第38話 降臨・殲滅の向こう側


 しかし偽静流の持つ銃から、硝煙は上がっていない。


 むしろ、彼女は撃たれた側の被害者であり……


「な……なぜ……?」


 ゴポリと血を吐きながら、瞳を潤ませて偽静流は背後を振り返った。


 そこには同じように拳銃を構え、能面のように無表情な白面孝太郎がいる。


「何で、だと? ふっざけんな……ふざけんなよ! このっ偽物女がぁァッ!!」


 途端に歯をきしらせながら、怒り狂いだす孝太郎。

 愕然がくぜんとする偽静流に向け、続けられる発砲。発砲。発砲。

 合計四発もの凶弾に撃たれた偽静流は、絶望的な表情を浮かべながら……血飛沫を上げ、どうと崩れ落ちた。


「…………」


 辺りを支配するのは、再度訪れる静寂。

 しかし今度は孝太郎が白目をむき、発狂しながら絶叫を上げる。


「ヒハッ、ひゃはははハハッ! ああぁァア!! おいおいおいおいッ! 何だよ何だよ、何なんだよォ!? じゃあなにか? 僕は今まで静流じゃない女を静流だと思いこみ、夏也にずっと優越感を抱いていたってワケェ!? っざっけんじゃねえよ、このパチモンがァッ! じゃあ何? 僕はとんでもないピエロだったってことになるじゃん!? なら、僕のこれまでの青春は何だよ!? 今まで感じた胸のときめきは何だったのサ!? くだらない……くだらないくだらない!! 何てくだらない日々を送ってたんだよ僕ぁぁァア!! あぁアアア……ちくしょうッ……ちくしょうちくしょう! チクショウめーーーーーーッ!!」


 孝太郎の咆哮。

 今までの奴の人生価値は、俺からシズ姉ぇを寝取ったという優越感からくるもの。

 プライドの塊である孝太郎がそれを全否定された今、その衝撃は計り知れないものがある。


 やがて孝太郎はひとしきり絶叫したあと、両手を広げて爽やかな笑顔になりながら本物のシズ姉ぇの方を振り返った。


「さあっ! これで偽物は消えたよっ? あ~良かった~! 僕の好きな静流はやっぱり世界に一人だけだよね! だからサ、ほら……今まで通り、また僕のところに戻ってきておくれ? 僕の静流ゥ~っ!」


「孝太郎……あなた、クレイジーだわ」


 完全なる狂気の微笑み。

 孝太郎はこれで、今まで通りの日常が戻ってくると思っているのだろうか?

 おそらくは心底そう思っているであろうその温度差に、寒気を感じずにはいられない。


 ――クックック……。


 しかしそれ以上に不気味な声がこだまし、凄まじい悪寒が全身を走り抜けた。

 まるで背骨の代わりに氷柱つららを差し込まれたかのような、身体を凍てつかせる感覚。

 俺は緊張で、身体がこわばるのを感じた。


 ――あァ、愉快愉快。これで茶番も終わりだな……。


 そう言ってむくりと立ち上がるのは、先ほど射殺された紛れもない少女の死体。


「う、嘘……!」


 シズ姉ぇが口元を抑えて絶句する。


(やはりな……)


 だが、俺は予測していた。

 予測していたからこそ、あの時俺は……

 MASKの本社ビルに突入してを殺そうと思ったのだから。


 しかしそれはシズ姉ぇ……彼女が変身している俺によって妨害された。

 今まで何度かチャンスがあっても、俺がシズ姉ぇを元に戻せなかったのは……得体の知れないが身近にいて、警戒していたからに他ならない。


 背を向けていたシズ姉ぇ達はきっと気がついていなかっただろう。

 俺がシャドウとして公園やトンネルでシズ姉ぇと遭遇したときも、が、醜悪な笑みを浮かべて俺を見つめていたから退かざるをえなかったことを。


「化かし合いは終わりか?」


 俺の声に、ゆらりと中空に浮いた死体……偽静流は、ニタァと笑って返す。


『クックック……。なかなか上々であったであろう? 我の演技は……』


「え、演技!? あなた……いったい!?」


「シズ姉ぇ、さっきシズ姉ぇはコイツが暗示になんて掛かっていないって……そう言おうとしたんだよな? 正解だよ。コイツは決してだれかに洗脳なんかされちゃいない。ハナからすべて、んだからッ!」


 暗示ではない。つまり最初から意図的に芝居を打っておけば、〈自意識セルフ〉を呼び覚ます技など、通じるはずもないのは当然だったのだ。


『いかにも。自己紹介が必要かな?』


「喚んでもいないのに現れるな。〈悪魔〉……いいや〈ゼノサイド〉ッ!」


 契約によって現れた、異次元生命体。悪魔。

 この世とは異なる領域に住まうモノ〈XENO=SIDE〉

 世界に存在するが、実在しないモノにのみ受肉する、架空の情報生物。

 ゆえに、コイツが隠れみのにしていた器こそが……

 この世に存在するが、現在この世には実在しない者……

 すなわち『月影静流』本人だったのだ!


 真・静流……シズ姉ぇの覚醒によってカタチが保てなくなったのか、偽・静流はグニャリと姿を変え、見る見るうちに変貌する。

 今度のその姿は……まるで大理石で彫刻されたかのような神々しい天使の外観へと変わり果てていた。


『我が名は〈プエル・エテルヌス〉。まさか気が付いていたとは……なかなかさといな、ニンゲン。しかし実に面白い余興であったぞ? 我も人間賛歌にんげんさんかを楽しめたというものだ』


「お、お前……お前が、まさか悪魔ぁ!? 僕に使い魔を差し出した、あの時の悪魔だったのか!?」


 孝太郎は目を見開きながら愕然としている。


しかり然り。前回は単純な怪物であったゆえ、見苦しい姿を晒しました。我が貸し与えた道化師の王冠……使途どもの扱いはいかがだったかな? 主どの』


「ふ、ふざけんな! お前……全部僕に嘘ついてやがったんだな! 僕はお前のことをてっきり静流だとばかり……!」


『夢が見れたなら良いでしょう? ……さて、主どのと交わした誓約の内容ですが』


「……あっ!」


『クックック。世界平和成就のために、一切ヒトを傷つけぬという約束……でしたな? ……ああ痛かった。痛くて痛くて痛くて、思わず四回も死んでしまったではありませんか』


「そっ、それは……お、お前が僕をあおったからだろ!? さっき静流を殺そうとしてたじゃないかよぉ!」


『クスクス……。どのタイミングで扇動せんどうすれば、主どのが暴力に頼るかをじっくりと考えておりました。非暴力という崇高な理念を掲げ、己に酔いしれている者の化けの皮を剥ぐ瞬間。あァ、これに勝る愉悦ゆえつなどありますまい?』


「ぐぎぎ、ぎ。おォ、お前ェェ……ッ」


『それに主どの、よくご存じでしょう? ……“私は演技上手なのよ? 孝太郎っ”』


 悪魔……いや、天使の姿に変貌したソレはシズ姉ぇの声をそっくりに真似、とびきりの笑顔で答える。


『……では、契約に従い、主どのの御霊を頂戴いたします』


「ひぃぃい!! いやだぁ! やめて……やめてくれ……うわぁあぁああアア!!」


 天使の姿をした〈ゼノサイド〉は酷薄に微笑むと、しかし一度動きを止める。


『フム……命まで取るのは、やはりいささかペナルティがきつすぎるかな?』


「そ、そうだよ! 何でお前の姦計にハメられて殺されなきゃなんないんだ! 僕はそれまでうまくやっていただろう! 僕の野望を阻止するってのかよお前はァ!?」


『これは笑止な。我は元より主どのの野望が成就できるとは思っておりませぬ。理想を持つのは結構ですが、主どのでは器が小さすぎますゆえな……』


「なっ……何だとぉ」


『失望は期待が大きければ大きいほど効果が大きい。我の約束を裏切るのなら、まずは信頼を得るに足らん器になって頂かなければ困りますなァ』


 外見こそ美しい天使だが、〈ゼノサイド〉の言動はいちいち皮肉が掛かっている。


『道化たる主どのには、相応の罰で十分。二点ほど、呪って差し上げましょう』


「ひっ……い、いやだ……やめろ……ッ!」


『一つは、此度こたびの件に関するすべての沈黙。あらゆる手段、意思によって言外なされること、一切まかり通りませぬ。……さて、もう一つの罰は……クックック』


 天使の〈ゼノサイド〉はグンッと拳を握りしめると、何らかの呪いによって孝太郎の身体はビクビクッと痙攣する。


『主どのの夢の代償を頂きました。今後一切、主どののは永久に失われ、生涯劣情を催すことはありませぬ。どうぞ心おきなく賢者の気分をお楽しみください』


 ゲラゲラゲラと笑い続ける天使。

 孝太郎は、放心状態になったまま座り込んでしまった。

 不遜な笑みを浮かべる〈ゼノサイド〉は、改めてこちらを振り返る。


『さて、次は貴方の番だ……カール・ユング殿……』


「な、何……だと。私がいったい何をした、このバケモノめ!」


『そこにいる空木夏也の父君は、我と契約を結び〈仮面〉を作り出しました。誓約の内容はここでは言えませぬが、その正否を見届ける前に父君は亡くなってしまった……そしてその原因は貴方にある』


「し……知らん! 私はそんなことは全く知らんぞ」


『ニンゲンの社会では、責任というのが生じるのでしょう? ならば果たしてもらうのみ』


 次の瞬間、〈ゼノサイド〉は巨大な赤竜の姿に変身すると一呑みにユング大佐を食い殺す。


「ギャ……っ!」

 

 ぐしゃぐしゃと行われる凄惨せいさん咀嚼そしゃく

 両親の仇がいきなり死んだことよりも、目の前で行われる捕食行為に、俺は戦慄せんりつせざるを得なかった。


「ど、ドラゴン……!」


 天を覆うほど広げられた翼膜に、爬虫類を思わせる甲殻……そして鋭い二本角。

 西洋と東洋で多少の違いの差はあれど、これぞまさに世界中のだれもが知っているが見たことのない、“存在するが実在しない生物”の象徴的な姿だった。


『グルル。やはり“こちら側の住人”はいつも身勝手だ。有史以来、その本質は変わることがない』


 ギロっと竜の瞳に捕らえられ、背筋がすくみ上がる。


(ま、まさか、これほどの化け物だったとは……!)


 正直、倒せると侮っていた。

 しかしこの変幻自在の姿は、俺のそれよりも遙かに格上……。

 当然だ。元より〈ゼノフェイス〉の技術は、コイツからもたらされたもの。

 もし……もしも、あの時。

 シズ姉ぇが変身していた偽物の俺が妨害をしてくれなければ、戦いになった時に殺されていたのは俺だったに違いない。


「くっ……」


『さァて、あらかた片付けは終わってしまったな……。つまらん住人ばかりだ。いっそ使途共を引き連れ、“こちら側”を根絶やしにしてやろうか』


 竜がゲラゲラと哄笑を上げ続ける。


「そんなことは、させない……っ」


 俺は刀を握り、構える。シズ姉ぇだけは守ると、俺はそう決めたのだから。


はやるな、ニンゲン。元よりその気などない……そこの娘を見ていればな』


「え……。わ、私……?」


 シズ姉ぇが名指しされ、彼女が狼狽ろうばいする。


なんじは、確かに我を憎んでいたはずだ……。空木夏也という人間として、月影静流を。だが、殺されそうになった我を、汝は確かに守ろうとした。それはなぜだ?』


「そ、それは……だって……。うっ……わ、分かないわよ! そんなこと! けど、あの時はそうしなきゃダメだって……そう思ったんだから仕方がないじゃない!」


 憎い相手を守ろうとすること。

 それができたのは、ひとえにシズ姉ぇだったからこそに違いない。


『クカカカッ……あァ、これよ。これぞ人間賛歌。醜さだけではなく、美しく気高き面もあるからこそ“こちら側の住人”は面白い。ゆえに娘、汝の偉大さに免じて今回は去ろう……。また何かを、その時がくるまでな……』


 ドラゴンに変貌していた〈ゼノサイド〉はけたたましい咆哮上げる。

 そしてその姿はすさまじい光の奔流に包まれ、やがて霞のように消えていってしまった……。

 あとにはただ、閑散とした夜空だけが屋上を包み込む。


「――……終わった、のか?」


 ユング大佐の姿は跡形もなく、孝太郎ももはや生気が抜けたような有様になっている。

 彼らは嘘を吐いた。

 それが〈ゼノサイド〉により、粛正される要因となってしまったのかも知れない。


 俺とシズ姉ぇは目の前で繰り広げられた異常なでき事に固唾を呑みながら、ただ互いの身を案じ、手を握り合っていった……。

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