第一章 偽りの聖女姫

第1話 偽物聖女の舞踏会

「ねえ、みなさん、ご覧になって。『妖花の魔女』よ」


 くすくすと薄い笑みが漣の様に広がっていく。春の花々のような色とりどりの衣装がひしめく中で、私はひとり、真っ黒なドレス姿で歩いていた。


 聞こえてくる心ない言葉も、冷え切った視線も、表面上は気にしていないふりをして、婚約者の姿を探す。


 今日は「聖女クラウディア姫」の十八の誕生日を祝う夜会なのだ。ほとんどの貴族が招待される盛大な催しだった。


 夜会に招かれてしまったからには、婚約者のエスコートを受けないわけにはいかない。いくら妖花の魔女と罵られようとも、私はいちおうメルエーレ伯爵家の娘なのだから。


「どうしてこんなおめでたい席に顔を出せるのかしら」


「私なら恥ずかしくて屋敷から出ないわ」


「妹さんもお可哀想に、あんな姉がいては肩身が狭いでしょうねえ……」


「妹さんは熱心な信者だと聞いておりますわよ。聖女クラウディアさまの肖像画を部屋に飾るほどの敬虔さだとか……」


 遠慮ない侮蔑の言葉と、妹のフローラへの同情。そして「聖女クラウディア姫」への賛辞。時折、彼女たちの言葉こそが本当で、私には聖女の力など初めからなかったのではないかと思ってしまうほど、王が捏造した嘘は紛れもない真実として広まっていた。


 今から六年前、国の唯一の姫君クラウディア王女が聖女の力を発現したと知らされたとき、民も貴族も皆が歓喜した。王女は誰より敬虔な信者であるような慎ましやかな表情で、聖女のお披露目の席に望んだ。


 聖女として認定されるためには、王宮の前庭に敷き詰めたあらゆる花を歌声で咲かせなければならない。私は王女さまが背にした幕の裏で、王女さまの代わりに祈りの歌を高らかに歌い上げた。すると瞬く間に花々は光を帯びて開花し、王女は紛れもない聖女であると神殿が認めたのだ。


 それから数日が経ったころ、王女は外国から取り寄せたという真っ黒な薔薇を加工して私に押し付け、皆の前で私を「妖花の魔女」だと糾弾した。


 黒い薔薇なんて、私もそのときまで見たことがなかったから、人々は加工されたその花が妖花なのだと信じた。聖女であり王女であるクラウディア姫の言葉だから、疑いもしなかったのだろう。


 妖花の魔女が何か悪さをする前に、処刑してしまおうとの声も上がったが、クラウディア姫は「魔女の生まれ変わりだとしても、今は慈しむべき私の民です」と皆の前で言い放ち、私は聖女の温情で生かしてもらっていることになっている。社交界にこうして出入りできるのも、すべて「聖女クラウディア姫」の慈悲のおかげなのだ。


 てっきり社交界からは追放されるものと思っていただけに、その展開は意外だったのだが、どうやら王女さまは私が皆にのけものにされているのを見るのがお好きらしい。幼少期から片鱗を見せていた嗜虐趣味は、今も確かに健在のようだった。


 抵抗する気も、反論する気力もない。逆らえば、お父さまやフローラが傷つけられるだけだ。私にできることは、なるべくみんなの気に障らないようにしながら、人知れず巡礼の森で祈りの歌を歌い、空気のように流されて生きることだけだった。


 そんな私にも、かろうじて婚約者がいる。相手にとっては哀れなことに、私が妖花の魔女の烙印を押される前に結ばれてしまった縁談だ。


 ――幼馴染のよしみで、婚約破棄はしないでやる。ありがたく思えよ。

 

 私が妖花の魔女と呼ばれるようになった直後、鼻で笑いながら彼はそう言い放った。以来、まるで彼から施されるようなかたちで、現在も婚約関係が続いている。


 ……もっとも、それもきっと時間の問題なのよね。


 当の本人が婚約を破棄したいと言えば、きっと簡単に破棄されるはずだ。そのくらい、妖花の魔女の立場は弱い。何より、彼が私との婚約を破棄したいと考えていることは火を見るよりも明らかだった。


「アルフレートさまったら、お上手なのね」


「アルフレートさま、今度はわたくしと踊ってくださらない?」


 今日も今日とて、これだ。


 ようやく見つけた婚約者は、淡いドレスを纏った令嬢たちに囲まれ、楽しげに歓談している。エスコートすべき相手がいることなんて、すっかり忘れているご様子だ。


 私の存在に先に気づいたのは、令嬢たちのほうだった。横目で私を眺めては、くすくすと小さな笑い声を上げる。普通であれば到底許されない無礼な振る舞いなのだろうが、相手が私であれば話は別だ。妖花の魔女が馬鹿にされていたところで、庇おうと思う人間などいるはずもない。


 いや、たったひとりだけ、お義兄さまだけはいつでも私を庇ってくれた。恥ずかしくなるくらいに優しくて、紳士的で、本当は私が聖女であることを知っている数少ないひと。秘密を共有しているのは、お父さまとお義兄さまのふたりきりだった。


 そのお義兄さまも今は隣国へ留学に行ってしまわれてそばにいないから、私は正真正銘のひとりぼっちだ。妹のフローラでさえも今はもう、私の味方ではない。


「おやおや、妖花の魔女さんじゃないか」


 からかうような青年の声に、俯いていた顔をゆっくりとあげる。すぐに、鋭く光る金色の瞳と目があった。


 片側だけ上げた黒髪と、挑戦的な金の瞳。令嬢たちが夢中になるのも納得できるほどの色気に溢れていて、端正な顔立ちがそれに拍車をかけている。昔からどことなく尊大な雰囲気はあったが、青年になってからはそれが顕著になったような気もする。妖花の魔女である私を眺めるときは殊更に。


「ごきげんよう、アルフレート」


 令嬢たちの視線も、からかってやろうと言わんばかりに輝く彼の瞳も無視して淡々と言い放つ。


 泣いたり戸惑ったりするのは、もう疲れてしまった。笑うようなことが私に起きるはずもないから、自然と無表情になってしまう。「妖花の魔女には感情がない」と誰かが面白おかしく噂していた。


「俺に何か用かな、魔女さん?」


 アルフレートさまったら意地悪ですわ、と、令嬢たちがくすくす笑う。これ見よがしにアルフレートと腕を組む者もいた。彼もまた、それを振り払おうとしない。


「手紙でも伝えたけれど、婚約者であるあなたにエスコートをお願いしようと思って」


「ああ、あの、事務連絡みたいな手紙か」


 令嬢たちの笑い声がすこし、強くなったような気がした。それに合わせて周囲からの視線が徐々に集まり始める。


 エスコートを頼んだのはこちらだから一応顔を出してみたが、どうやら私の居場所はなさそうだ。ぎゅっと黒いドレスを握りしめ、視線を床に落とす。


「でも、お邪魔してしまったみたいね。じゃあ、私はこれで――」


「――あらみなさん、楽しそうにお話していらっしゃるのね」


 柔らかで、鈴を転がすように可憐な声が割り入ってきた。うんざりするほど聞き覚えのある声だ。


「聖女クラウディアさま……!」


 顔を上げれば、純白の衣装とベールを纏ったクラウディア王女が私たちのそばに近づいてくるところだった。王と同じ黄金色の髪はゆったりと結い上げられ、深い海のような濃い青の瞳には、つくりものの慈愛がにじんでいた。


 令嬢たちが慌てて正式な礼を取る。アルフレートもまた、それに続いた。


 王女はそんなアルフレートに目をつけると、すっと手を差し出した。くちづけを許可しているのだ。


 アルフレートは躊躇いなく王女の手を取ると、とても貴重なものを戴くかのような丁寧さで、白い手袋に包まれた王女の手の甲にくちづけをした。


「聖女クラウディアさま、これからも私たちを正しい道へお導きください」


 その瞬間、王女の海色の瞳が私に向けられ、愉悦を覚えたかのように細められる。凍りついてしまった私の表情が変わっているとは思えないのだが、それでも、王女を喜ばせるくらいの戸惑いを私はあらわにしているのだろう。


 アルフレートに愛されているとは思っていないが、幼馴染のように育った彼は、私にとってかけがえのない大切な相手だった。私が妖花の魔女と呼ばれるようになるまでは、かなり親しくしていた間柄なのだ。

 

 王女は、その辺りの事情を承知しているのだろう。そういう勘だけは鋭い人だった。


 これ以上、王女を喜ばせる原因を作らないよう視線を伏せれば、どうやら興が覚めたらしく、令嬢たちに一言二言声をかけてこの場を離れていった。張り詰めていた空気がほどけていくのを感じて、ほっと息をつく。


「すばらしいお美しさだったわ……」


「女神さまが慈しまれるのも無理ないわね」


「なんて清らかなのかしら……」


 令嬢たちは夢見るような声で王女との邂逅を喜んだかと思うと、きゃっきゃとはしゃぎ始めた。それくらい、聖女クラウディア姫は人々の憧れの存在なのだ。


「お綺麗だな、我が国の聖女さまは」


 いつの間にか隣を陣取っていたらしいアルフレートが、聖女さまの後ろ姿を眺めて息をつく。まるで聖花のような輝きを放つ彼女は、確かに誰が見ても美しかった。


「そんな睨むように見るなよ。……聖女にくちづけたのが気に食わないなら、お前にもしてやろうか?」


 人の視線を遮るようにアルフレートは私の前に立つと、長い指先で私の顎を上げた。半ば無理矢理に金の瞳と視線が合ってしまう。


 昔からその瞳に見つめられると、心の底まで見透かされるようで緊張した。それは今も変わらない。まるで私が抱えた秘密までも覗き込まれている気になって、思わず彼の手を振り払って距離を取る。


 だが、それが彼の気に障ったらしく、金の瞳がすうっと細められるのがわかった。


「なんで振り払うんだ? 婚約者なのに」


 今度は、手首を掴まれてしまう。こういうときだけ「婚約者」の立場を持ち出す彼は卑怯だ。


 彼にとっては、からかいの延長なのだろう。けれど幼馴染から、こんなふうに軽薄に扱われるのは、心の奥底がつきつきと痛む。彼にとってはもう、私は妖花の魔女で、人前で馬鹿にしていい存在でしかないのだと思い知らされるようだった。


 わずかに目頭が熱くなるのを感じながら、怯えるように彼を見上げれば、金の瞳の奥にどうしてか柔らかな光が宿るのがわかった。


 それは昔、妖花の魔女と呼ばれるようになる前の私に向けていたまなざしによく似ている。こんなときに、思い出したくなかったのに。


「……妖花の魔女、か。お前には似合いの異名だよ。ジゼル」


 怖いくらいに整った笑みで、彼は残酷な一言を放った。彼にとっては取るに足らないその言葉が、私の心をどれだけ抉るのか、彼はきっと知らないのだ。


 ぎゅう、と漆黒のドレスを握りしめて俯く。何か反論しようと思って開いた口からはやっぱり声は出てこなくて、俯いたまま彼に背を向けて駆け出した。


 逃げ出すように夜会の会場から抜け出せば、深い紺色の空に銀の月が浮かんでいた。夜空でさえも完全な黒ではないのに、私が纏う服も心の奥底に降り積もる澱も、こんなにも深い漆黒だ。


 本当はもう、逃げ出してしまいたい。夜会からだけでなく、伯爵家からもこの世界からも。でも自分から命を絶ってしまうと女神様の御許にいらっしゃるお母さまには会えなくなってしまうだろうから、ぎりぎりのところで思いとどまっているだけの毎日だ。


 感情を凍らせて、人形のように祈りの歌を歌うだけ。私の人生は、ただそれだけだった。


 好きだった色すら、もう思い出せなくなっている。「好き」も「嫌い」も、妖花の魔女にとっては必要のないことだった。


 夜風に撫でられた剥き出しの肩を、そっと抱きしめる。涙の代わりに、歪んだ笑みがこぼれ落ちた気がした。

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