第8話 弄ばれし者達05
「わあっ、何―?」
乾杯しようとしたところで大声を上げられ、ライラの杯から酒が零れる。
「トワちゃん……。アタシの乾杯を邪魔するなんて、いい度胸ね?」
「あ、あうぅ……。ご、ごめんなさい……」
ライラが本気でドスの効いた声を出したので、トワが縮こまっていく。
「嫌なのか?」
トワはアスライの問い掛けに、涙目で答えた。
「嫌……では、ないです……。嬉しい。とても……とても嬉しいです。でも……私は帝国に……」トワは俯き、唇を噛み締める。「きっと、いえ絶対、私は皆さんのご迷惑になります」
「帝国が、この村まで追いかけてくると?」
問うと、暗い面持ちのままトワが首を縦に振る。
「ふむ」
立ち上がり、室内を見回す。
新築だが、私物は運び込まれていた。部屋の片隅に積まれた木箱の一つを、アスライはゴソゴソと探る。
「多分ここに……あった」
目的の物を手にし、三人の元へ戻る。杯や皿を退けて場所を開け、持ってきた物を広げる。
それは手書きの地図であった。
「これを見ろ。ここが、」
「ねえ、ちょっと待って」ライラがアスライを遮る。「これ、アンタが描いたの?」
話の腰を折らないで欲しいと思いながら、「そうですが?」と応じる。ライラは苦いものでも飲み込んだような顔をする。
「これって、もしかしなくても魔獣よね?」
「ええ、
指差された絵を解説する。アスライの描いた地図には、リルヴ族の村を中央にし、周囲の地形とそこを縄張りとする魔獣の特徴を簡略化して図示してあった。
「うん、分かる。それは分かるんだけどねえ……。あーいいわ。ごめん、続けて」
「はあ……」
ライラが「やっば、教えたのアタシだわ……」と、今度は酸っぱいものでも口に入れたような顔をしていた。
そんなに下手だっただろうか? とアスライは気落ちする。魔獣の見た目と、警戒すべき爪や牙などを強調して描いた。紙面に収めるため一・五頭身にしてあるが、良く描けていると自負していたのに。改めて自分の絵を見返してみたが、どこに問題があるのか、アスライにはさっぱり見当がつかなかった。
「……かわいい」
「うん?」
トワが何事か呟いたので聞き返す。
「あ、いえ、……何でもないです」
「そうか? ……まあ、いいか」
答えてくれなかったが、トワの表情がなぜか明るくなっていたので、いいことにする。
アスライは地図の真ん中を指で叩く。
「ここがオレたちリルヴ族の村だ。村はストロキシュ大樹海の中にある。ここから北上し樹海を抜けると、セイリーン山脈。オレとお前が出会った山だな。山を越えると、ディグナ帝国の領土がある」
目の端で、トワが真剣に理解しようとしていることを確認する。
「村から見れば、ディグナ帝国は北側から東側を、ミロイズ共和国は西側を、カド神王国は南側を統治している。三大国はそれぞれの主義主張の違いから敵対している」
アスライは、トワの真紅の瞳に疑問の色が現れたのを見て取る。
地図には、帝国領をその象徴色である赤で。共和国領を青、神王国領を白で着色してあるが、その中心部に位置するストロキシュ大樹海は、どの色にも染まっていない地の色のままだ。
「この三国は三すくみの状態にあるが、その中心にある樹海はどこの領土でもない。手中に治めれば、他国へ軍を多面的に展開できるのに。それはなぜか? その答えがここにある」
アスライは地図へ目を落とし、黙る。答えを教えない。
トワはアスライが何も言わないので、地図を穴が空くほど凝視し、ハッと口に手を当てる。
「あ……魔獣、ですか?」
「ご名答」
微笑むと、トワが「ふあっ」と変な声を出した。
「過去、三つの大国は幾度となくセイリーン山脈とストロキシュ大樹海を我が物にしようとし、失敗してきた。峻険な山と暗く足場の悪い樹海は進軍するに不向きで、魔獣にとっては歴戦の雄とてただの肉でしかない。多大な被害を出してまで山と森と魔獣を乗り越え、ここまでやってくる利点は皆無だ」
もしそんなことをして自軍を損耗させてしまえば、他の二国の格好の餌食になる。たった一人のためにそれほどの代償を支払う帝国ではあるまい。
このことを踏まえ改めて驚かされるのは、トワが帝国側から山と森と魔獣を乗り越え、こちら側まで到達してきた事実だ。【不死】の神授なくしては不可能なことだが、ライラもボルドラも脳に酒気が回っているせいか、この不可解な事態を指摘してはこなかった。
「でも……」トワの表情に安堵は無かった。瞳一杯に不安を湛えている。「でも……もしやってきたら?」
納得させられると思っていただけに、アスライのショックは大きかった。それほどまでにこの少女の帝国への恐怖は深いのか。腹の中で怒りが湧き上がる。
「もし奴らがここまで辿り着いたなら、これでお相手しよう――【雷よ】」
頭上へ、雷球を生じさせる。
「……【雷】の、神授…………」
バチバチと激しい音を立てる雷球が宙に浮かぶ。それが更に一つ生じる。それらはアスライのものよりも一回り大きかった。
「我らリルヴ族八〇〇名は、全員が豪傑ぞろい」
「帝国兵が何万人きても、森の肥やしにしてあげるわ」
ライラが、アスライとボルドラよりも更に大きな雷球を作り笑う。青白い光に照らされた横顔は、肉親でもゾッとするほど冷たい。三つの雷球はまるで太陽のような輝きで、部屋を光で満たす。
「……うん? 何か焦げ臭……姉上! 壁が燃えています!」
「あらヤダ」
ライラの雷球が大きすぎて、壁に火をつけていた。アスライの新居は狭かった。
「えい」
「あっ、そ、それ、ああーっ!」
火のついた箇所へライラが掛けた液体は、樽に入った葡萄酒だった。父が息子が成人する日まで大切に保存していた、一八年物の高級品。それが全て壁や床に撒き散らされ、樽は空になっていた。
「まだ……一杯しか呑んでいなかったのに…………」
「ホ、ホラ、危なかったから咄嗟に……ごめーん」
ライラがペロッと舌を出す。
「…………」
「……これはマズイですぞ、姉上」
「うん。ガチギレてるわね」
アスライの長い金の髪が、ゾワゾワゾワと天へと向かい蠢きだす。アスライが激怒している時の合図であった。ライラとボルドラが顔色を青くする。
「【雷よ――】」
「し、神授は止めない? せっかく皆が作ってくれた家が、」
「【我が腕に剛力を。我が脚に神速を。我が身を、】」
「わあんっ! ご、ごめんってばー! 許してーっ!」
アスライの全身にジジジッと電が絡みつく。ライラとボルドラが先を争い、扉から逃走しようとする。
「…………どうして?」
高ぶっていたアスライの闘気が静まる。トワが大きな瞳から涙を零していた。
「どうして、皆さんは、私なんかのために……そこまでしてくれるんですか…………?」
つっかえつっかえ嗚咽を堪えながら問い掛けるトワに、アスライの激情は萎む。固めていた両拳を開き、顔に垂れてきた髪を後ろに撫で付ける。
「どうして……か」
ライラとボルドラと目を合わせると、「どうぞお好きに」とでも言うように、ライラが肩を竦める。
「トワ。お前はオレたちを見て、何かおかしいと思わなかったか?」
「おかしい……ですか?」
トワは涙を拭おうともせず考えるが、何も思いつかなかったようだ。
「では質問を変えよう。今日お前が村で会った者の中に、金髪金瞳でなかった者はいたか?」
「え? ……あ……あ、れ?」
トワが記憶を探り、動揺するのは当然だった。与えられた神授の影響で、見た目に変化が起こるこの世界で、それはあり得ない不自然な事象だったからだ。
【土】の神授を持つ親からは、【岩】や【金属】系の神授を持った子供が生まれやすい。だとすると茶色の髪をした親と、灰色や赤銅色の子供という家族が出来上がる。もちろん家族全員が【土】の神授を持つ場合もあるが、それは極めて珍しい出来事だった。だから八〇〇人を超える一族全てが同じ髪と瞳の色をしているなどということは、異常であった。
「おかしいだろう? お前は今日、宴の会場で一〇〇人以上の人間を見たはずだ。なのに黒い髪も茶色の髪も、青い瞳も赤い瞳をした者もおらず、全員が判を押したように金色の髪と金色の瞳をしているというのは」
「ちなみに、片方がどんな人種のどんな髪と瞳の色でも、リルヴ族との間には、必ず金髪金瞳の子供が産まれるのよ」
まるで呪いみたいにね、とライラは自嘲するように言い、余った酒を呷った。
「それは……どういう……?」
困惑しているトワに、親愛を込めて微笑む。
「同じなんだ」
「同、じ?」
「オレたちリルヴ族はお前と同じように帝国から逃げてきた――元々は、帝国の人体実験の被験体だったんだ」
「ッ!」
トワが絶句する。ライラとボルドラには、トワが帝国で実験材料にされていたことは伝えていない。だから帝国から逃げてきたという部分を共通項として捉えるはずだ。だがトワにとってはリルヴ族が自分と同じ、人体実験の被験者であることに衝撃を受けるだろう。
「ディグナ帝国の人体実験は、今に始まったことではなく――」
この世界の人間、一人一人に一つずつ与えられる神授。それを人為的に操作し、軍事利用しようと試みを、帝国は数百年以上前から続けていた。その中でも【雷】の神授は戦争に有用とされ、最優先で研究されることとなる。
あたかも家畜を品種改良するように人と人を交配させ、安定的に【雷】の神授を発現させる人間を作り出す。その試みは成功し、どこの誰と交わっても必ず【雷】の神授を持つ金髪金瞳の子を成す、戦争のためだけに創り出された人間達が誕生した。それがアスライたち、リルヴ族の祖先だった。
しかし彼らは命じられるまま戦争の道具にされることを拒絶し、研究施設を破壊。同胞と共に帝国から脱出した。それが一〇〇年前のことだった。
「オレたちの祖先はセイリーン山脈を越え、ストロキシュ大樹海のこの地に辿り着き、居住地とした。その時の指導者の名が『リルヴ』だ。彼を称えた祖先たちは、自らのことを『リルヴ族』と名乗るようになり、オレたちの祖となった。
トワ。お前は始祖たちと同じ境遇で、同じ道筋を辿り、今ここにいる。そんなお前のことをオレは、赤の他人とは思えないんだ」
トワの涙を指で拭う。
「お前に、我らが始祖・リルヴの言葉を贈ろう。『人の悪意によって生まれた、呪われた力を持つ我ら。しかしこの身には、人の心が宿る。呪われし力を人の心によって操るならば、それは呪詛ではなく祝福となる。まずは自らを祝福することから始めよう。この地で、この仲間と共に』。トワ、お前もここから始めれば良い。この地で、オレたちと共に」
「で、でも……私は、……わ、たしは…………」
「知っている」間髪いれずアスライは言い、トワの瞳を見つめる。「知っていて全てを受け入れよう。トワ、お前をオレの家族として」
「可愛い妹ができたわ」
「妹なら悪くない。姉なら考えものだが」
ライラとボルドラからも賛同を得た。
「……ひ……ぐ…………」
トワの顔が崩れ、とめどなく涙が溢れだす。
「う、あ…………ああああああん…………っ」
泣きながら、トワはアスライの胸に飛び込んできた。それが答えだった。言葉にならない思いを受け止めながら、アスライはトワの体をギュウッと強く抱き締め続けた。
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