きみに真実の愛を捧ぐ
鳴田るな
0.聖女の祝福
昔々、異世界から聖女がやってきた。
聖女は世の中にあまねく平和をもたらし、王子と結婚することになった。
ところが一人の悪女が、自分こそがお妃様になるべき存在だと主張した。
王子の幼なじみのご令嬢で、あの手この手で聖女と王子に嫌がらせを繰り返した。
彼女の実家もまた、異世界から訪れた正体不明の女を魔女と糾弾し、我が家の娘を王妃とすべく暗躍した。
その度重なる行いの陰湿さと執拗さから、ついに悪女は一族郎党と共に断罪され、処刑されることになった。
悪者がいなくなった世界で、聖女は王子と真実の愛を誓い、いつまでも幸せに暮らしたそうな。
めでたし、めでたし。
……ところでこの悪女は、燃える炎のような赤色の髪の持ち主だったらしい。
悪女のよこしまな計画を支援して皆殺しになった一族もまた、一様に赤い髪をしていた。
それで誰かが言い出した。
「赤い髪は悪の象徴だ」
「赤い髪の人間は、産まれながらに性悪だ」
「――だから、赤い髪の人間は、人間ではなく、悪魔なのだ」
誰もが信じた。悪女とその一族の顛末を見ていたから。
実際に一族の末裔かどうかは、もはや関係ない。
赤色は罪の証。断罪の理由。いつしかそれは常識となり、聖女の国の人間は、髪の赤い人間を人とは思わなくなっていた。
***
赤い髪の一族が断罪されてから百年以上経った後、また一人、不幸な赤髪の子どもが産声を上げた。
それなりに裕福な平民の家に生まれた彼は、両親から「エイデン」と名前を与えられた。
エイデンは最初、自分が赤い髪であることを知らなかった。両親が毎日、息子の髪を染めて真実を隠していたのだ。
両親も、その両親にも赤い髪の人間はいなかったから、おそらく先祖返りだったのだろう。あるいは誰か、赤い髪を隠して結婚した人がいたのかもしれない。
エイデンが物心ついてまもなく、二人は揃って事故で死んだ。突然の不幸に呆然としているうちに、エイデンの髪は元の色を取り戻していく。すると彼の人生は、それまでとまったく異なるものになった。
今まであんなに優しかったお隣さんも、訃報を聞いて駆けつけた親戚も、エイデンが赤い髪であるだけで嫌悪し、軽蔑し、恐怖のまなざしを向けてくる。
「騙していたな!」
「嘘つき一家め!」
「悪魔の子どもを育てた親も異端者だ、地獄に落ちろ!」
親しき他人達はついに、平気な顔で故人への罵倒も口にするようになった。家も墓も荒らされ、詐欺師に騙された迷惑料とばかりに、遺産は全部持って行かれた。エイデンの手元には、ついに形見の一つも残らなかった。
そしてエイデン自身は最終的に、孤児院に厄介払いされた。
身寄りのない子ども達のたまり場でも、赤毛を温かく受け入れる人はいない。
むしろ暗い鬱憤のはけ口として、エイデンは格好の的になった。
エイデンは嘆くことも恨むこともなく、日々を静かに淡々と生きていた。あまりに何もかもが変わりすぎて、何かを考えること、感じることに疲れてしまったのだろう。
彼の心は凍えきっていた。再び火を灯す出会いが、十歳の年に訪れるまで。
***
エイデンがいた孤児院には、とある伯爵家が寄付を続けていた。
この伯爵家には、ユリアという一人娘があった。
艶やかな黒い髪に愛らしい顔立ち、小柄で華奢な体つき。性格も明るくて素直。
エイデンとは真逆の、誰からも愛される特別なお嬢様――それがユリアだった。
ユリアはある日、伯爵夫人に連れられて、孤児院にやってきた。母親の慈善活動の見学、あるいは手伝い、といったところだったのだろう。
孤児院の大人も子どもも皆、一目でユリアに夢中になった。こぞって気を引こうと押しかけ、我先にぺちゃくちゃと話しかける。
ユリアは花のような笑顔を皆に向けていたが、ふと視線を動かした折、他の子とは何か違う雰囲気を持つ子がいることに気がついた。
――そう。エイデンだ。
エイデンは目立たないよう、頭に適当な布を巻き、物陰からこっそりとユリア達の様子をうかがっていた。
彼は普段なら、伯爵家が来ても、もっと奥に引っ込んで出てこない。余計なトラブルを避けるためだ。最初に伯爵家がやってきた時は、大人から、「うちに赤毛の子がいると知れば、支援を打ち切られるかもしれない」と倉庫に閉じ込められて外から鍵をかけられた。
けれどエイデンが無気力で無抵抗だったから、この頃には彼をわざわざ監視するような人間はいなくなっていた。空気として生きていた彼だが、伯爵家秘蔵の美少女が来ると噂を聞きつけたら、多少の興味は抱かずにいられなかったのだろう。
ユリアはハシバミ色の目を持つ男の子にも、にっこりと笑って見せた。
視線が合ったことに気がついたエイデンは、慌ててその場から逃げ出す。今までの経験上、のぞき見なんてばれた場合、ろくな目には遭わなかったからだ。
しかしユリアは驚いた。笑みを向けた相手に逃げられたことなんて、はじめてだったのだ。
自分は何か、気分を害するようなことをしてしまっただろうか? 顔や頭を探ってみるが、おかしなものがくっついてるようでもない。
ちらっと周囲を見回せば、子ども達はユリアを巡って口論を始めていた。
ユリアが微笑んで話を聞いてあげると、その人は幸せな気持ちになるらしい。でも、ユリアは一人しかいないから、話を聞いてあげられる相手は限られる。すると皆が自分の話を聞いてもらおうとして、いがみ合いを始めることがある。
ユリアが皆で遊ぼうとか提案すれば、それで収まる場合もある。
だけどうまくいかない場合、誰に微笑むのか選択を強要される。誰も選べないと答えれば、今度はユリアが責められる側になる。
こういうときうまく取りなせる母は、大人達と話していて、この場にはいない。
ユリアはこっそりとため息を吐いた。また皆に嫌な思いをさせてしまっているけれど、止めようとしたら自分が悪者にされるのだろうか。
ふと、先ほどパタパタと奥に駆け込んでいった男の子の姿が浮かぶ。
――あんな風に、逃げてしまうなんてどうだろう。
そうだ、元凶がいなくなってしまえば、争う理由だってなくなるはずではないか。
ユリアは隙を見て、こっそり抜けだしてしまうことにした。
子ども達は、取っ組み合いを始めていた。もはや誰も、
伯爵令嬢は初めての不良行為にどきどき胸を高鳴らせながら、人のいない静かな廊下を歩いて行く。
程なくして、建物の裏口まで辿り着いた。
そっと扉を押し開けて外に出ると、曇り空の下、褪せた色の草木が生い茂っている。
見回してみると、どうやら獣道のようなものがあった。
普段であれば、わざわざ枝を押しのけて、草木の間なんかに入ったりしない。けれど今日のユリアは、いつもより大胆になっていた。
ユリアが枝をかき分けて進んでいくと、まもなく視界が開ける。
どうやら秘密の庭園だった。庭園と呼ぶには寂しいものだけど、今まで通ってきた場所に比べて、明らかに人の手が入っている。
そこにはぽつんとたった一人、男の子がいた。見たことのない、燃える炎のような鮮烈な髪色の子だ。灰色の曇り空の下で、赤色はよく映えた。
(綺麗な色……)
ユリアはうっとり魅入ってから、後ろに手を組み、男の子が振り返るのを待った。
しかし彼は黙々と土をいじり続け、顔を上げる素振りを見せない。
じれったくなったユリアは、こちらから話しかけてみることにした。
「ここでなにをしているの?」
エイデンは飛び退くようにして振り返った。
褪せ色の草木があるだけのつまらない場所には誰も興味を示さず、だからここは彼の小さな秘密の庭園だった。
その場所に、よりによって伯爵令嬢が立っている。とても現実のこととは思えない。呆然とするあまり、彼女をこれでもかというほど見つめてしまう。
ユリアの目は青く、よく晴れた日の青空を映す湖面のようで、きらきらと美しい輝きを放っていた。
髪は艶やかに黒く長く、さらさらと風に揺れる。
肌は真っ白だったが、病的ではなく、頬の辺りなどが所々ほんのり薔薇色に染まっていた。
手足はすらりと伸びて華奢で、均整の取れた体つきに見える。
こんな可愛い子がほしいと作ったお人形さんが、そのまま命を得て動き出した――エイデンのユリアに対する第一印象は、そんなところだった。
一方、ユリアはエイデンのただごとならぬ反応にびっくりしたように目を丸くし、それから困ったように眉を下げる。
「あ……ごめんなさい、勝手に入ってきてしまって。その、わたくし……」
伯爵令嬢は、自分の行動が相手を不愉快にさせたのかと思って、謝罪する。けれどすぐ、目の前の男の子がハシバミ色の目をしていることに気がついた。
「まあ! あなた、さっき見ていた子でしょう? どうして逃げてしまったの? 何か気を悪くするようなことをしてしまったのかしら」
エイデンは驚きと警戒心で、ユリアをにらみつけたまま、じり、と後ずさりする。
そしてこの頃になってようやく、相手を穴の開くほど見つめていたことに気がつき、ばつが悪そうに目をそらした。
「わたくしはね、ユリアと言うの。あなたのお名前は?」
ユリアは期待と不安に満ちた目で見つめ続ける。根負けしたのはエイデンの方だった。
「……エイデン」
「すてきなお名前ね。髪の色とぴったりだわ」
エイデンがいぶかしげな顔をすると、ユリアは首を傾げ、こう続けた。
「だってそうでしょう? “エイデン”は、燃えさかる炎って意味を持つ言葉だもの」
――ハシバミ色の目が、大きく大きく見開かれる。
エイデンの脳裏に、今は亡き両親の記憶が鮮烈に蘇った。
『エイデン……私達の愛しい子。いつかおまえに、すてきな秘密を教えてあげようね』
二人は優しい手で、何度も大事そうに息子の髪を梳いてくれた。
どうして忘れていたのか? どうして疑ったりしたのか?
彼らが息子の髪を染めていたのは、自分達の体面を保つためなんかではない。
もし本当に赤毛の子がいらなかったのなら、それこそ孤児院に預けるなり、あるいはもっと適当にその辺りに捨ててきてしまうなり、手放すやり方がいくらでもあったはずなのだ。
彼らが息子に真実を告げなかったのは、息子を愛していなかったからではない。
エイデンがある程度大きくなって、物事の分別がつき、自分の秘密を自分で守れるようになってから――真実を教えてくれるつもりだったのではないだろうか。不慮の事故で、かなわなかったけれど。
ああ、あの日家族とともに、何もかもすべて失ったと思っていた。
けれど、名前を――両親が確かにエイデンの誕生を祝福してくれた証を、こんな風に遺してくれていただなんて。
「……どうかしたの?」
雷に打たれたかのように硬直するエイデンに、今度はユリアが眉をひそめる。
エイデンははっとして、乱暴にごしごし顔をこすった。
「……なんでも、ない」
「本当? わたくし、なにかあなたの気分を悪くするようなことを、してしまったのではないかしら」
「そんなことは……」
むしろ逆だ。エイデンは、すっかり燃え尽きた灰の中から、まだ懸命に燻る小さな火を見つけたような気持ちになっていた。けれど気持ちを押し殺す癖がついていたから、態度まで急変するわけではない。
一方のユリアは、とりあえず嫌われてはいないらしいと、ほっと胸をなで下ろす。そしてこの、他とは違う不思議な雰囲気を持つ男の子に、もっと興味を抱いた。
「エイデンは、おしゃべりってきらい?」
「別に……きらいでは、ないよ」
「よかった。あのね、わたくし、あなたみたいな人、はじめて。もっとお話ししましょう?」
エイデンはユリアのことを、けして歓迎している様子は見せなかったが、強く拒むこともなかった。
彼女からは悪意の欠片も感じられなかったけれど、何しろ別世界の人間なのだ。どうして自分なんかに構い続けるのだろうと、困惑している所が一番大きかった。
「ユリア! ユリア、どこにいるの。出ていらっしゃい!」
ユリアがおしゃべりを続けている間に日は傾いていき、ついには伯爵夫人が娘を探す声が聞こえてくる。彼女は慌てて立ち上がった。
「いけない、もう帰らなくちゃ! ね、エイデン。わたくし、今日はとても楽しかったわ。また会いに来てもいい?」
エイデンは眉をぎゅっと寄せたが、結局は一言、小さくこう返した。
「……きみがそうしたいなら」
ユリアは花のような笑みを浮かべた。誰もがほしがって、時に奪い合いすら始める、あの人を幸せにする笑み。
そして名残惜しそうに何度もエイデンの方を振り返りながら、彼女の世界に帰って行った。
エイデンがユリアとの時間を楽しんでいなかったと言えば、それは嘘になる。本当に再会を望んでいなかったなら、もう来るなとはっきり告げていたはずだった。
けれど人気者の伯爵令嬢と嫌われ者の孤児とでは、何もかもが違う。引く手あまたのお嬢様は、きっと毎日が楽しくて、今日ちょっと会った変な子のことなんか、すぐに忘れてしまうことだろう。
そもそも彼女は箱入り娘だから、赤毛の一般的な扱いを知らなかっただけではないのか。もし自分が話した相手が人間扱いされない悪魔と知れば、もう二度と会わないか、会っても他の人と同じような態度になるのだろう。
だからエイデンはあまり、”次”の期待をしていなかった。
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