第百五十六話 呪わしいほど
ふらふらと。軽すぎる足取りは
だが『猫屋敷』の暗い部屋と廊下ばかり歩んでいた私は、眩しい日差しに視界を突き刺され、真っ白に塗り潰されてしまう。凶暴な光は、私に頭痛を
身体が
「黒曜……? 」
彼に下した『私を暫く独りにして』という命令を保てないくらい、私の意思が脆弱になってしまったのだろうか。もう別にいいのかも……。私の『欲』は、青紫の
――私を抱きとめてくれた誰かにお礼を紡ぐ前に、意識は光に掻き消された。
誰かの膝の上。
「起きてしまいましたか」
整った白皙の
「何を……」
「私でも千里に生力を渡せるかもしれないと、
一瞬、理解が追いつかなかったが。先程の静かな吐息と黎映の言葉が重なった。 生力は愛する人からでないと、
「千里が私を助けてくださった時と逆ですね。今度は私が千里を止めなくてはならない。……原初の妖でありながら、貴方は人である私にすら抵抗出来ないくらいに、弱っている。それが如何に異常な事なのか、理解していますか? 」
激情を孕んだ深緋の右目にドキリとする。黎映は隠せない怒気を、声音に滲むのを抑えていた。私より下位の妖であるはずの翠音の捕縛から、逃れられなかった事実が舞い戻る。『飢餓』がついに私を殺しかけていたのだ……。
「弱っても、私は死ぬことなんて無い。ちょっと日差しに立ち眩みしただけ。大袈裟だよ」
私は虚勢を張る為に、星屑のように嘘を散りばめる。黎映は原初の妖が『飢餓』で死ぬことを知らないはず……だったのに。
「貴方は
「……誰から聞いたの」
穢れた血肉への欲から目を背ける為に、逃げ続けていた現実に胸を刺された私は
「黒曜です。貴方は彼への
黒曜が黎映を頼った理由はただ一つ。黎映が――『人』だから。彼らの目的を理解するに連れて、私は血の気が引いていく。黎映から今すぐ逃げ出したいのに、弱った私は起き上がることすら叶わない。
黎映は直ぐにも『実行』するかと思ったが……彼は私に猶予を与えるかの如く、静かに語る。
「兄さんから『安寧の地』を得る為に、人を犠牲にした真実を聞きました。私は、自らの正義の為に守るべきものを間違えるところでした。私が生きて欲しいと願うのは『妖』である兄さんと千里。千里が告げた通り……私は穢れるのを
誠は黎映に真実を告げる覚悟を貫いた。黎映も残酷な真実を受け入れた。――覚悟が出来ていないのは、私だけ。
「千里。
懇願する言葉とは裏腹に、重く言い切った黎映は有無を言わせない。玲瓏な覚悟の輝きは、『人』の私の心を殺そうとする!
「そんなの、やだよっ……!『人』である黎映の傷は簡単には治らないし、凄く痛いはず。 金花姫として、妖に呪われた人を嫌という程見てきたけれど……みんな……苦しんでた」
「構いません。千里を生かし続ける事が出来るならば」
黎映は私を起き上がらせると、私を優しい
「貴方は何も悪くない。妖となる
私の頭を優しく撫でる儚く温かい掌に、胸を締め付けられた。眼窩に宿った切ない刺激は、それでも私を救ってくれる。涙で反射する光の世界は、キラキラと綺麗だったから。私が焦がれる『人』の世は、生きていないと戻れない。会いたいという想いは自然と、涙と弱音を零させた。
「本当はっ……智太郎に罪を明かした時に、そのまま私を殺して欲しかった! そうすれば、私はのうのうと生きる苦しみに絶望なんかしなかった。だけど、智太郎を助けるためには死ねなくて……。生きていると、どうしても願ってしまう。智太郎に許して欲しいって。智太郎が告げてくれた『一緒に生きたい』という言葉に今も縋ってしまう自分に吐き気がする」
「貴方は……今も智太郎を愛しているのですね」
私を抱く
「他の人を愛せていたら……罪を犯すことも、ここまで堕ちて妖になることも無かった! 人の心は喪われていくのに、何で愛は解けない呪いみたいに変わらないの? 」
「愛は呪いですか……。最もかもしれません。私もまた、呪縛から逃れらずにいるのですから。もう逃げるのはやめましょう。千里が生きていなければ、私は片思いすら喪う」
「ごめんね、黎映」
「……私は寧ろ嬉しいのです。千里と『呪縛』で繋がれるのですから。
逡巡は無駄な痛みを生むだけだ。過去夢で牙を穿たれた
「……っ……! 」
黎映の僅かな声すら、暴悪な『欲』の波に掻き消される!
決して『人』の意識を手放すものか。溺れそうな『欲』の奔流の中……呪うべき首筋に、
牙を離すと、私が穿ってしまった
「嘘で良いから……ずっとこのまま、私の腕の中に居ると言ってくれませんか。こんなにも満たされるだなんて、知らなかった」
私はすぐに言葉を返すことは出来なかった。優しい嘘では、黎映を救えない。
「今だけは、嘘じゃない」
小さな微笑の吐息を震わせた黎映は、私を離さなかった。私が黎映に救われたはずなのに……今は私に黎映が縋っているよう。彼に返せるべきものを持たない私は……黎映の背を小さく抱き返すことしか出来なかった。
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