのは、
起きれない夢なんて、暑苦しい金縛りと同じだ。
「やっと、軽くなった貴方を夢で見つけた」
自暴自棄に進んだ最後……沈みゆく電柱に止まる、幼い少女が居た。白菫色のボブに、高めの小さなツインテール。
「
沙亞耶は振り向いたのに。モニターがバグったようなRGBの引っ掻き傷で、表情は掻き消され、足元から顔を上げられなくなった。彼女の白いバレエシューズが、幽霊のように透けている。
「桂花宮 千里。貴方じゃなきゃ、駄目らしい。『私』は泣き虫なのに、意地っ張りで。早く約束を果たしてくれないか? 『自分』には……話そうとしないから」
他人事みたいに自分を語る割には、柔らかい哀の声だな。
「『太陽』と『妖精』を救済に進めよ。道が分からないなら、迎えに行く。幾重にも渦巻く再会の為に」
両手を水平に広げた少女が、血潮の海へと墜ちていく。
朝陽は優しく差していたのに……静かすぎる。ざわつく胸騒ぎのままに早支度をして一階へ降りたが、智太郎達が居ない。
「嘘つき……夜明けには戻るって、言ってたくせに。心配かけてるのは、そっちじゃない」
消えた優しい朝を思うと、呼吸が辛くなった。散々、嘘を塗り重ねてきて、責められた義理じゃないくせに。夢に
私は、あの続きを知らない……!
膝から崩れ落ち、椅子に縋る事すら叶わず。
「おはようございます、千里」
ドアを開けば……鼻筋がすっと通る端正な顔立ちをした、白皙肌の青年が振り向く。
「なんで、
繊細な睫毛を瞬き、黎映は柔和に微笑んだ。切り揃えられた前髪は眉を隠し、切れ長の双眸を強調する。白く光を失った左眼より、
「貴方の待ち人から伝言です。今は戻れない、そうですよ。理由は言いたくない、だなんて……酷いですね」
「智太郎は無事、なのね」
苦く微笑む黎映が頷けば、夢で感じた不安が少し軽くなった。だけど、何故智太郎はこんな伝言を残して約束を破ったのか……
「智太郎が戻れない理由を、
睫毛を伏せた黎映は、薄い唇を閉ざして首を横に振る。伝言を盾に、私へ明かす気は無いらしい。
「私が鴉に呼ばれた理由なら……二つの内、一つだけ先に明かします。自分勝手な寂寞で【未来四感】が発動してしまう前に、千里に会いに来たのです。貴方の可能性を、もう奪いたくないから。今日一日だけ……私に頂けるなら、貴方の『太陽』の元へ案内しましょう」
手を伸ばす黎映の
「良かった。千里の内を荒らす嵐の痛みを、首の呪痕で感じていましたから。……私の血潮なら、貴方の飢えを満たしてあげられます。形無い生力では限界があるでしょう? 」
手ごと引き寄せられ、
「無理なんてしてないから、要らない」
「貴方が、自分の声に気づく事を願っております。せっかくだから、今日は私達の隠世にご招待したいのです。私達が安寧の地を得られたのは、千里のおかげですから」
純粋な微笑みに惑うが……私の右手は黎映に綱引かれたままだ。外へ連れ出されると、銀の車に寄り掛かる男が居た。縦皺の麻が特徴的な
私達に気づいた彼が、
『大蛇』との後天的半妖である
「あり、がと……? 」
私達は一度殺し合った仲なのに、私を下手くそに懐柔しようとしているのかな? 彼らの『隠世
「兄さんは、千里を妹みたいに思っているんですよ。私が小さい頃も、似たようにお土産を貰いました」
黎映はクスクスと笑うが、なんと誠は否定しない! 私は絶句するしかなかった。いつかの
「ところで……
誰だっけ……と思案し、月白輝く黒の長髪ウィッグと紫黒色の着物にて、
「ああ……ゲンキだと思うよ。今度会ったら、伝えとく」
全く……綾人はどうやって、誠を誤魔化すつもりなのだろう。秘匿に命が懸かっているというのに。下手したら、
大ノ蛇栄螺堂へと誠の車で向かうのは、秋以来二回目だな……と車窓越しに蒼滴る峡谷を眺めた。野山の錦を共に観た、智太郎の事を考えてしまう。駄目押しでLINEも送ってみたけれど、既読もつかない。今何を見て、何処で苦しんでいるのかも分からないんだ。味方なのに、何もしてあげられない自分が腹立たしい。私が智太郎の立場だったら、とうに嫌気が差していたんじゃないだろうか。愚鈍で卑怯な私より、ずっと素直で器用に生きれる人だもん。
もしも……智太郎が新たな
「『今だけでも、解けない心配ごとなんて忘れてくれたまえ! 』……とクマが言っております」
手を振るクマを自身の口元に寄せ、黎映は上目遣いに悪戯な笑みを覗かせた。小首を傾げた私は下手くそに、はにかんだ。大ノ蛇栄螺堂へ辿り着き、久しぶりの螺旋屋根が垣間見えた途端……無邪気な黎映に引っ張られてしまう!
「来てください、千里! 」
輝きと石段を駆け登る最中……車のトランクを開けた誠と、荷降ろしを手伝う女性二人を顧みた。そういえば誠が車内で、米や塩を煉経由で黒曜から貰ったと話していたはず。彼らを守護したい私の望みを、代わりに黒曜が果たしてくれているみたいだ。誠達と和やかに談笑する、赤銅色の瞳の彼女は見覚えがあるような。
「隠世に居るけど、あの二人は『徒人』だよね? 」
「二人は、『隠世 猫屋敷』から救済した
前を向く黎映は、凛とした声音で答えた。鳥籠の内で夢見た『妖と人との対立を終焉へ導く世界』は、翼を成し始めていた。大ノ蛇栄螺堂を過ぎて、私の手を引く黎映は森の中へ駆けていく。木漏れ日の中を渡る私達は、薫風になったみたいだ。心の底を浄化してくれるみたいで、心地良かった。
「鳥籠から巣立った私達は、同じ夢を追う者でしょう? 貴方と共に語るには、綺麗に真白い野がぴったりだと思いまして」
森が明けた。『真白』は陽光の反射かと思ったけど、違う。浅く広い池と野を見下ろすのは、
「夏なのに、雪原の中に居るみたいだね」
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