第五十話 血塗れた地下牢


 竹本と共に智太郎が待つという部屋に、飛び込むように入った。


「智太郎! 」


 荒い息と共に私は部屋を見渡すも、そこには誰かが寝ていた痕跡がある布団だけ。


「あれ……いない? あ、そうか……」


 竹本は呆然と部屋を見渡し、それきり押し黙り顔を青くする。


「智太郎は本当に戻ってきたの? 」


「ええ……さっきまで確かに」


 竹本は相変わらず顔を青くしたまま、それきり言葉を紡ごうとしない。私は苛立ち、竹本の顔を覗き込む。私の視線に気がつくと、竹本はそのまま顔を逸らし俯く。


「……何を隠しているの、言いなさい」


「多分……いや絶対尾白は知られたくないと思うんです。申し訳ございませんでした、急いで呼びに行ってしまって。 もう少ししたら、尾白も戻ってくるはずなので」


 そのまま、立ち去ろうとする竹本の腕を私は掴む。


「お願い。智太郎の無事を確認させて」


 震えながら俯く私に、竹本の足は止まる。


「さっきから、虚勢を張ってるだけで……本当は怖くて堪らないの。お願い、姿を見るだけでいいから」


 もし、智太郎が本当は酷い怪我を負っていたら……。

 私は智太郎を行かせてしまった事を、ずっと後悔する。

 今も、後悔している。

 妖狩りなんて、本当は辞めて欲しい。

 この屋敷で妖の血を引く智太郎が、生きるにはそれしか道が無いんだって、それも分かっているけど。


「……分かりました。姿を見るだけ、ですからね」


「ありがとう」


 私の微笑みに、竹本は溜息をつき、私を案内する。竹本は庭に出る。私も草履を履き、後に続く。


「こちらです」


 竹本が指し示したのは、扉は古く、蔵戸とほぼ変わらないように思えた。桂花宮家の、外からしか入れないあの地下室への扉だった。私は血の気が引くのを感じた。今はもう使われていないはずなのに、何故。


「尾白は、妖狩りの対価として、人の血を与えられています。妖として生力を得る為には、千里様の能力からじゃ駄目なんです」


 竹本の言葉に、私は息が上手にできなくなる。

 智太郎は妖の本能とは無縁だと、勝手に思っていた。いや、思いたがっていた。だが、四分の一の妖の血を引く智太郎も、妖として生力を得るには人の血が必要だったのだ。私が生力を与えたり、治せるのは、あくまで生力をベースに持つ生き物だけで、妖力がベースの生き物は治せない。咲雪の半妖としての死の運命も生力では変えることはできなかったではないか。半妖達はきっと、生力を持つ部位と妖力を持つ部位は別なのだ。人間として生力を与え治療してあげる事はできても、妖として生力を喰らう為ならば私の力は意味が無い。


「なんで……隠してたの」


「それは、千里様を傷つけたくなかったからだと思います。それに、知られたくない秘密は誰にでもあるでしょう」


 私は、何も返せなかった。私だって、罪を告白できないままなのに、どうして智太郎を責められるだろうか。なら、今智太郎は人の血を……。私は固唾を呑んだ。

 扉を開くと、冷たく湿ったような空気が足元に纏わりつく。私と竹本は暗い階段を降りると、闇の中に暗い部屋が見えてくる。昔見たように、明るくない。今は歩くのすらやっとの、小さな照明が足元を照らすのみだった。昔は、質素ながらも、地上の部屋とあまり変わらないようにも思えたのに、部屋を囲う鉄格子は冷たく暗いこの場所に相応しいように思えた。小さな照明達だけで照らされた窓の無い牢を、静かに覗き込む。

 そこに居たのは、白銀の妖だった。白い耳と尾をもつ後ろ姿は、その白銀の髪が短いこと以外は、かつての咲雪が生き返ったかのようにそっくりだった。白銀の妖は、私が知らない女性の首筋に牙をたて……血を啜っていた。女性は、意識が無かった。白銀の妖は耳をぴくり、と動かす。


「千里? 」


 なぜ私に気づいたのだろう。口を抑えた指先が、自分でも分かる程にはっきりと震える。その声はよく知った少年のものだった。分かっているのに、信じたく、ない。心臓が痛い程に鼓動する。白銀の妖はゆっくりと振り返る。

 智太郎は、双眸を赤く染め……その口元は、血に塗れていた。女性は床に倒れる。顔色が、土気色だ。


「尾白! やり過ぎだ! 」


 動けない私に代わって、竹本が牢へ入る。血に濡れた智太郎を恐れる事無く、女性を抱き上げる。


「……すぐに治療が必要です。千里様、お願いできますか」


 竹本が険しい顔で私に告げると、我に返る。私は女性に駆け寄り手を近づけると目を閉じる。若葉色の生力を注ぐ。彼女の中は、私が回復できるギリギリまで生力が失われていた。あと一歩遅ければ……彼女は死んでいただろう。その事実に私は何を否定したいかも分からず、首を横に振る。


「私は彼女を上に運びます。千里様も」


 竹本が私を呼ぶ。だが、そんな私の手首を掴む存在がいる。


「行くな」


 智太郎が赤い双眸でこちらを見つめる。そこに浮かぶのは、私の知らない感情。


「何言ってるんだ! そんな状態のお前と千里様を二人にできる訳が無いだろう! 」


「竹本……行って」


 だが、私は微笑みをつくり、竹本に先を急がせる。女性は生力で治療したとはいえ危険な状態だ。取り戻せない分は、輸血をしなければならない。


「私も、智太郎と話しがしたいから。お願い」


 竹本の瞳孔が揺れる。

 私は強く頷く。


「何かあったら、助けを呼べるように、直ぐに戻ってきてくれる?」


「……絶対に直ぐに戻ってきます」


 竹本は顔を顰めるも、女性を抱き上げたまま、階段を疾走し外に出た。後には、血に塗れた智太郎と私だけが、暗い地下に残される。


「……どうして、黙ってたの」


 本当は、無事な姿を確認して安心したいだけだったのに、私の中から込み上げてきたのは怒りだった。智太郎は私の手首を掴んだまま、赤い双眸で見つめるだけで何も答えない。私は苛立ち、顔を歪めて智太郎に叫ぶ。


「あの女の人は死んでてもおかしくなかったんだよ!? 智太郎は、妖から人を守る為に戦ってるんじゃないの」


 私の問いに智太郎の赤く濡れた唇は、ようやく開く。


「違う。俺が戦うのはお前の為だ」


 はっきりと否定した智太郎の言葉に、私は絶句する。


「何言って……」


「何度でも言ってやる。俺が戦うのも、守り人になったのも、全部!! お前が理由なんだよ!! 分かってるだろ、それくらい。……だから、お前以外の存在なんてどうでもいいんだ」


 見慣れた強い光を双眸に宿らせた、智太郎の魂からの叫びは、私の頭を真っ白にした。だって、何て答えればいい。智太郎が私の事を好きだと知ったばかりだったのに、その想いが最初から私だけを向いていてくれたなんて。動けないでいる私の両手首を掴み、智太郎は押し倒す。爛々と闇の中で私を捉える赤の双眸は……間違いなく妖のものだった。切なく智太郎は微笑む。赤の双眸は、私だけを焦がれるように潤んでいた。


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