第百六十四話 その牙を剥け


―_-◆_+★_*+-【 千里 目線 】-+*_★+_◆-_―


「この俺の白い太陽の心臓があれば、お前達の望みは叶う。俺の命を欲する者、愛を欲する者は無論。安寧の地を求め、自らの『隠世』を創造したい者達も。先祖である俺の根源を継げば、脆弱な『人の器』に寿命を脅かされる子孫を、強靭な『妖の器』にする事も可能だろう」


 炎陽が望んだ『宴』は隠匿を解いた。彼が語る可能性に、おぞましさで私は臓物が混ぜられるようだ。智太郎をこれ以上、私のように『妖』に近づけさせるものか。智太郎は『人』として、。その為に、私は原初の妖になったのだから!


「但し、俺の心臓は一つだけだ。叶えられる望みも……一つ」


 緋色燃える白銀の大太刀おおたちを豪快に肩に乗せた炎陽は、宴の役者達を見渡す。炎陽の前に、『濡羽姫わたし』と黒曜。『雪』の姿の智太郎。上座にて、妖しく微笑する紅音と、呆然とする『紅の花嫁』の翠音。異常な空気に目覚めた黎映と、状況を囁く誠。冷静に私達を見つめる青ノ鬼と、動揺し彼に駆け寄る『綾』。


「何故ですか、炎陽様! 御身を犠牲になさるようなことをっ……! 」


 叫んだのは、翡翠の双眸を潤ませた翠音だった。炎陽は張り詰めた『隠世のあるじ』の仮面を解き、心なしか彼女を優しく捉えた。

 

翠音おまえも『愛する』のは疲れただろ? 翠音は『魅了』に罪を着せて、欲を喰らう俺を恨まなかったが……異能は精神を生み、精神から生まれずるもの。『魅了』に支配された俺も、やはり俺だ。珠翠の肉体は滅んだ。『面影』ばかり追いながら、異能に浸食されて死に往くのはないと思ってな。どうせ散るなら、かつてのような愉しい宴の中で遊び狂い、華々しく派手な死を望むさ」


 炎陽は緋色の双眸に強靭な光を宿す。瞬くことの無い彼の意思は、誰にも変えられない。かぐわしい獣のような色香と繊細で整った彼の風貌が無ければ……娘であるはずの翠音が、ここまで『穢れた愛』に堕ちることも無かっただろうに。翠音が清らかな翡翠の双眸で、懇願するように炎陽を見上げてみせるのは、発言を撤回して欲しいのかもしれない。

 

「炎陽様への私の愛は……穢れていても、偽物なんかじゃありません」


「ならば、証明してみせよ。翠音おまえ自身の愛を」


 翠音は猫耳を伏せて項垂れる。沈黙は嵐の前の静けさ。私と同じ『穢れた愛』を抱くはずの彼女から、意識が逸らせない。同じ想いである『友人』であって欲しいからか。


「ええ、証明して見せます」


 偽りから受胎した花嫁は、まことか否か?

 

 問いに答えるように翠音が立ち上がれば、血脈を思わす鎖はシャナリと鳴り、長いくれない面紗ベールと引き振袖が炎のように揺らめく。生ける孔雀の尾羽根が広がれば、構造色が瑠璃の筋に燃えた。琥珀の睫毛が秘匿を解けば、激情孕む翡翠の猫目に宿した緋色の業火で、彼女は踊り子になる。


 ――舞うように踏み出した翠音の足先から生じた影の輪は、波紋を『宴の間』に広げ平衡感覚を奪う! 『紅色の花嫁』の翠音は牙を剥いて咆哮した!


「だから私は……私の神を脅かす貴方達を消し去る!! 」


 足元が沈む感覚に肌が粟立つ。異能『折紙影絵おりがみかげえ』で宴の役者達を深淵に呑み込もうとしているのだ!


 我に返った私が紫電を発動する前に、誰かに抱えられくうへ浮かんでいた! 白檀の香りに、視界の端に広がる漆黒の翼。


「黒曜っ……」


「先程のを許す気は毛頭無いが……不味い事態になったな」


 苦々しく語る黒曜に眼下を見れば、影沼と化した『宴の間』は正に混沌。翠音が操る『折紙影絵』は炎陽と彼女を除いた全てを、今正に呑み込もうとしていた。


 滅紫めっしの蛇を操る誠は驚愕する黎映を抱え、天井を貫き逃れられたようだが……他の四人は藻掻くもただ沈みゆく。


「そんなん、アリかよっ! リアル底無し沼! 」


「ふざけてる場合か、掴まれ馬鹿! 」

 

 体を半分呑み込まれた『綾』の手を掴んだ青ノ鬼は舌打ちし、引き摺り出そうとするが青い花吹雪の妖力さえも影沼に消える!

 険しい顔で、影沼に銃を打つ智太郎も同じ……! 翠音に銃口を構え直した彼の名を叫びかけたその時。


「馬鹿な! 喧嘩売る相手を間違えたわね」


 翠音と呼応させるように翡翠の猫目を爛々と底光りさせた紅音は、その美しき唇で『歌』を紡ぐ。


『 影の水面みなもは、静寂。

  御神火ごじんかを映せ、反転の鏡湖! 』


 緋色を反射した影沼はに押さえつけられたように、沈むのを止めた。翠音は憎々しげに吐き捨てる!


「『空隙華歌くうげきはなうた』ですか、紅音あなたみたいに小賢しい! 」


「お褒めに預かり恐悦至極。お高く先制攻撃してくれちゃって。で私達に勝てるとでも? 」

 

 目を細めた紅音の言葉に、何故か翠音は怯えるように自らの肩を抱く。炎陽は白銀の大太刀を肩に乗せたまま傍観するのみで、紅音から翠音を守る様子は無い。自らの根源を狩る敵を待ち望む彼は、のだ。だが翠音の異能ならば、一人だろうと戦えるはず。

 

「私はっ……」


 頼りなく翡翠の瞳を彷徨わせた翠音は、


「千里……貴方は私の『友人』ですよね? 」


 私は少々冷めた目で翠音を見つめる。先に私達へ攻撃して来たのは彼女だ。だが……今智太郎達を捕らえているのは翠音であり、一部を除いてにあたる。

 

「『友人』の翠音あなたは、私を追ってきた敵を拘束してくれた。私は炎陽の根源なんて要らないし、他の者に渡るのを望まない。私達を襲ったのは、だったのでしょう? 」


 私の施しに、翠音は直ぐに縋りついた。


「そうなんです、私が千里を本気で襲う訳がありません! 貴方も下賎な輩から、炎陽様を守ってくれますよね? 」


「当たり前でしょ? 翠音は『友人』。

 

 彼女はかつての私と同じく『孤独』に怯えているのだろう。翠音は私の思った通り、陶酔すら浮かべて見せた。。翠音が『折紙影絵』の影沼を敵の足元に集約し、影の拘束に化したのを見やる。私を抱える黒曜の腕に合図を送り、黒曜と私は地へ降り立った。


「客人とえさは殺しちゃ駄目だからね、翠音? 『人の世』に返すのだから」


「分かりました。紅音以外はにします」


 原初の妖わたし達二人は、翠音側についた。険しい顔をする紅音へ妖しい微笑を浮かべる翠音から、目を離した私は天井に空いた穴を見上げる。

 黎映と誠が居ない。伊月家兄弟かれらは敵か否か。『隠世』への執着があるだなんて、黎映は私に語らなかった。誠だけの思惑なのだろうか……。黎映と繋がる『呪い』の気配に、意識を向けかけた時。


「……つまらんな」


 傍観していた炎陽が、緋色の陽炎纏う白銀の大太刀を下ろしたと思った瞬間……『折紙影絵』で拘束されている智太郎へ疾走した! 花緑青のまなこを見開く『雪』の姿の彼に、私は背筋が凍りついた! 紫電を翼のように両袖へ纏わせ、智太郎の前に降り立つ。

 

「翠音に守られるべきの炎陽あなたは、大人しくしてなきゃ駄目じゃない? 」


「なら、濡羽姫が炎陽おれを捕らえてみたらどうだ? 美人の言うことなら案外聞くかもしれないぞ」


 雄々しく牙を見せて髪をかきあげる炎陽を、私は冷え冷えと見下してみせる。炎陽は波乱を望んでいる。だが、


「浮気性もそこまでいくと立派だけど。地獄で珠翠が泣いてるわよ? 」

 

「愛しい女に嫉妬で殺される地獄だなんて狂おしいな」


 骨の髄からぞっこん、て訳ね。翠音の本当の恋敵は、死んでいるからこそ厄介だ。

 隣に降り立った黒曜に、私は告げる。


「黒曜、私が目覚めた『孤独の部屋』にある己穂わたしの刀が欲しい。鞘だけなら触れられるでしょ? 」


「『金の稲妻』を放つ生力由来術式は、今の千里には扱えない」


「掌が焼かれようが、ただの刀としてでもいい。私……あの刀じゃなきゃ駄目なの」


 白銀の大太刀を構える炎陽を殺さずに、行動を掌握しなくてはならない。だが未知数の紫電の妖力だけでは、覚束無い気がする。 過去夢で掌に馴染んだあの白い刀が……使えないとはまだ信じられなかった。


黒曜わたしがあの男を止める」


 冷静を装っていても、針のように細められた黒曜石の瞳孔から殺意を感じるから、私を心配してくれているのは知っている。黒曜かれの想いすら弄ぶ我儘わがままあるじなのに、黒曜は今も私を守ってくれようとする。だからこそ私は彼を安心させたくて、飯事をしていた幼い日のように無邪気に微笑してみせた。


「私、炎陽とだよ? 」


 黒曜はふいを突かれたように瞠目し、瞬く。丸く緩んでいく瞳孔と、麗しいかんばせに似合わず小さく空いた口が何だか可愛いような。


「……すぐに戻る」


 あれ。苦笑されると思ったのに、すれ違いざまに顔を逸らされてしまった。もし照れているのだとしたら……貴重だから見たかった。


炎陽おれと遊んでくれるのか」


 緋色の双眸を底光りさせる炎陽に、濡羽姫わたしは妖艶な微笑を返してあげる。

 

「ええ。折角の『宴』だから、私も愉しみたいの。それに私……炎陽あなたのことがもっと知りたくなった」


 炎陽が智太郎を狙った理由は何なのか。それを知らねば『白い太陽の根源』を奪い合う、この『宴』……行き着く先が見えない。


炎陽あいつと戦うな、千里! 奴は原初の妖だって、分かってるだろ! 」


 私の背後。袖を強く掴んだ智太郎の叫びに、私は眉の端を下げる。切実な衝動に振り向くと、強い風に髪が払われた。

 

 儚い『雪華の少女』の殻の奥………滅びぬ花緑青の瞳には、虹の遊色効果プレイ・オブ・カラー。研いだ情動で『欠けた星』の孤独を貫く。変彩金緑石アレキサンドライトの瞳のわたしは、もう金の明星じゃないのに。


「ごめん、智太郎の言う事は聞けない。……それに、私も原初の妖ばけものなんだ」

 

 痙攣する唇を噛んで俯いたとしても、智太郎自身は弱くなんか無い。いつも守られていたのは千里わたしで、ずっと守っていてくれたのは智太郎だったから……何だか不思議な感じがする。

 

「お願い。私に智太郎をずっと救わせて」


 翼耳の私は掴まれた色打掛の羽織を肩から脱いで、羽化する。濡羽色の着物に青紫あおむらさきあいから紅紫色こうししょくの愛へ堕ちる地模様は、残酷な小鳥の物言わぬ叫び。血のように鮮やかなフリルの裾を上げると、晒された脚をリボンが螺旋に束縛していた。黒のヒールを臆病に打ち鳴らし、軽やかな両袖に紫電の翼を纏わせる。

 濡羽姫わたしは返事を聞きたくなくて、躑躅つつじの花迷路へ誘うように疾走する炎陽を追いかけた。

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