光と色のバランス
冷やし中華始めました、という対岸の店ののぼりを見る。この日本で一番早いのでは、と雪柳はぼんやり思った。
横から見ず知らずの男性が話しかけてくる事から気を逸らすための行為だ。チケットを取っている目白を待つのに、館内を出たのが裏目に出た。反応したら対応に長引くことは分かっていて、相手が諦めて去るか逆上して去るかのどちらかを待つ。
「おーい、聞いてんの?」
手首を掴まれ、意識がこちらに戻る。
「あの……」
「雪柳」
傍から聞こえた声に、顔を上げた。いつかもこんなことがあったな、と思い出す。思い出す間もなく、男が舌打ちをして去っていく。
「絵に描いたようなナンパだな」
「チケット取れた? お金」
「後で良い。後ろの真ん中」
「さすが目白。最高」
チケットをしまい、目白は対岸ののぼりを見た。
「冷やし中華って、早くね」
その言葉に雪柳は可笑しそうに笑った。
結局、二人してその早すぎる冷やし中華を食べたのだが。
「目白はGW実家帰るの?」
「一回は帰る。樋野家とのバーベキューがあんだよ」
「仲良いねえ」
「藤乃ちゃんも来て良いわよ」
「アウェー過ぎない?」
「いや、樋野家は誰でも歓迎する」
「樋野はどうでも良いだけだと思う」
「あれの姉貴がコミュ力お化けだ」
「想像が……つくような、つかないような」
猫を愛でる無気力な樋野と、喋りまくるその姉。雪柳は顎に指を当てた。
目白は映画チケットを雪柳に渡す。それを受け取り、時計を見上げた。まだ少し時間がある。
ふらりと目白の歩く方向へ、コガモのようについていく雪柳。ゲーセンへ入った。
「プリクラ撮るの?」
「撮りたいのか?」
「全然」
「なら何故訊いた……?」
「アイスある!」
フローズンと書かれたアイスのクレーンゲーム。雪柳は躊躇いなく財布から百円玉を取り出した。
やるのか、と目白は横からそれを見る。
「ユッキー頑張って」
「もっとちゃんと応援して」
「さんさんななびょーし!」
「目白ちょっと煩い」
コインを落として、雪柳はそれを制した。解せないが、目白は黙ることにした。きちんとカップアイスを掬い、あとは落とすタイミングだけだ。
ごとん、とアイスがタイミング良く落ちる。ピポーン! と明るい音楽が流れ、取り出し口からカップアイスを出した。
「お前、すごいな」
「もう一個取る?」
「いや、一つで充分」
映画の時間も迫っているのだ。これを食べていれば時間も潰せるだろう。
横に設置されていたスプーンを二本取り、ゲーセンを出た。
ベンチに座り、ひとつのカップアイスを開いて二人で突く。
「目白は気になる子いないの?」
「なんだその母親みたいな質問は」
「江長ちゃんの学部に可愛い子居るんだよ」
「お見合いさせる気か」
「えー面倒くさいからパスだなあ」
「お前が言ったんだろうが」
雪柳はスプーンを咥えて目白の顔を覗いた。その視線に堪えかねて、目白は静かに逸らす。
「いるよ、気になってる奴」
「え、そうなの? 誰?」
そう飛んでくるよな、と分かっていた。小さく息を吐いて、雪柳の方へ顔を向ける。
その白い頬に触れ、ぎゅっと伸ばした。
「いひゃい」
ふは、と目白が笑う。
雪柳はそれを見て、目を瞬かせる。きらきらと、何かが光った。何が光ったのか。
じっと目白を見るが、先程と何も変わらない。
「どうした?」
「いひゃい」
「あ、悪い」
頬がやっと解放された。さすさすと伸ばされたところを擦って直す。空になったカップを捨てた目白が戻り、映画館へ向かった。
「この前、江長に似た奴見たんだけど」
肉を食べながら樋野が深刻そうな顔をしていた。目白はその皿に乗る肉の量を見て心配げな顔をする。
「少しは野菜食えよ」
「もしかして江長って同じ大学?」
「ほら玉ねぎ」
網の上から焦げる寸前の玉ねぎを拾い、樋野の皿へと乗せた。オカンみは健在である。食べることしかしない未成年男子たちに火の管理は任せ、成人済の大人たちは木陰で酒を呷っていた。
専ら仕事の話と最近の情勢の話だ。
それから早々に出て、目白と樋野は肉と野菜を頬張っていた。
「もしかして幻覚?」
「どうだろうな」
「……知ってたな?」
「そういえば雪柳がさ」
目白はコップに烏龍茶を注ぎ、飲み干す。
GWは晴天が続いた。雪柳は実家に帰らず、バイト尽くしだと言っていた。「休みが被ったら遊びに行こうよ」と誘われ、二人とも用事がない日はどこかへふらりと出かけた。
「誰とも付き合ったことないって言ってたんだけど、本当か?」
「知らんしそれ俺の話より大事かね?」
「大事だろ? 江長が大学にいることより大事だろ?」
「マジかよ!?」
「いやでも、なんか濁してたんだよな……」
恋は盲目とはよく言ったものだ。
しかし樋野も樋野で自分のことしか考えていないので、この場に突っ込む人間はいない。
「仮にそれが江長だろうと、江長じゃなかろうと」
目白は樋野の話題へと変更する。玉ねぎを咥えた樋野が死んだ顔をしていた。
「関わらなければ良い話だろ。江長も関わってきてないんだから、そのまま放っておけば良い」
「……良くねえんだよ」
「あ? なんで」
「今度のチャリティーイベントの伴奏者、頼もうと」
「お前は馬鹿か。そんなの別のピアノ科の奴に頼め」
「やっぱりピアノ科に居るのかよ」
江長も高校では樋野と同じ合唱部所属だ。主に伴奏をしていて、大学では芸術学部のピアノ科に進んだ。
四人とも同じ大学へ進学しておきながら、四人揃ったことが無いのも奇跡的だ。目白は誤魔化すことを辞めて、樋野を見た。
「樋野は、江長とどうなりたいんだ」
「ピアノ伴奏してほしい」
「江長以外に弾けるのいるだろ」
「アイツのピアノが一番綺麗なんだよ。豊には分かんねえだろうけど」
「分かるか」
去年の今頃、江長は樋野に告白して玉砕している。その振り方も良くなかった。
――俺は江長の、ピアノしか好きじゃない。
男子も女子もドン引きした。勿論、江長はキレ散らかしていた。
そんな相手のピアノ伴奏を求める樋野もどうかしている。
「まあ……弾いてほしいなら土下座するしかないな」
目白は雪柳に「樋野が江長に気付いた」とメッセージを送った。
「土下座……するか……」
「樋野のプライドの在り処は」
「他の伴奏者を探すくらいなら」
「それもまたすごいプライドだけどな」
すぐに返信がきた。「江長ちゃんもこの前、樋野のこと見たって」
お互い、姿は認識してたらしい。それはもう、目白と雪柳にはどうすることも出来ない問題だ。
いやしかし、幼馴染が誰かに土下座する姿は見たくないものである。
「で、なんだっけ雪柳に彼氏がいた話?」
「いや、居なかった話だ」
「それが何だよ」
「でも男に振られたんだよ」
「すげえ、あの人ってどんな男がタイプなん」
確かに、それを考えたことは無かった。様々な男子に告白されて振っており、「好きとか信じられない」なりにもタイプはあるはずだ。
そもそも、何故、信じられなくなったのか。
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