第百二十二話 お人好し


 

 瞼を開けた私は、馴染みの無い木目の天井に、まだここは過去夢である事を認識して絶望する。私は自身を覆う柔らかな布団に違和感を覚えた。

 己穂わたしは、朱殷しゅあんの妖を殺めた。現れた白い猫の前で気を失った後、誰かが私を受け止めてくれた気がした。私を受け止めてくれた白銀の柔らかな髪の少年は、智太郎……?

 

 ――有り得ない。ここは過去夢で、今の私は己穂だ。


 もしかしたら智太郎が複製コピー能力で助けに来てくれたのかもしれない、と淡く期待してしまう。

 だが考える度に可能性は否定された。咲雪さゆきを殺めた上に十年間裏切り続けてきた千里わたしを、智太郎が助ける理由なんてもう無いのだ。


「起きた? 」


 己穂わたしが瞼を開けた事に気づいて、ひょっこりと覗き込んだのは鶯色の髪の男だった。安心したように息を吐く、己穂の兄である爽太は私を助けた本人では無い。

 だが彼が現れたお陰で、ここが己穂達が住む屋敷であることが分かった。黒曜と己穂が出会った、梅の木がある屋敷なのだろう。


「私……どうやって帰ってきたの? 」


「あちらの方が助けてくださったんだ。全く……今度から絶対お付きの者を置いて行かないでね! 妖から人を助けるのも良いけど、己穂が死んじゃったら元も子も無いんだから! 」


 私が布団を剥いで起き上がると、爽太は眉根を寄せて語気荒く詰め寄る。自信なさげな風貌は千里わたしに似ているのに、今は迫力があるのは何でだろう。

  

「ごめん……」


 多分千里として自由に動けていても、お付きの者を振り払って、朱殷の妖に追われていた親子を見逃せなかったと思う……。今世でも、前世でもお人好しなのは変わらずらしい。小さく縮こまる私は、爽太が示した人物を横目で確認する。座布団に座る人物を目にした途端……私は息が止まるかと思った。

 

 ふわふわとした白銀の髪を靡かせるのは、繊細で整った容姿の存在。性別不詳の美しい人形ビスクドールの様なかんばせは、奇跡の様に完璧な造形を保つ。

 私はその双眸に花緑青はなろくしょうの色彩を期待してしまうが、雪華の睫毛の奥には銀色の猫目が瞬いた。


 朧気な意識で、智太郎と勘違いしたのは当たり前だった。智太郎は麗しい少女のような容姿だと思っていたけれど、生き写しのような目の前の存在は本当に女性だ。尾花おばな色に白撫子柄の着物を纏う彼女の名を、千里わたしは既に知っている。


ゆきと申します。己穂様に助けて頂いた身の上ですから、当然の事です」


「私が助けた……? 」

 

 心当たりの無い私は首を傾げる。雪に助けられたのは私のはず。そして、朱殷の妖から助けたのは、追われていた親子だけだ。敢えて言うならば杉の影から現れた白猫も、朱殷の妖に脅えていたのかもしれないが。白猫と同じように朱殷の妖から、雪も身を隠していた……?


「貴方も、朱殷の妖に追われていたの?」


「まぁ、そんな所です」


 さらりと涼しい顔で、雪は肯定した。

 千里として、黒曜の過去夢から思い出す。原初の妖『猫』の血を引いてはいるが、雪は人の血も混じえた存在。己穂にも妖力を隠し通せていた事を考えると、半妖や四分の一クォーターよりも、妖の血が薄いのかも知れない。

 今思えば、あの白猫は妖で、雪だったのではないだろうか。そして朱殷の妖と行動を共にしていたが、妖の血が薄い故に、同じ妖であるはずの朱殷の妖に逆らえなかった……?


「……雪の顔に何かついていますか? 」


「え……いや、とても美人だと思っただけ」


 訝しむ雪を凝視していた事に気が付き、視線を逸らす。

 全ては千里わたしの推測にしか過ぎない。どちらにしろ己穂は雪が妖で有る事を知らなかったのだから、改変出来ない過去夢の内に居る千里わたしは、雪が妖で有る事実を口に出す事は出来ないのだ。


「金を纏う現人神の貴方に言われると、お世辞にしか聞こえません」


 雪の言葉に、ぐぅの音も出ない。そもそも己穂は前世であるが、自分自身の容姿として雪の言葉を否定して良いものなのか。第一、否定しても否定しなくても不快なのでは……!?

 女同士故の坩堝るつぼに嵌りかけた時……のほほんとした、かの人物がまあるく収めてくれる。


「うん、どちらも美人だよ。両手に花だな……」


 本当に嬉しそうな爽太に、少々複雑な面持ちでじぃっと見つめた。やっぱりまあるく収まってない……! 千里わたしに似た顔で、のぼせないでくれるかな!? 己穂いもうととしても見たくない。

 雪も軽蔑するように銀の双眸を細めた。私よりも辛辣……。


「私は貴方に囲われる気はありません」


「……初対面にして、いきなり美人に振られたのか。褒めたのに」


 がっくりと肩を落とす爽太と、つんと顔を背ける雪は、男女逆転した容姿ではあるが千里わたしと智太郎のようだった。客観的に自分達を眺めているようで、なんだか面白い。

 思わずくすくす笑ってしまった私に、二人は振り向く。はっとして、言い訳のように私は返す。


「相性悪いんだね? 」


「そうかもしれません。なんだか癪に障るんです、この爽太かた。絶対、猫が嫌がっても離さないで撫で回す手合いタイプと言いますか……」

 

「ううっ……美人の言葉がズケズケ刺さる……。そんな事無いよ……ちゃんと可愛がるよ……」


「もう発言からして確証できませんね。うじうじとして、粘着質。私、一番苦手です」


 うっ。まるで千里じぶんの事を言われているようで、完全にブーメランが刺さった。しかも雪は、智太郎の前世では無かっただろうか。もしも智太郎と出会い方が違っていたら千里わたしなんか相手にされてなかったかも……と本気で落ち込む私に、何故か雪は近寄る。


「それに比べて、雪は貴方みたいに芯がある方が好きです。貴方が男性だったら、一目惚れしてたかも」


 雪華の睫毛の奥……銀の双眸で優しく見つめる雪に、私は一瞬思考停止する。千里わたしを男にしたような人物、そこに居るのですが……。千里わたしと爽太の性格の違いが、自分でも分からないんだけど。

 おずおずと私は雪に瞬く。


「私に芯なんかある……? 」


「無自覚ですか。自分の身を顧みず他人の命を重んじられるのは、誰にでも出来る事では無いですよ」


 それは今世でも前世でも、私が『お人好し』として自覚していた自分の一部であった。智太郎にも散々呆れられてきたはずなのに、智太郎の前世である彼女はそれが好ましいと言う。


「ありがとう」


 嬉しいのに少々恥ずかしくて、小さく一言を返す事しか私には出来なかった。

 雪に散々やり込められた爽太は、反撃の狼煙を上げるが如く声を張り上げる!


「僕だっていざとなったら、命の一つや二つ救ってみせるよ! 」


「と言いつつも、実際は尻込みする手合いタイプに見えますけど」


 雪の冷静な一言に、あっさりと爽太は撃沈してしまう。成程、これが爽太かれ千里わたしの違いか。


「……仰る通りです。僕には己穂みたいに勇気が無い。兄なのに、妹よりも情けない。根性叩き上げないといけないのは分かってるんだけどね」


「自覚があるなら、きっと変われるはずです 」

 

 突き放すばかりだったはずの雪は、瞬く爽太を一瞥して告げた。雪はいわゆるツンデレというやつだろうか。

 飴を与えられた単純な爽太は、にこりと嬉しそうに覚悟を燃やした。


「そうだよね! 僕がしっかりしなくちゃ、妖狩人達も安心して戦えない。己穂以外も強力な生力由来術式が使えるように、改良もしなくちゃいけない。己穂の帰る場所は僕が守るんだ! 」


 爽太の言葉に、千里わたしは彼の子孫である事を急速に自覚した。如何に黒曜が己穂の姿を借り、妖狩人達を纏めて桂花宮家の初代当主になったとは言え……肝心の桂花宮家の人間が尽力しなければ、千里わたしが生きる現代まで桂花宮家が存続し、妖狩人達が人を守る事は出来なかった。

 己穂を守る為に生力由来術式を創り上げた爽太は、妹だけでは無く、やがて現代まで人を守る礎を築いたのだ。


「……と言うことで、早速僕は己穂を助けてくれたきみにお礼をしなくちゃいけないんだ。何か望みは無い? 」


 千里わたしの御先祖様なのに、はたまた御先祖様だからなのか。軽いノリの爽太は、にこやかに雪に問う。


「助けて頂いたのはわたしなので、礼など不要です。寧ろ、お礼をさせて頂きたいのはわたしの方なのですが。そうですね……一つ、妙案があります」


 思案しているように見えたが、顔を上げた雪はまるで初めから考えて居たように躊躇いが無かった。


ゆき屋敷ここで働かせてはくれませんか? 今の雪には行く宛てが無いのです」


 爽太では無く、雪は己穂わたしを銀の双眸で真っ直ぐに見つめて微笑した。彼女の一人称が……私と会話する時だけ、『ゆき』に変わる事に気がついた。まるで、親しい人に気を許しているかのようだ。


「良いの……? 」

 

「何故貴方が雪に問うのですか……」


「ごめん、多分嬉しいんだと思う」


 目の奥がツンとして視界が歪んでしまう私はきっと、抜け出せない過去夢の中で不安を抱いていたのだ。

 自分が千里なのか、己穂なのか……境界線は曖昧になって行く。過去夢から抜け出したところで、千里わたしに待っている現実は優しくなんか無い。

 智太郎の前世である彼女に、自分を認めてもらえた事で私は救われた。本当の過去の己穂わたしでもやはり泣いたのだろう。命を奪い合う戦いは、孤独を生むのだから。


「己穂は、泣くのですね」


 苦笑して私の頭を撫でる雪は、やはりあの時の白猫だった。前世でも、貴方は私を救ってくれたんだ。


「そんなに泣き虫だと、小さい頃の己穂みたいだな」


 優しく呆れたような爽太の声に私が涙を払うと、雪が爽太を冷ややかに睨んでいた。麗しい容姿と銀の双眸が相まって、迫力満点だ。


爽太あなたの方が百倍泣き虫だったのは、安易に想像がつきます」


「えぇっ!? それって、とばっちりの想像だよね!? 否定できないけど……。本当、僕って兄としての面目を根こそぎ奪われまくり」


「私が代わりに己穂の姉になってあげます」

 

「冗談でしょ!? 雪が男なら『己穂はやらん!』ってちゃぶ台ひっくり返せたのに、畜生っ……」


 冷静なのに何処か楽しそうな雪と、慌てふためいて掌で転がされている爽太は、智太郎と綾人のよう。

 

 私は思わず微笑したが……同時に気がついてしまう。ここは過去夢だ。しかも、結末は決まっている。この安寧はいつか必ず奪われる。

 

 ――雪の死、と言う最悪な形によって。


 心を締め付ける、漆黒の翼の影が翻る時からは逃れられない。

 

  

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