KMC

一七

第1話

2299年。


 ピピ……ピピ……ピピ……ピピ……ピピ……ピピ……——


 ねえ、泣かないで。そんな顔しないでよ。せっかく心の準備ができていたのに、このままじゃ僕……。いつもの君の笑顔が見たいな。なんて、そんなこと言ってたら僕の涙腺も危なくなってきちゃった。ねえ、気分転換に昔話でもしようか。

 窓の外から雨の音が聞こえる。君と出会った日も、今日みたいな天気だったよね。全身ずぶ濡れの僕に、傘をさしてくれた。それから、自分が濡れちゃうことなんてお構いなしに、僕をシャツに包んで家まで連れて帰ってくれたっけ。お風呂に入れてくれたり、あったかいご飯を食べさせてくれたり、ドライヤーは嫌いだったけど、君が僕の身体を吸ってくれるのは好きだった。

 君と僕との共同生活。夜になると、君がよく見ていたDVD。うさ耳の付いた灰色の大きな生物が、どんぐりを持って来る話。僕、あれがまた見たくて、この間ケースを開けようとしたんだけど、無理だった。君みたいに指先が器用だったらよかったのに。お風呂上り、君が僕のことを撫でながら映画を見る時間、大好きだったなあ。

 誕生日、君がケーキを買ってきてくれた。魚の形のクッキープレートが乗っているやつ。『HAPPY BARTHDAY‼』の文字は、君がチョコペンで書いてくれた。僕、嬉しくって、ご飯を食べた後に、一瞬でペロリしちゃった。だって美味しかったんだもん。今年は一緒にケーキを食べようって話していたのに、約束、守れなくてごめんね。

 すき焼きとか、おでんとか、蕎麦とか、君は開いた雑誌を指さしながら、嬉しそうに僕に話しかけた。魚介ばかりだった僕のご飯に、新しいメニューが追加された瞬間だった。でもね、僕の一番の大好物は、週末になると作ってくれる、君の手作りのささみサラダ。夜ご飯の余りで作るから、君が嫌いなニンジンがたくさん入っているんだ。普段野菜はあまり食べないから、別にいいんだけどね。

 あ、あの日の事は覚えてる? 君が泣きながら帰ってきた日のこと。今日とは真逆の、良く晴れた日だった。悲しいことがあったんだよね。あんなにくしゃくしゃな君の顔、始めて見たよ。電話越しに女の人の声が聞こえた。僕、なんだか場違いな気がして、君に近寄れなかった。話が終わると、君はポケットに入れていたものを思い切り投げた。カツンッと壁にぶつかって、それが僕の足元まで転がって来たんだ。キラキラ光った銀色のリング。なんだかおいしそうで、僕、それ食べちゃったんだよね。そしたら君は慌てて僕を病院へ連れて行った。『コンヤクユビワ』って言うんだっけ。お医者さんに薬を飲まされて、うんちと一緒にそれを出した。僕が食べる前の輝きが、ちょっと無くなっていた。

「ま、いっか。捨てる予定だったし」

 そんな君の吹っ切れた声が聞こえたよ。

 それから一緒に居る時間が増えた気がする。おもちゃを買いに行ったり、お庭でプールに入ったり、公園へ散歩に行ったり。お茶会にも行ったよね。僕たちの仲間がいっぱいいてさ。自己紹介のとき、君が緊張で噛み噛みだったの、よく覚えてる。そのあと話しかけてくれた、隣の席の女の子。君、ちょっと気になってたでしょ。もっと話しかければよかったのに。きょどっちゃってさ。ま、僕は前に座ってた子がお気に入りだったんだけどね。

あとあと、河川敷で出会ったお姉さん。ほら、ハンカチ拾ってあげた人だよ。あの人、美人だったよね。まさか君の元ガールフレンドだったなんて驚き。ぷぷぷ。ああ、ごめんごめん。この話はNGだったね。そんなに怒らないでよ。君にはもっといい人がいるよ。君の魅力に気づいてくれるかわいい女の子が。僕は君の事大好きだよ。だって、ずっと一緒に居るんだもん。君の良いところ、無限に言えるね。君は優しい。家族想い。料理が上手。かっこいい。え、不細工って……僕、君の笑顔が大好きなんだけどなあ。って、まーたそんな顔する。スマイルスマイル。

 僕が吐いた日。コンヤクユビワを食べちゃったときみたいに、君は急いでお医者さんの元に連れて行ってくれた。とっても苦しくて、痛くて。頭がくらくらして、前が見えなかった。でもね、君と一緒だったから、大丈夫だったよ。

 注射を打たれて、僕は眠ってしまった。だから、そのときのことはよく覚えてないんだけど……。目が覚めるといつもの家に居て、君がソファに座って眠っていた。僕が起こしに行くと、君はそっと僕の身体を撫でた。目が少し赤く腫れていたのは、気のせいじゃないよね。

 その日から、ご飯の後に必ず、苦いジュースを飲まないといけなくなった。月に一回の注射。僕はそれが大嫌いだったんだけど、君が手を握ってくれていたから、頑張れた。徐々に動かなくなっていく身体。自分でも、何かが僕をむしばんでいくのが分かった。散歩へは行かなくなった。ううん、行けなくなった。プールにも入れなくなった。おもちゃで遊ぶこともできなくなった。眠っていることが増えたな。毎日することは、ただじっと、君が帰ってくるのを待っているだけ。そう、今みたいに、横になって。

 眠たいなあ。今にも瞼が閉じそうだよ。でも、これで最後だから。もう少し君の顔を見ていたい。

 もう、全然笑わないじゃないか。君の笑顔を見てからじゃないと、僕、死にたくても死にきれないよ。

 猫が寝ころんだ!

 って、その顔は何だい! これ、君が教えてくれたダジャレだよ。そんな目で見なくたっていいじゃない。ふふ、いつもの調子が戻ってきた気がする。もっとこうして、君と話していたいな。でも、ごめん。そろそろ限界かも。

 最後にこれだけは言わせて。

僕のこと、拾ってくれてありがとう。一緒に居られて幸せだったよ。

……あ! そうそうその顔。君はやっぱり笑った顔が一番かっこいいよ。最後に君の笑顔が見られて良かった。

それじゃあまたね。お元気で。生まれ変わったら……また……君といっしょに……。


「にゃ……ぁ……」


ピー……ピー……ピー……ピー……ピー……ピー……——


虚しい機械音だけが鳴り響く。いつも隣で立てていた静かな寝息は、もう聞こえない。

「うっ、うっ……」

 小さな頭に付けられた、コードがたくさんついた被り物。そこに刻まれた『KMC』の文字。

「気持ちよさそうな顔だ。よっぽど愛されていたんでしょうなあ」

 コードを一つ一つ外しながら、医師は言う。確かに、死んでいるとは思えない。いつもの穏やかな笑顔。

「ありがとう……」

 俺は小さく微笑んだ。ふわふわした柔らかい頭を撫でる。まだ少し、温かい。

「今後のことは、担当に。今日はゆっくり休んでください」

「はい……」

 お辞儀をして、何もない殺風景な部屋を出た。外には数人の研究員。バインダーを持ちながら、ヒソヒソと何かを話している。俺は頭を下げながら、今いた部屋の前を通り過ぎていく。下を向いていると涙が止まらなくなりそうで、でも泣いている顔を見られたくなくて、思わず唇をかみしめた。

「じゃあ、また」

 潤んだ瞳を袖で拭う。大丈夫、まだ俺の心の中に……。


『君がいるよ』


 2298年。動物と人間が会話をすることができる機器、『KMC』が開発された。これを家庭用に導入するため、翌年から動物病院での実験を開始。安楽死を行う際、飼い主と動物の最後の思い出として、希望者に限りKMCの使用が行われるようになった。

 そして今日、都内某動物病院で最終実験が行われた。来月から家庭用での使用が許可される予定だ。

人間と動物が『気持ち』を共有できる時が訪れる——。

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KMC 一七 @hina_0107

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