惑いに花散らし
卒業式予行練習に眠そうな面々。実際、目白も何度か欠伸を噛み殺した。起立、礼、合唱、礼、着席の連続。
時折、前に座りながら眠りこける幼馴染の樋野を起こしたり、隣のクラスメートと雑談した。後ろからだと寝ている生徒がよく分かる。その中で、綺麗にぴんと伸びた姿勢。
「この前、担任に進学先の報告に来たら、ちょうど通りかかった空き教室で告白してた。お熱いね」
「冷やかしたんか」
「そんな空気読めなくないよ。しかも相手、雪柳だったし、ばっさり振ってたし」
体育館からぞろぞろと教室へ戻る途中、樋野が背中を丸めて歩く。だからブレザー着てこいと言ったのに、目白は息を吐く。
三月も中旬。まだ桜の開花宣言はない。
「あの人本当に告られてばっかだよね。男振るのが趣味ってマジなのかね」
「んなわけ……」
この前、教室で話したことを思い出していた。傷ついていたらしいが、目白には怒っていたように見えた。どうだろうか、傷つくのが趣味か、怒るのが趣味か。
ふと二階の渡り廊下から、体育館の陰で話す男女が見えた。樋野も同じく気付いて、手摺に腕を乗せる。
「噂をすれば」
「おー雪柳じゃん。相手誰?」
「あれバスケ部の高橋だ。まじか」
後ろを通ったクラスメートの男子たちも冷やかしに参加する。やめろよ、聞こえるぞと目白は咎めるが、肩を組まれ立ち去ることは出来なかった。
照れているのか、癖なのか、バスケ部の高橋はずっと手を項に置いている。雪柳は下を向いて視線を合わせない。
樋野と同じように、セーターを一枚羽織っているだけ。スカートがそんなにも短いのに、風邪ひくだろ……。と、やはり母親の目線だ。
怒っているようにも、傷ついているようにも、見えなかった。
高橋が手を下ろす。その手で雪柳の手首を掴んだ。背中のギャラリーたちが沸く。
「お、迫っちゃう?」
「野獣かよ」
完全に見世物になっていた。
目白は手摺から身を乗り出す。うお、と肩を組んでいたクラスメートが驚いた声を出した。
「雪柳ー! ヤマセンが呼んでるぞ!」
その怒鳴り声にも近いような目白の声に、ぱっと雪柳が顔を上げた。高橋の手が離れる。白い肌に光が当たって、更に白く見える。そして、瞳に光が入った。
渡り廊下にいた男子たちが恋に落ちた、美形。ただし、目白を除いて。
「すぐ行く」
返事が聞こえて、雪柳は校舎へと入って行った。
高橋が渡り廊下の方を見上げた。目白はするりとその場から抜けて、廊下を歩いていく。横にいつの間にか樋野が並んでいた。
「ヤマセン呼んでんの?」
ヤマセンは三年C組の担任、山吹先生の愛称だ。
「さあ?」
「豊ちゃんって雪柳のこと好きなの?」
「いや、顔がタイプじゃない」
「人の恋路を邪魔すると馬に蹴られんよ」
「邪魔はしてねえよ。でもあんなところに居たら風邪ひくだろ」
まあ、それもそうか。樋野は背中を震わせた。確かに寒い。
トイレに行った樋野と別れ、目白は教室へと入ろうとした。どん、と肩に人がぶつかるまでは。
驚き立ち止まり、そちらを見る。
肩に人の額が埋まっていた。
「ゆたぽん」
「それゆたんぽみたいだから辞めろ」
「ゆたかママ、ヤマセンどこ?」
埋まっていたその人は、雪柳だった。
緩いセーターを着ていて、寒そうだ。
「知らね」
「呼ばれたのになあー、居ないなら仕方ないよねえ」
「そうだな。お前ブレザー着ろよ、寒そう」
「うーん、忘れた。朝暖かかったから」
額が離れ、ふふ、と笑う顔。それを見ると、気が抜けた。
先程の緊張感はどこへ行ったのやら。
傷ついているようにも、怒っているようにも見えなかった。手首を掴まれ、視線を地面に固定し、まるで、怯えているような。
それが見えてしまったら、呼びかけずにはいられなかった。
雪柳は手を後ろで組み、るんるんと教室に戻っていく姿を見れば、先程のは幻に見えるが。
バタバタと後ろから足音がして、振り向く。
「目白! お前ずるいぞ逃げて!」
「あ? 悪い、樋野がトイレだって言うからさ」
「樋野は子供か! それとも爺ちゃんか! 高橋からめちゃくちゃキレられたわ!」
当たり前だろ、あんなとこで冷やかしてりゃ。と、喉元まで出たが、雪柳に呼びかけたのは他の誰でもない、目白なので黙る。
悪かったって、と謝罪をしながら教室へ戻った。
卒業まであと三日。黒板の端っこでカウントダウンが始まっている。窓の外が暗くなり始めたのを見て、雪柳は鞄を持った。
昇降口へ来る頃には本降りになっており、ざーざーと雨が地面に落ちている。ついてないな、と思いながら入り口付近で立ち止まった。
今日は部活動休止の日らしく、生徒は殆ど残っていなかった。今、雪柳がいるのが最後なのではないか、と考えもおかしくないくらいには、校舎は静かだ。
ちら、と傘立てを見るが、流石にそれをやって帰る度胸はなく、良心はあった。雪柳は足元から蔓延る冷気に身体を震わせる。ブレザーを着てくるべきだったと後悔。
この前、それを目白に言われたな、と思い出す。
先程言われた告白の内容を思い出すより、容易い。二年の男子だったが、名前も知らず、そして先に出て行った。雨が降るのを知っていたのだろうか。そうだとしたら、中々の策士だとは思う。
十分以内に誰かここを通ったら、傘に入れてもらう。そうでなければ、事務室に行って傘を借りよう。
校舎側へ引っ込み、空を見上げる。
桜を散らすような雨。もっと沢山降って、全部全部ぐちゃぐちゃにしてくれれば……。
「雪柳?」
声をかけられ、振り向く。自分の靴箱を開ける目白の姿。
なんでいるんだお前、と言いたげな表情。
「また告白されてたんか」
「御名答。あと雨も降ってきた」
「それで傘も忘れたのかよ……」
「朝は晴れてたんだもん」
「お前、ブレザーもまた着てねえし」
はあ、と溜息を吐く目白。そういう当人は暑かったのか、ブレザーを手に持っている。それを差し出した。
「着ろ」
「目白が寒いじゃん」
「さっきまで資料運んで暑かったんだよ。お前、駅だよな?」
鼻を啜りながら頷く雪柳は、目白のブレザーに袖を通す。
傘立ての傘をひとつ取り、広げた。大きな蝙蝠傘に雪柳を入れ、校舎を出る。
「俺が通らなかったらどうしてたんだ?」
「事務室行って傘借りるか、通った人に入れて貰おうと思ってた」
「発想がすげえな……」
男子なら十中八九入れて貰えるだろう。何故ならあの雪柳だ。男を振るのが趣味という……そうは見えないが。
コミュニケーション能力が高いというよりは、相手の懐に入るのが上手いのだろうか。目白は雪柳を見る。いや、美形だから話しかけられた相手がそもそも下手に出ることの方が多いのか。
確かに、この顔ににこにこと笑いかけられれば嬉しいとは思うのだろう。
「目白はまた生徒会に押しかけてたの?」
「資料整理が終わらないって招集されたんだよ」
「慕われてるなあ。目白の良いとこだよね」
羨ましい、と続いたことに驚き、立ち止まる。一歩前に出た雪柳は気付き、そこで立ち止まり雨に濡れる。
すぐに目白は傘を差し出した。次は自分が濡れる。それが可笑しかったのか、雪柳は楽しそうに笑った。
「私さ、人から好きって言われても信じられないんだよね」
笑いながら言う。
その言葉に、目白は黙る。
「顔が好きとか、性格が好きとか色々言ってもらえるけど、ひとつも信じられないの」
黙って、ブレザーから覗く雪柳の手首を掴んだ。
バスケ部の高橋と一緒の行動。あの時、雪柳は怯えたように下を向いていた。
今はどうだろうか。手首から雪柳へと視線を移す。
きょとんと目白の顔を覗いていた。
「目白?」
心配してるのはこっちだ、と目白は口を開きたくなる。心配そうな顔をして、雪柳は瞬いた。
漸く分かった。あの時、怯えていたように見えた理由。
他人の好意に怯えていたのだ。未知で、勝手で、こちらの気持ちなんて関係なくぶつけられる。その気持ちの大きさに、恐ろしくて、嫌で、それに怒って、傷ついて、怯えた。
それでいて尚、どうして笑ってそんなことが言えるのか。
「卒業するまで、付き合うか」
傘がないと、上着がないと、雪柳が困って佇むだけなのを見るのは嫌だと、目白は思った。
これがお人好しだと言われても別に良い。他人に何と言われようと。
「え、なんで?」
「お前の告白され防止」
「いや、あと三日だし」
「じゃあ三月終わるまで」
言葉に意思の強さを感じ、雪柳は言い返す勇気を奪われた。
「嫌ならちゃんと断れよ」
数々の男子生徒を振ったように。
怯えるが、それを振り切る覚悟はあるのだ。目白に対しても同じである。
雪柳はぱちくりと大きな目を瞬かせ、目白を見上げた。
「目白って、私の顔タイプじゃないよね?」
「それ前も言ってたけど、よく知ってんな」
「樋野が教えてくれたの」
「あいつ……」
「好きより、嫌いの方が信じられる」
ふふ、と笑い、雪柳は目白の隣に立った。
「じゃあよろしく、ゆたぽん」
「その呼び方やめろ」
雨音は、全てを連れ去っては行かなかった。
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