ティアウィッチは零れない

寺音

第1話

 魔女はね、“弱さ”を見せてはいけないの。

 私たちと契約している精霊は悪ではないけれど、気高く強い者を好むから。

 特に涙は絶対に駄目よ。

 万が一、見限られでもすれば、魔女の力は永遠に失われ――大切なものを守れなくなってしまうわ。




 眩しい。片腕で目元を覆いながら、私はゆっくり瞼を開く。

 まるで小鳥に見える天井の染みが、陽の光に明るく照らされている。朝、いや、ここまで光が届いていると言う事は、昼に近いのかもしれない。

 私はベッドの上をゴロンと転がり、窓の方を向いた。日光で温められたシーツが、ふわりと香って鼻をくすぐる。

 まだ、眠いな。

 再び私はゆっくりと瞼を閉じた。


「シルヴィア師匠せんせい。いい加減お目覚めになられては?」


 心地よい微睡を容赦なく終わらせたのは、氷のように冷たい声だった。すぐ近くから降ってきた声に、私の頭は一瞬で覚醒する。

 そう、すぐ近くから。


「ディラン。勝手に女性の部屋へ入ってくるのは……」

 身を起こすと、ベッドの横には青年が一人。かけた眼鏡のレンズ越しに、シアン色の瞳が私を見下ろしている。

 彼は私の弟子、名をディランと言う。


「何度もノックしましたし、入室前に最終確認もしました。それより、今日は街へ行かれるんでしょう? 遅れますよ」

 ハッと私は顔を上げ、額を抑える。

「そうよ、今日は“教室”だわ!」


「ですので、早く身支度を整えて下さい。その頭も何とかして下さいね」

 ディランはため息を吐きながら踵を返すと、さっさと私の部屋から出て行く。

 首の後ろで括ったブラウンの髪が、歩みに合わせてぴょこぴょこ跳ねるのだけは可愛らしい。


 そうそう、時間がないのよ。

 名残惜しいベッドから出て、私はクローゼットを開く。

 黒いローブは私の正装だ。寝巻きから素早くそれに着替えると、次にドレッサーの前へと座った。

 鏡の中の、ヴァイオレットの瞳と目が合う。


 そこには、薄く微笑を浮かべたいつもの私。

 通称『微笑みの魔女シルヴィア』がいる。


 ディランの言う通り、自慢のシルバーブロンドは四方八方に跳ね回っていた。

 私は呪文を唱えると、魔法でその髪を撫で付ける。


 しかし、寝癖だけで済んで良かった。涎の跡なんて付いていたら……。

 私は手早く身支度を整えて、部屋を飛び出した。


 



「今日は、先週やった傷薬の作り方の復習ね。皆、材料と手順は覚えているわよね?」

 私の呼びかけに、子どもたちは元気よく手を上げて応える。その可愛らしさに私の胸はポカポカと温かくなった。


 私たち魔女は“魔法”が使える。魔法は物を浮かせたり、炎を自在に操ったりと色々なことができるが、病気や怪我を治したりはできない。

 その弱点をカバーする為か、人より時間があるからか。魔女は薬学や医学、動植物など様々な知識が豊富だ。

 その知識を求め、いつしか人々は魔女に教えを請うのが当たり前になっていた。

 



 今日子ども達に教えているのは、傷薬と言うか、傷口を塞ぐ貼り薬である。

 もう少し生徒の年齢が上だと、リラックス効果や美容効果のある香油の作り方、なんて物も人気だ。


「せんせい、できたよ!」

「うん、綺麗にできてる。怪我をしたら、これを傷口に貼ってね。治りが早くなるわ」

「せんせー、できなーい!!」

 すぐに上手くできる子もいれば、できない子もいる。今教えている子どもたちは比較的後者が多いので、教室はいつも慌ただしい。

 あちらこちらで生徒が私を呼ぶ。とても追い付かない。


 そんな時、

「落ち着いて下さい。材料を間違えていますよ、デイジーさん。深呼吸して、ゆっくりやればできます」

 心に染み入ってくるような、低い声。

 ディランが、半ばパニックになった生徒に声をかけていた。


 その子、デイジーは言われた通りに深呼吸をして、もう一度材料を指折り数えて確認する。すると、足りない物に気がついたようだ。

 デイジーは材料を混ぜ合わせ、伸ばして綺麗に形を整えた。


「やった、できた!」

「お見事です。よくできましたね」


 あ、ディランが笑っている。


 顔立ちは整っているけど基本仏頂面だから、影で“鋼のプリンス”なんて呼ばれている癖に。

 デイジーに向ける笑みは、お日様のように温かい。


「せんせーい! 僕のも見てー!」

 生徒の呼ぶ声で我に返った私は、口元に笑みを浮かべながら子ども達の元へ走る。

 集中しないと、今はお仕事中だものね。




 授業が終わり、私は帰っていく生徒達を見送った。教会の講堂を借りて行う教室も、始めてもうすぐ一年になる。

 感慨に耽りながらも、後片付けを始めようとして、ふとディランの姿が見えないことに気がつく。

 普段なら、片付けを率先して手伝ってくれているはずなのに。

 私は首だけを出して講堂の外を覗く。


 すると、礼拝堂へと続く廊下に彼の後ろ姿を発見した。

 膝を折って目線を合わせ、どうやら女の子と話をしているようだった。


 微笑ましい光景ねと頷いていると、私の無駄に良い耳がトンデモない会話を拾う。


「ねーねー、ディランせんせいの好きなじょせいのタイプは?」


 な、なんですって。

 危うく変な声を漏らすところだった。講堂の中へ首を引っ込めて、胸を押さえ深呼吸をする。


「何故そんなことを?」

「えー、教えてよ! どんな子? やっぱり綺麗な子? それとも、魔法が上手な子?」

 少しドキリとした。


 もう一度顔を半分だけ出してみれば、ディランと話をしているのはデイジーである。あの子は確か、十もいかない歳だったはず。

 最近の子は、それくらいの歳でも恋愛話をするものなのね。それとも、年上に憧れるお年頃なのかしら。


 呑気にそんなことを考えている私と、耳を塞ぎたいと思っている私と、彼の答えを僅かに期待している私がいた。


「そうですね。俺はあまり表情豊かとは言えませんので——笑顔が素敵な女性は好感が持てますね」


 ——ああ。

 何となく分かってはいたので、思ったよりも動揺しなかった。

 けれど少し息苦しくて、指先が震えて。慌ててそれを止める為に、私は両手を強く握る。


 こんな時でも、私の口元には笑みが浮かんでいた。

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