第百四十話 紅音
「俺の母さんを知っているのか? 」
「……この娘、死にかけじゃないか」
紅の少女を見分した青ノ鬼は眉を寄せて、自らのシャツの襟元に手を掛ける。突然美峰の首筋を晒そうという青ノ鬼の手元を、綾人は慌てて押さえた!
「ちょっ、何やってんすかっ! 美峰のセクシータイムを突如設けないで! 」
「阿呆か。この娘が、炎陽の言っていた
「そゆこと……。だけどっ、美峰の血は御先祖様の物じゃないだろ! 」
「なら、
「う……」
さっきまで逃げ回っていた綾人の逡巡を待っている暇は無い。痺れを切らした俺はため息をつき、白銀の髪を掻き上げる。紅の少女の口元の前に、自らの首筋を晒した。
「飲めよ。だが、喰い尽くしたら殺す」
耳が聞こえずとも、頭に突きつけた銃口くらい分かるだろう。翡翠の双眸に僅かな光と怯えが宿った瞬間……自らの首筋へ痛みは穿たれた!
――湿った森の香りに混じった血臭は、引き裂くように内なる渇望の牙を剥く!
紅の波打つ髪も重なる体温も知らぬ香が絡む。だから尚更、紅の少女が『人』の血を啜り奪う音は本能を痛みと共に逆立て、強烈な孤独と飢えを自覚させた。妖力を奪われ続けていても、この身には妖の血が脈動し続けているから。
「……っは……」
千里によって満たされていたはずの耐え難い血への渇望は、抑えきれずに黒い息を垂れ流していく。地下牢に眠らせていた
鶯色の髪を指先に絡ませたい。千里の脅える金の杏眼を、
だけど、その桜色の唇を震える吐息ごと奪えたら。……血よりも濃厚な甘い味は、『人』のままでも欲望を清めてくれる。心臓に刺さった紫電の棘と繋がっているはずの千里の色すら、今の俺には明確に分からない。身体と心から体温を奪ったのは……孤独を深く広げる寂寞のせいか。
「はー、
突如、鼓膜を破壊する程の大音声により、脳内は殴られたようにぐらついた! いくら気高い美声でも、五月蝿い
「……頭ガンガンするから喚くな」
身体は貧血で冷えていた。穿たれた首筋、頭痛がドクドクと痛みを訴える中……いつの間にか紅の少女から開放され、銃を下ろしていた自分に気がつく。
輝きを取り戻した翡翠の猫目は、ハッキリとした強気な二重に瞬く。ツンとした笑みを向ける少女は、波打つ紅の長い髪を払う。高飛車な気性が、ピンと立つ猫耳に強く宿った。
「悪いわね、ご馳走様。妖混じりのくせに中々悪くない味だった。あんた男だったの?
まるで血を奪われていた時に、千里の事を考えていた自分を覗かれたようで身が竦んだ。言葉を返せるという事は、紅の彼女はもう耳が聞こえる程に回復したのだろう。眉を寄せた自分を棚に上げ、妖恐るべしと称えたい。
「適当な事をほざくな、血で中身が分かる訳が無い。命の恩人に、名前くらい名乗ったらどうだ」
「フン、どうせ私を助けたのは下心があるからでしょ。血の味わいの違いくらい分かんないの? 下賎な武器なんて扱ったって、あんたも妖混じりでしょうが。まぁ、名前くらい名乗ってあげるけど」
プライド高く小さな顎を上げ、鮮やかな翡翠の双眸でキッと紅の少女は俺を睨みつけた。腕を組んだ動作で、錆びた鎖が鳴る。鮮やかな色彩を放つ故に、焼き切れた孔雀の尾羽が痛々しい。
「私は
「俺は咲雪の息子だ。名は智太郎。白い太陽という事は……紅音は炎陽の血族か? 」
『隠世 猫屋敷』へ繋がるはずの紅音は間違いなく炎陽と関わりがあるはずだが……まさか血縁関係があるのか? 俺は、ピンと立つ紅の猫耳を睨んだ。
「へぇ……道理で咲雪と似てる訳ね。認めたくないけど、残念ながら私は炎陽の娘。咲雪は私の腹違いの妹。つまり、私とあんたは伯母と甥にあたるってわけ」
俺は思わず紅音をまじまじと見つめてしまう。どう考えても紅音は俺と年の差を感じさせない少女にしか見えない……。
「まぁ! 道理でお美しい訳ですね。死にかけても廃れない美しさの秘訣を、是非『猫屋敷』への道すがら教えて頂け
誰だコイツは! と癪に障る裏声に振り返ると、俺を苛立たせるのはやはり綾
「今すぐやめろスグやめろ。不自然過ぎて男だってバレバレだ! 」
「馬鹿っ、なんでバラすんだよ! 智太郎
また足を踏み付けられたいようだな、このドM美女が……と怒りが噴火する直前。
「あら、以外に理解力のある子も居るじゃない。そんなに私の美しさが知りたければ、教えてあげないこともないわ」
「ええ! 是非とも教えて
以外にも満足そうな紅音は得意げに髪を払い、綾
「紅音と言ったか。僕達が第一に知りたいのは、『猫屋敷』への道だ。お前は炎陽が言った『案内人』なのだろう? 何故こんな所で囚われているんだ」
「はぁ? 私が案内人!? ……
青ノ鬼の冷静な問いへ、紅音は見開いた翡翠の双眸で拒絶を返す! 炎陽が告げたはずの『案内人』は、案内人たる自覚すら無かったらしい。囚われた紅音が『案内人』で間違いないのなら。
「もう一度、復讐
まさか……紅音は、本気で彼らを恨んでいるのか。自らの父親と、妹を? 眉根を寄せ、俺は疑念のままに問うていた。
「炎陽は、紅音の父親だろ? 」
「
紅音が唸るように吐き捨てられた憎悪は、背筋を凍りつかせる程に怨念に満ちていた。
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