事実は小説よりも奇なり
玄武 水滉
第1話 好きという言葉には棘があるに違いない-1
『事実は小説よりも奇なり』と言う言葉をご存知だろうか。簡単に言ってしまえば、現実の出来事の中には、小説よりもずっと奇妙で不可思議な事が起きるという言葉だ。
はて、そんな事などあり得るのだろうか。小説の中では魔法が蔓延ったり、或いは主人公の元へどんどんと事件が舞い降りたりする。飽きという言葉を想起させない為に、小説は事実よりも奇妙でなければならない。そうでなければ小説家は稼ぐ事が出来ないからだ。
人は通常で起こり得ない物を補充する為に小説を読む。奇妙で自分では体験できない事を追体験する為に誰かの物語を読む。共感は出来ないが実感は出来る。
さて、どうして自分がこうもつらつらと自論を展開しているのか。もしかしてこういう風に講釈垂れるのが好きな人間であるという誤解を生んでしまったのならば撤回したい。俺にそんな崇高な趣味などない。これまぁ……そうだな。言ってしまえば現実逃避に近い。
人間は誰しも目の前に受け入れ難い光景が写った時には逃げたくなる生き物だ。それは決して恥じる物ではないと思う。草食動物が食べられそうになったら本能で逃げるのと一緒だ。脳味噌が逃げろと言っている結果に近い。
「あ、あの……」
だから俺はおかしくない。いつもであれば絶対に起きることの無い事が起きているのだ。当然逃げたくもなる。俯瞰視点で観察したくもなる。だが、時間とは残酷で、どんなに遅くなっても流れ行くもの。
口から息が漏れる。これは間違いなく緊張。小説よりも奇妙である事実が受け止められない事を指していた。
「もう一度言えばいいかな……?」
「いや、あの……」
何かを掴もうとした手が空を切る。そんな様子を眺めるは目の前の少女。
肩程度まで切り揃えられた髪の毛に、桜の装飾が施されたピンをつけている。潤む瞳が此方を只々眺めている。
口から漏れる声がポツポツと虚空へと溶ける。
ああもう、どうしてこうなってしまったのだろうか。いつも通りの現実を受け止め、しょうもない未来に思いを馳せる人生が限界だと思っていたのに。泥舟の上で人生を過ごすのが俺の常識であると思っていたのに!
「ごめんね、急に言ってもびっくりするよね」
「え、あ……」
「また、来るから」
目を伏せた彼女の肩は震えていた。勇気を振り絞った結果がこれなのだ。彼女への申し訳なさと同時に、自分への不甲斐なさが募る。
くるりと体を翻し、餌を待つ燕のように口をぱくぱくとする事しかできない俺に、甘い言葉を放つ。もう一度、次こそ、また。これらの人生における毒を。
「絶対に諦めないから!」
そう言った彼女は俺の反応など目もくれず、その場から走り出した。彼女の帰宅を告げるかの様に風が吹き荒れ、春のまだ冷たい風が頬を撫でた。
明日からどうすればいいのか。不安が押し寄せてくる中。
俺はゆっくりと事実は小説よりも奇である事を噛み締めた。
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