第五十六話 雪が二片、舞い込む


「初代当主の記憶を視る?」


 私は智太郎の言葉に頷く。迷った末……私は智太郎に、私の前世が己穂である事と手記の内容を伏せ、鴉だけでなく桂花宮初代当主の記憶の中からも、智太郎を救うための方法を探したいと告げた。妖と戦う道から逃れる事はできなかったが……鴉と同じ時を歩んだ彼女ならきっと何かを知っている。それに、彼女のように、青ノ鬼を生み出す程の生力を自在に操る方法が分かれば、智太郎を救う方法が分かった時に手助けになるはず。


「父様から初代当主が持っていたという刀を貰いたいの。関係が深い物に触れた時、過去夢を視れた事があったから」


 青ノ鬼の青い牡丹がそうだ。過去夢のきっかけは、本人との接触や、私の眠り……能力のバッティングなど様々だったが、一番過去夢を視るきっかけを作りやすいのが、想いが関わる物に触れる事。


「何故初代当主の過去夢を視ることに思いあたったかについては言えないんだよな」


「……ごめん」


 顔を歪めて微笑む私に、智太郎は諦めたように苦笑する。その微笑みが、包み込むようで……私は心臓を奪われる。


「お前が話したくなるまで俺は待つ事にしたから、いい」


「ありがとう、智太郎……その」


 智太郎は瞬きをして、私の言葉を待つ。六花のような睫毛が瞬くと、雪二片ふたひらが部屋の中へ舞い込んできたようだった。


「父様と私が会う部屋の、隣で待っていてくれないかな……もし、大丈夫なら一緒にいて欲しいから」


「……良いのか」


 私は唇を結び、頷く。鴉と己穂の関わりについて話さなければいい。それに……己穂の記憶を全て取り戻すのは少し怖かったから。一時は鴉を逃がし狩人達を裏切ったとも言える、と私に告げた父様の言葉が、本当だったらと考えると、私は裏切りを重ね続けてきたことになるから。


「臆病者の私だけど……智太郎が近くにいてくれるなら、少し勇気が出せる気がする」


「そんな事でいいなら、近くにいるから行ってこい。……味方の力が必要になったら、いつでも呼べ」


 智太郎が傍にいてくれる。それだけで、単純な私は頬が綻んで、身体を縛っていた緊張が緩む。


「頼りにしてる。……ところで今はもう大丈夫、なの?」


 先程確かに智太郎と口付けを交わしたが……本当にあれで今まで血に頼ってきた生力の代わりになるんだろうか。先程の事を思い出すと自分が自分で無いみたいに感じられて、頬が熱くなる。熱情を纏う濡れた舌同士の感触や、潤んだ花緑青の瞳の中に宿った、溶かしてしまいそうな甘さが絡む強い切望は……やっぱり思い出したらいけなかった!

堪えきれず私は掌で赤い顔を覆った。聞かなきゃよかった……と後悔するも、智太郎が本当にもう血を必要としなくていいのなら聞いておかなくてはならない。私が視えるのは、自身が操れる生力だけなのだから。


「……お陰様でだいぶいい。血を得るよりずっと、身体が軽い気がする」


「そ、そう……」


 智太郎の顔をまともに見られず、顔を覆ったまま暫く動けそうにない。


「……多分、俺はお前に向かい合う代わりに、ずっと血に逃げてきたんだと思う。怖かったから……千里に、拒絶されるのが」


 智太郎にも、怖いことがあるんだ。意外な事実に私は、顔を覆う両手を離す。智太郎は、身体の震えを押さえるように右手で自身の肩に触れていた。俯いた智太郎は、揺れる瞳孔を定めようと、視界の端を見つめていた。

 だからなのかもしれない、と私は思った。私に智太郎が、言えない事実を隠したままでもいいからと告げたのは、私が智太郎を拒絶するのが怖かったから……? 縋るように、私を繋ぎ止めたのは傍にいて欲しかったから。

 お互いの想いは分かったつもりでいた。だけど、あくまでそれは“つもり”だった。本当の気持ちは、同じ人物でもない限り分からない。黎映が、他者と自己との境界線を踏み越えさせ曖昧にするのは、自我の消滅に繋がる、と告げた事実を思い出す。相手の気持ちが分からないから、釈然としない事もあるけど、共感を超えて思案する事まで完全に同じになってしまえば、それはもはや、私と智太郎では無い。だから……齟齬から生まれた寂寥は受け入れるべきだ。


「私は、智太郎を拒絶したりなんかしない。逆はあっても。だから安心して」


 私は寂寥を追い払うように微笑みを向けると、何故か智太郎は不服そうに目を細める。


「お前、相変わらず人のこと信用してないよな。逆も無いって」


「う……ごめん」


「分かってる。お前が俺を信用できてないのは、今に始まったことじゃないから。それでもいいって言ったのは俺だから。……俺が信じさせる」


 ……智太郎に頼ってしまうのは、私が臆病者のせいだけじゃない気がする。


「智太郎って、私にだいぶ甘いよね」


 虚を突かれたように、花緑青の瞳を瞠目させる智太郎はなんだか可愛く思えた。私が苦笑して指の背で自身の唇に触れると、智太郎は瞠目した瞳を細める。


「自覚は無い」


「甘いよ。綾人にスパルタ指導する時と全然違う」


「比・べ・ん・な。……当たり前だろ、好きなんだから」


 真っ直ぐな視線で、さらっと告げられ、私の方が赤くなってしまう。こんな風に想いを伝え合う関係になるなんて、いつかは慣れる? いや……私には無理かもしれない。想像しただけで恐ろしかった。


「だから、今後もよろしく。生力のの方は」


 儚げな容姿に似合わず、にやり、と意地悪い笑みを向けられる。私は赤らめた微妙な微笑みのまま固まってしまう。全く遠慮している様子なんて無い。私が良いって言ったのだから、否定はしない。しないけど……! あれを毎回!? 一体どんなスパンで!? ……思考は停止させておいた方が安全かもしれない。


「妖力の安定も、お前に関わってるって分かったし。結構、重要だから」


「何それ……聞いてないんだけど……」


 大分重要事項だと思うのに、今言う!?

 愕然と眼を見開くと、真面目な顔で智太郎は続けた。


「言ってなかったから。というか、この間分かったというか。いつか来る器の崩壊は、正直俺の力じゃどうしようも無いけど……青ノ鬼と違って、妖力の手網を握るのは俺自身。つまり心で、心の安定は想いに直結している」


「つ、つまり……どうしろと……!? 」


完全に恐慌状態に陥った私に、智太郎は、薄い唇に、背筋がぞわりとするような魅惑的な微笑みをのせ、私の手に指を絡ませる。私は既視感を覚えて瞳孔が揺れる。


「俺を捕まえとけって事」


 花緑青の瞳は金の光を纏わせ、六花の震える睫毛の中で瞬く。心臓が相変わらず、痛い程に鼓動する。

 今、捕まえられているのは、私だと思うんだけど……。


「あの……」


 申し訳なさそうに障子の裏から聞こえた声は、竹本の声。私はその声に全身に緊張が走り、冷や汗が滲む。一体いつから居たんだろう。


「当主様がお待ちです」


 智太郎は私を解放すると、舌打ちをして障子を開ける。

 顔を赤らめて畳の縁を見つめる竹本を、私の揺れる視線が捉えた時……私が期待していた世界は崩壊したのだった。


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