第百五十七話 招き猫


 不思議なことに、生力しょうりょくで満たされ活力が戻ると、心まで安定した気がする。腹が満たされれば、安心するのは人も妖も同じらしい。


「せっかく元気になったのに、私のせいで黎映りえいの生力を奪ってしまったね」


「大したことではありません」


 黎映は頭を横に振るも、その整ったかんばせは明らかに血の気が失せている。生力を奪う『呪い』は、扱う私次第で彼の命に直結する。この手網たずなは、決して安易に奮っていいものじゃない。


「今は休んで。黎映が生きていないと、私も生きていられない」


 黎映は救われたように、穢れなく微笑する。おかしいな、救われたのは私の方なのに。


「ならば、運命共同体ですね。休むのに肩を貸して頂けますか? 」


 と、言うや否や。黎映は整った白皙のかんばせをキラキラと無邪気に輝かせる。体温を纏う肩を私にピタリとくっつけ、猫のように擦り寄った……!? 黒を交えた白髪がさらりと私の肩をくすぐり、潤んだような深緋と白の双眸とかち合う。薄い唇にを湛えて。

 羞恥に火をつけられた私は、逃げたくても指先を絡ませられていて逃げられない! 不可抗力とはいえ、先程まで彼のかいなの中に居たと考えると頭が真っ白になる。

 

「ち、近いよ! 実は調子にのってるでしょ!? 」


「気の所為では。肌寒いのが苦手な私に、元々距離感など無いのです」


 絶対に嘘。黎映と再会した時と言い……無邪気を装った彼に隙を与えてはいけないのだと私は自覚した。無垢な愛玩を画策する黎映からの逃亡計画を組み立て始めた時。滑らかな重い声が、私の背筋を凍らせる。


「失せろ、野良猫。もう用は済んだはずだ」


「『拒絶』のめいを解かれた、番犬のお出ましですか」


 怖いほど一気に冷めきった黎映が見つめる先を、私は振り返る。この世ならざる美しきかんばせで黎映を睨む黒曜は、翼先にすら焔の灼熱を纏わせている気がした。


「貴方の提案でも、千里を直接救ったのは私ですから。妖である貴方は千里を救えなかったのです。ゆめゆめお忘れなきよう」


「触れまわるに感謝してやろう。『殺すな』という千里からのめいがあろうが、黎映おまえの指先くらいは切り落とせるはずだ。試してやってもいいが 」


 黒曜と黎映は『私に人の血を与え、生かし続ける』という目的が合致したはずなのに、いつの間にか異常に殺伐とした仲にしている……。性分の相性が良すぎたらしい。

 

「何言ってるの、試したら駄目! 指先が切り落とされる前に、早く離して黎映!」

 

「残念ですが……千里に触れられなくなるのは嫌なので、今だけは離してさしあげます」


 渋々と言った様子で黎映は私を解放する。彼を射殺すような黒曜に、手を引かれ立たせられた私は硬直する。私の想いの在り処など、とうに二人は知っているはずなのに……想う智太郎あるじ居ぬ間に新たな勢力図が出来ている。やっぱり逃げたい。


「ごめん、黒曜。私の我儘で振り回しすぎたね」


 漆黒の翼なびく背に庇われた私は、罪悪感に駆られ謝罪する。魂の使役しえきに応えてくれる黒曜に甘えるばかりか、権限を乱用し彼を傷つけてしまった……。黒曜は私を振り返り、漆黒の瞳を優しく瞬く。私と同じく、何処か安堵しているようでもあった。


「……もうあんなめいは下すな。千里を守れなくなる。だが、謝らなければいけないのは私の方だ。自らの想いすら支配出来ないせいで、生かすべき千里に『拒絶』を命じさせてしまったのだから」

 

「でも黒曜と黎映は私を救ってくれたよ。私は二人が居なければ、『せい』も『信じる道』も失う所だった。返せるべきものが無い私は、享受するばかりでいいのかな」


 後ろに手を組んだ黎映は清らかな笑みを湛えて、ひょっこりと私の前に現れる。


「返すものなど必要ありません。貴方が生きていることに意味があるんです」


 でもそれって……自分の意思が無い。生きているからには、考えないといけない気がする。生かしてもらえている私でも出来る何かがあればいいのに。隠世ここは隔絶された妖達のコミュニティだけど、私は繋がりによって救われたのだから。


「ようやく人の生き血を口にしたか、濡羽姫」


 その声に肌が逆だったのは私だけではあるまい。緊張が走った私達三人の前に現れたのも、新たな三人。翠音と誠を引き連れた炎陽だった。絢爛豪華な黒い軍服みたいな衣装に、緋色の羽織を引っ掛けている。第二の尾のように、白銀の後髪を翻す。かぐわしい獣のような色香がある彼は、美しい人形ビスクドールの様なかんばせに気前の良い笑みを浮かべていた。

 澄ました顔で無感情を装う翠音を見るに『慰め』は閉幕したようだが、秘匿を垣間見てしまった私はなんとなく気まずい。


「お陰様で。炎陽は随分張り切ってめかしこんでいるのね。新たな来客でもあるの? 」


 炎陽から視線を逸らした私は、不服そうに顔を顰めた誠と目が合った。炎陽に無理矢理連れてこられたに違いない。彼まで集められるなんて、一体何事か。


「ああ、とびきり豪華な客人達だ。濡羽姫の配下のものえさ二匹。それに、『猫屋敷ここ』への案内を命じた反逆者」


 私と黒曜と同時に、さっと顔を強ばらせたのは翠音だった。『反逆者』とは恐らく紅音の事だ。死すべき反逆者に案内を命じるだなんて、炎陽は一体何を考えているのか。


「黒曜以外に、私に配下のものなんて居ないけど」


「可哀想に。であることに無自覚だとは」


「まさか……青ノ鬼あおのかみの事!? 」


 肩を竦める炎陽が告げた事実に、私は臓腑が冷えていく。青ノ鬼が『猫屋敷ここ』へ向かっているという事は……『えさ二匹』とは十中八九、智太郎と綾人に違いない。


「私達が青ノ鬼達から身を隠していることなど知っているだろう! わざわざ招くとは、何のつもりだ! 」


 炎陽と交渉し、猫屋敷の『滞在の許可』を得た黒曜は、炎陽かれの胸倉を掴む! しかし、高慢な笑みを深める炎陽はどこ吹く風。


「お前達を隠してやるとは言っていない。俺は禍福かふく問わぬ招き猫だからな」


 私は冷え冷えと炎陽を睨む。彼は色だけで無く、波乱すらも好むのか。


「なら『猫屋敷ここ』に残る理由なんて無い。世話になったわね。行こう、黒曜」

 

「待ってください、千里! 黎映わたし達も行きましょう、兄さん! 」


「黎映。伊月家兄弟おれたちの仲間だと、まだ濡羽姫を頷かせていないが? 」


 困惑する誠の手を取った黎映が慌てて、身を翻した私と黒曜の後を追おうとしたその時。炎陽は新たな一声を発する。


「まぁ、待て。翡翠の煙管もまだ貸してやるから、『宴』を楽しんで行けよ。濡羽姫はやつの『本音』を聞ける最後の機会なんじゃないか?」


 私の足は自然と止まってしまう。願い続けて来た『会いたい』という想いは、今も変わらない。例え、智太郎が私を殺しに来るとしても。

 

「確かに『本音』は知りたい。私を憎悪しているに違いないだろうけれど……永遠とわに別れる前に一目会いたい。戦わずに話す事が出来るのならば」


「いい答えだな。ここは『隠世』。互いの正体を隠した『宴』ならば、その望みは叶うだろう。翠音、濡羽姫の『色直し』を手伝ってやれ」


 炎陽は、私の答えを『』としたらしい。

 翠音は、呆然と立ち尽くす私の手を引いて囁く。

 

「……私達が交わした『指切り』を忘れないでくださいね」


 髪が成す、互いの影の内。妖しく微笑した翠音が、私達が『友人』である事を思い出させる。私と翠音は、互いを助けねばならない。私達を殺しに来るであろう『客人達』から。……又は『珠翠の死』の秘匿を犯す者達から?


 くれないや青紫の躑躅つつじが織り成す花迷路の庭からは、生者も死者も迷わす甘い蜜の香りがする。私達は誘い込まれるまま、『宴』の役者を演じさせられようとしていた。私の心臓は重く鼓動する。何処か切なく、懐かしい温もりを焦がれるように。


 翠音に手を引かれるまま、歩む私は気がついてしまった。誰かに糸を引かれるような、この重い鼓動は……私が『穢れた愛』で呪う智太郎に繋がっている。ようだ。私には心構えをする猶予など無いのだと、明確に思い知らされた瞬間だった。

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