第百六十三話 面紗の下


 『雪華の少女』の『雪』:智太郎

    ▷▷ ❪❪隠匿❫❫

   『濡羽色の花嫁』の『なな』:千里

   『若葉色の花嫁』の『千里』:黒曜


隠匿外/演者

『色獄の主』:炎陽


―_-◆_+★_*+-【 千里 目線 】-+*_★+_◆-_―


 さらり、と春陽になびいたのは、芽吹いたばかりの命の色か。淡い濃淡からなる若葉色の引き振袖は、総刺繍に咲く花々が絹糸の光沢感で、花嫁に妖精の魔法をかける。

 光の面紗べールは薄く透け、桜色の唇と穢れ無い肌を包み込む。うぐいす色の繊細な毛先に柔らかい陽光を纏うと、儚い色を魅せた。


 長い睫毛で、ゆるりと瞬く金の瞳は……元々私の色彩だったはずなのに……私の色はこんなに美しかっただろうか?


 躑躅つつじの花迷路の庭を背景にした縁側で、黒曜が演じる『若葉色の花嫁』は、幻想が入り交じっている気がした。彼が見守ってきた『人の千里わたし』が心象により美化されているのだとしたら、私は少々気恥ずかしい。


『私は、このまま千里を演じればいいのだろう? 』

 

『雪』に手を引かれた私を『若葉色の花嫁』は見つめる。花嫁の唇は閉ざされたままなのに、黒曜の声が聞こえて一瞬惑うが……黒曜が己穂わたしの過去夢で精神感応テレパシーを扱えていた事を思い出す。珠翠に『全能』と称された、力の一片にしか過ぎないのだろうけど。

 

『お願い。戦うこと無く、智太郎を人の世へ返したいの。黒曜なら、拒絶する千里わたしを演じられるでしょ? 』

 

『……努力しよう』


 少々無茶を言っている自覚はある。『全能』に近い黒曜かれを困らすだなんて、私は甘えた幼子の頃から変わっていないのだと内心自嘲が掠めた。私は『濡羽色の花嫁』を演じ続けている事を言い訳に、賭けの結果を傍観しよう。


 ――私の願いと欲求の天秤は、自暴自棄にぐらついているから。


 私の手を繋いだままの『雪』は、『若葉色の花嫁』を陽光で煌めく花緑青の瞳で冷静に見つめる。

 

「貴方に問いたい事が、幾つかあるのです。お時間を頂けませんか」

 

「かまいません。あなたが、私に会いに来ることを知っていましたから」


 私は目を丸くする。『人の千里』を前にした智太郎はもう『雪』を演じる必要が無いはずなのに、正体を明かさず『若葉色の花嫁』を千里とは呼ばない。


「なら一つ目。貴方は昔、ある人を殺めましたよね。彼女を殺めた理由を、わたしに教えて頂けますか」


 『若葉色の花嫁』は睫毛を僅かに痙攣させ、躊躇いに俯く。


「……私は愚かでした。あの頃の私は自身に芽生えた感情と言うものを理解しておらず、自分が嫉妬していたことさえ自覚出来ていなかった。ですがそれは、人を殺めて良い理由には到底なり得ません。もう一度やり直す事が出来たならば、私は過ちを犯さない。ですが……そんなことは不可能である以上、私は罪人なのです」


 黒曜が生まれ変わった『雪』を眼前に、彼女を殺めた理由を語っているようだった。実際に間違いでは無いのだろう。他者を演じるには、自分の中の似た心象パーツと重ねる必要があるから……。


 静かに雪華の睫毛を羽ばたかせる『雪』は懺悔を要求しない。これは、唯のなのだから。

 

……。二つ目の質問です。貴方が大切な人を残して消えたのは何故ですか」


 顔を上げた『若葉色の花嫁』は内なる信条に真っ直ぐ導かれるように、『雪』へ金の瞳を向けた。


「古い『約束』を守る為でした。私にとって『約束』はいしづえであり、道導みちしるべ。だが『約束』に縋るあまり、私は本当に大切な想いに目隠しをしていました。『約束』を守るのは大切な事ですが、『約束』に従うだけでは大切な人を守ることが出来ない時もあるのです。遺される苦しみ程、耐え難いものは無いのだから」 


 十一年前。黒曜は私を桂花宮家という鳥籠に閉じ込めて置いて行った。その理由は己穂と交わした『約束』を守る為。

 かつて己穂として黒曜と交わした『約束』も、智太郎と交わした『味方であり続ける約束』も……私は一番許されない形で、破ってしまった。そして、私も黒曜も『約束』で大切な人を傷つけた。私と黒曜はどこか似ている。


「貴方は『約束』を守ってきた事を後悔しているのですか? 」


 確認する『雪』へ『若葉色の花嫁』が頭を横に振ると、鶯色の髪筋がさらさらと隠世の甘い風に舞う。


。時として、『約束』よりも『約束を交わした大切な人』を選ばねばならない時もありますが、『約束』は今も私の道標みちしるべです」


 私は少し、黒曜が羨ましくなった。。智太郎を、裏切り者の私の味方にした事を。咲雪を殺めた私は、智太郎の味方にはなり得なかった。

 黒曜は今も己穂わたしとの『妖と人との対立を終焉へ導く約束』を守ろうとしてくれているのか。私は妖と化した事で、『妖と人の運命さだめを変える力』を失ったが……まだ諦めるには早いのかもしれない。


「最後の質問です。貴方は、遺される苦しみ程耐え難いものは無いと言いましたよね。離別の苦しみを味わうくらいなら、罪の真実を明かしされるべきだとは思わなかったのですか」

 

 その問いに突き刺されたようで、私は思わず『雪』と繋いだ掌に力が入ってしまった。今、彼に問われているのは私では無い。

 ……ところで、何故私は智太郎と手を繋いでいたのだっけ? 繋いでいない智太郎の左手はレースグローブ。私が繋がれた彼の右手は……何もしていない。ザラついた手の内の感覚と体温は直に伝わる。縋るように、ずっと繋げていたらいいのに。

 

 守るべきわたしを死へ晒す問いに激情を隠しきれない『若葉色の花嫁』は、金の瞳に人ならざるを宿す。


「私は離別の苦しみを味わおうとも、断罪を受け入れる事が出来ません。断罪は生きるべき命の死を意味する。憎悪が絡む死は、復讐の連鎖を生む。『あなた』が断罪を選ぶならば……私は命を奪う罪悪感に再び苦しめられようとも、新たな瞋恚しんいの焔に焼かれましょう」

 

 ズレた心情への違和感が……智太郎から伝わる、ザラついた肌感覚に宿っていく。『若葉色の花嫁』の柔肌は、『雪』の言葉によって幻想を捲るのだろう。

 

「貴方は彼女と似ていますが……やはり。彼女が殺めた理由は『嫉妬』では無いし、恐らく彼女は私との『約束』を後悔しているでしょう」


 あぁ……賭けに負けた。


 そのはずなのに、智太郎に読み上げられる『私』は、開示で撫でられる愛しさに心地よいくらいだ。捧げられた愛達を足蹴にした私は負ける事を……卑怯にも望んでいたのか。本当に欲しい『愛』を前にした私は、こんなにも残酷になれる。牙に垂涎すいぜん。私が手を伸ばす愛と、足元に散らばる愛達。本当に瓦落多ガラクタなのは?

 

「彼女は断罪による解放を望んでいる。罪に苦しめられる『せい』は、彼女にとって呪縛なのです。だが、彼女は罪悪感を抱き続けても、楽になれる断罪を選べないだけだ。断罪は、彼女自身の願いを事が出来ないのだから」


 それは全て。『なな』を演じる私が、『雪』である智太郎に告げた事。やっぱり、貴方は私の事をよく知っている。でも、私がこんなにも『穢れて』いる事を……貴方は知らない。


「私では、役不足だ」


『若葉色の花嫁』は隠匿をさらさらと葉が舞うように解いていく。艷めく漆黒の翼を広げ、冷たく整った浮世離れした美しいかんばせを現す。黒曜は深淵なるまなこで、智太郎を真っ直ぐに睨んだ。


「だがおまえは、千里に近しい。だからこそ、千里を演じられた。おまえが彼女と交わした『約束』は何だ 」


「私が彼女と交わした『約束』は一つでは無いが……今も守るべき『約束』は『妖と人との対立を終焉へ導くこと』。だが、智太郎を前にした今の私は『約束』を守れない。私は『約束を交わした大切な人』を選ぶのだから」


「……おまえの告げた通りだな」

 

 何故智太郎が私の手を繋いだままだったのか、ようやく理解した。私を……逃がさない為だ。無理矢理離させるならば、ザラついた愛しい皮膚を妖力たる紫電で焼かなくては、逃れられないから。どちらにしても『妖の千里わたし』は、闇色の面紗ベールを貴方に上げられる。


 そろそろ、口を開いてになっても良いよね?


「ねぇ、。智太郎」


「駄目だ。お前は咲雪かあさんを殺した本当の理由を、俺に明かしていない」


 鋭光えいこうを宿す花緑青の瞳により、向けられる憎悪すら心地よいと感じるわたしは、やっぱりのかもしれない。智太郎が好きになってくれた『人の千里わたし』はもう居ない。


「言わないよ、私は智太郎の敵なんだから」


『穢れた愛』を知られるくらいなら、私は『悪い子』になってみせる。弱い智太郎は私を憎んで、勝手に救われていればいい。わたしの『穢れた愛』が及ばない世界で、人として幸せになってみせてよ。


「黒曜。」 


 手を離さないなら、こちらが離すまで。逆らえないへの拒絶に、美しいかんばせを苦悶に顰めた黒曜は、黒い焔纏う刀を顕現した瞬間私へと翻す!


「やめろ、千里! 」

 

 半不死の私は瞼を閉じよう。智太郎に呼ばれた名は、襲い来るはずの灼熱の痛みの口輪くちわになってくれる……。

 

 濡羽色の髪を風圧に揺るがされた私が、瞼を閉じる寸前。風を切った金属音は、火花を散らす!


 額に汗滲む黒曜の黒い焔纏う刀を防いだのは、緋色の陽炎唸る、白銀の大太刀おおたちだった。けもの耳顕現する男の、白銀の長い後ろ髪と尾がくうを踊り、二股の尾に錯覚した。思惑が叶い智太郎から解放されたが、私は黒曜を冷静に一瞥いちべつした男を睨む。


「何のつもり、炎陽」


「濡羽姫が派手な演目を演じるにはまだ早い。次に演じるべきは俺なのだから」


 『隠世 猫屋敷』のあるじたる炎陽が深める高慢な笑みに、繋ぐ過去夢が脳裏に一閃する。


 

 そのおとこ。『凍える愛しいおんな』を灼熱の体温で抱く。獣の証に底光りする緋色の瞳は、しき欲の業火で獲物を甘美に煮崩す。日の目に晒した華の如きはらわたを食い破り、沸き立つ血酒を浴びる。やすりの舌で、眠る骨から『せい宿る肉』を最期にこそげ取るまで。


 

えんたけなわ! この俺を最も愉しませた者に、お前達が望む土産をくれてやる! 」


 牙を剥き出しに一同へ咆哮する炎陽は、自らの心臓を親指で迷いなく指し示す。


。さすれば、お前達の望みは結実する! 」


 うねる波乱への畏れで、私の内の鼓動は目覚めるように大きく跳ねた。

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