第百三十六話 黒豹の彼女


 千里へと繋がる隠世の主、炎陽えんように対価として『女二人』を確約させられた俺達は頭を捻らせた結果……駅から一度退却し、桂花宮家の千里の部屋に居る。 

 無関係の女性二人を拉致、捕縛、対価にする事は絶対にNGだ。強引なやり方はともかく、千里への繋がりを見出した青ノ鬼。そして器である美峰も、炎陽の犠牲にさせる訳にはいかないという結論に達した。……つまり。


って!! 勝手に千里の着物使って良いのかよ!? 綾人おれは論外だろ!! 智太郎はともかく」


「勝手知ったる幼馴染なんだからいいんだよ! 着物が大切なら尚、千里あいつから質にとって交渉してやる。 何が『智太郎はともかく』だ! 」

 

 咲雪はは以外の妖側の血族との初接触にしては、炎陽は第一印象ドブの底。『女二人』を対価に要求する色欲祖父じじいである炎陽を騙くらかすなら、性別も血族もクソも無い。妖をかしてやるのは人間達おれたちの方である。


「自分だけ逃れられると思うなよ! 」


 逃げ回る綾人を力づくで捕縛……したい所だが、紺碧の妖力を顕現されたら終わりだ。正治との一件で、緊張張り詰めるはずの桂花宮家で何をやってるのかと冷静さが掠めるが……これでも真剣だ。ジリジリと綾人を部屋の隅に追い詰める事に成功する。確保まで、あと一歩。

 

「無理無理無理! どう考えても適任は俺じゃない! 女顔の智太郎だけで十分だろ! 」

 

 首を高速で横に振る綾人は、最後の抵抗に声を荒らげる! 俺は舌打ちする。黙れ、正治や翔星にバレたら羞恥どころじゃ済まないぞ!

 

「女だって言ったろ! お前、大事な美峰おんなを炎陽の前に晒す気か! 」


 綾人は透明感のある上品な容貌を引き締め、青みがかったまなこをカッと見開く。


「そうだ……何を逃げてるんだ。ここで漢気おとこぎを見せなくてどうする、俺! 」


 漢気の見せ方を明らかに間違えている綾人に、千里の着物箪笥を確認していた美峰は呆れたように振り返る。今回の適任は、青ノ鬼では無く彼女である。千里と交流するようになってから、着物趣味に目覚めた美峰は着付けの仕方を伝授されていた。炎陽を文字通り化かす為、俺達のもこなす予定。

 

「……真剣なところ、悪いんだけど。千里ちゃんの着物、身長のある綾人には短い。ゆきも裾もツンツルテンになっちゃう。袖短くて腕丸見え。おはしょり皆無」


「ヒャッハッ、聞いたか智太郎! 俺は戦力外――」


「あ、でも洋風にアレンジすればいける!レース付け袖とインナースカートで誤魔化すか……いっそ洋服にして私のミニスカにするか。選んでいいよ、綾人」


「洋風アレンジでお願い死マス」


 凍えた笑みで圧をかける美峰に、深々とお辞儀する綾人は遂に手中に下った。修行を重ねて割と筋肉のついた綾人の長い脚にミニスカは、相当に悶絶する。想像しただけで、新しい路線で脳髄を焼き切れるので止めておいた方が無難だ。


「なら、綾人の着物はコレ。身長の高さを逆にモデルっぽく生かそうかな。綾人の支度手伝ってくるから、尾白くんは着物選んでて! 」


 深い絶望を宿した綾人は、真反対に楽しそうな美峰により沼の底に引きずり込まれるように、隣にある俺の部屋へ消えていく。控え室に引きずり込まれるのは次は自分だと思うと、妖と命を奪い合う戦闘より恐ろしく感じるのは何故だろう。


 残された俺は、引き出しが開け放たれた千里の着物箪笥を改めて覗く。

 

 はぎ色と浅葱あさぎ色の二連のスカラップ柄の、生成色の着物。

 鉛色の中に紅緋べにひの花紋様が咲く、大島紬おおしまつむぎの着物。

 綿レースが袖口に縫われた、に白い千鳥柄の着物。

 

 こうして見ると、千里は『金花姫』の勤めなど関係なく着物が好きだったのだと思う。着物に結びつく金木犀の甘い残り香は、ここには居ない彼女の温もりで俺を締め付けた。

 心臓へ突き刺さった紫電の欠片に口付けたい。届かぬ温もりが空虚なら、その痛みで存在を感じさせて欲しいと思う。その反面、形を成せずに燻る憎悪に、想いも積み上げてきた思い出も喰い殺されるのを恐れた。

 

 ――宝物も、大切な人達も置き去りにしてまで、千里おまえは俺を救いたかったのか。


 十七年間の人生そのものを捨て去る対価。何故そんな物を、千里は払ってしまったのか。お互いの為に、俺達は自らを犠牲に出来るのだと分かった時……同時に何も失って欲しくないと願った。同じ想いなのに、相反する選択の結果。雪原で、眠る千里を連れ去る鴉を追いかける事すら出来ない自分が残された。千里が自分を強く想ってくれた証である、紫電の欠片がもたらす『人』としての生も。

 

 ただの『人』として生きれるとしても、俺が望むのは――

 

「尾白くん、お待たせ。我ながら中々良い出来!! 」

 

 ざっと、ふざけて化粧筆メイクブラシ数本を指の間から器用に見せつける美峰はアシスタントをキリリと気取る。襖を開いた美峰の後ろから、現れる人影シルエットあり。

 

 

 ――天鵞絨ビロードの毛並みに誇りプライドを抱く、しなやかな黒豹のようだった。


 レザーコルセットでしなやかな腰を強調したは、長い黒髪を月白げっぱくに艶めかせる。黒鍵盤を上品に弾くように歩む度、星屑ラメ煌めく紫黒色しこくしょくの着物から、黒レヱスの裾を捌く。僅かな衣擦れにすら、呼吸を支配されてしまう。挑戦的なアイラインと深い赤バーガンディの口紅は、宵闇を瞬く美しい獣の証である。


 

「……エグい美女が現れた」


 目の前の彼女が本当に綾人なのか信じられずに、思わず本音が零れた。美峰は、いつの間に千里のウィッグまで見つけていたのだろう。


「惚れんなよ? 」


 口の片端を吊り上げ、ニヤリと素を出しやがった綾人に幻滅する。『黒豹の彼女』の輪郭シルエットは、ビリビリに破かれてしまった。


「お前、一生黙ってろ」


「相も変わらず智太郎冷たい! ……酷いじゃん」


 しょんぼりと綾人は、黒豹の爪先ネイルで唇へ触れる。『ドM美女』と言う新たな路線へ迷走しようとするが、彼の美峰クイーンは引き戻す。


「ちょっと馬鹿綾人、黒豹キャラが崩れるじゃん!! 折角、体格もコルセットで誤魔化したのに。尾白くんの言う通り隠世では大人しくして。変な笑みも禁止!! 」

 

「なにぃっ、笑うのも!? 流石にツラくないすか……」


「喋ると、声よりも態度で男ってバレバレ。 全く、尾白くんの変身チェンジの間に『女形おんながた』でも検索しググッときなさい、綾女あやめ! 」


「俺は一体何を目指してるんだ……? 」


 グズグズ文句を言いながらも、美峰の言う通りに綾はスマホに向かい合う。思わず現実逃避したくなるが、次なる餌食は俺である。満足そうに振り返った美峰は、獲物ターゲットを逃さない。

 

「尾白くんは色白だし、ふわふわな可愛いキュート系が良いよね」


 俺は思わず顔が引き攣る。千里だけじゃなく何故女子ってやつは、華麗なる変身が好きなのか。花に宝石、化粧メイク髪型ヘア。そして、着物。キラキラとして色鮮やかな世界を纏う事に、魅了される呪いでも受けているに違いない。


「路線まで決まっているのか……」

 

――『隠世への潜入』を笠に着た、美峰クイーンの絶対的な命令には逆らえない。


  

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