乱立する叛旗

 ■ バラ星雲の消滅


 その瞬間に何が起こっていたのか正確に語れる人はいないだろう。


 文豪カミュが滾る熱い思いを郵便機に叩きつけたとき、惑星ヴァレンシアを含む直径百光年の空間は平衡を維持できない状態に陥って崩壊した。


 あまりに激しい競争が舞台装置たる宇宙にストレスを与えすぎた。

「何が起こっているのか」記述しようとしても、それ自体が無矛盾に抵触する。負荷に耐えられなくなった宇宙はついに事象を表現すすることを放棄した。


 青年リヴィエールは勝負の結果に関わらず世界に挑戦し続ける人生、つまりは不断の努力と変革を、

 文豪カミュは干渉を一切跳ねのけ、世界の流動性を無意味と斬り捨てる恒星のごとき不動の人生を、

 宇宙に問うた。


 相克する概念が衝突した瞬間に宇宙は試合終了を宣言した。


 その結果、カミュは死に、リヴィエールもまた死んだが、彼の賛同者は生き残ったようだ。

 敗者のどこ間違っていて、勝者の何が正しかったのか誰にもわからない。ただ、伯仲する力がぶつかり合い、結果が出た。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 サジタリア軍に救いの手を差し伸べたのは暗黒太陽たちだ。臨界寸前のバラ星雲に突入しオーバーフローしたエネルギーを吸収した。完全に受容するには至らなかったが、つかの間の平穏をもたらした。


 慈姑小町の機転でボア兵器が空間エアーポケットを展開して、駐屯地をまるごと高次空間へ転移させた。


 肥大する高熱ガスはバラ星雲を炎上させ、強烈な重力波を合わさって空間を震撼させた。堅牢な陽子が崩壊し、太陽が四十五億年かけて放出してきた全輻射量の千倍に相当するエネルギーが僅か十秒で放出された。



「遅かったか!」


 シトラス号は燦然と輝く星雲をとらえた。タッシーマ星間帝国は跡形もなく蒸発し、大勢の魂がさまよっている。プリリム・モビーレが定位置から失われてしまっているので、行き場が定まらない。

「シアさんたちは無事かしら?!」

 ハッシェは艦隊共同交戦システムにスティックスの影を探した。

「懸命な捜索をしている暇はないぞ」

 遼子は後続の航空戦艦たちに死者の回収を命じた。スキャンビームが空間を駆け巡り、キャプチャービームが幽子情報系をかき集める。

「どれくらい助けられる?」

「がんばって十四、五万人といったとこですか」

「最低でも百万は助けろ」

「無茶を言わないでください」

 遼子の要求に対して、回収作業を監督している航空戦艦が難色を示した。


 ハッシェは救難そっちのけでシアの姿を探している。遼子はうんざりしつつも、ヴァレンシア星跡の状況把握に努めた。ニュートリノ加熱現象が物質効果を誘発し、宇宙を激しく揺さぶっている。

 その揺らぎの中からニヤリと笑う顔が垣間見えた。

「カミュ?!」

 遼子はハッシェから聞き及んでいた男の姿を連想する。が、すぐに消えた。そこには完全燃焼した男の満足と寂しさが感じ取れた。

 ほどなく、フレイアスター艦隊の通信網が復活した。かなり疲れている様子だが、ハッシェの耳に懐かしい声が聞こえてきた。暁や柊真も元気な様子だ。


「ごめんね。ハッシェちゃん」


 暁が誤解を謝罪したが、ハッシェは気まずい雰囲気をそらすため実務的な協議を始めた。

「それより、救難作業を手伝って!」

「冥界往生特急列車(オリエントエクスプレス)を呼べばいいのに」

 柊真はそっけない返事をした。ハッシェが運行管理局にアクセスして調べてみたところ往生特急の管理権はサジタリア軍が握っている。

「終着駅は叢書世紀(ウニペルシダス)の完全生命体よ。それより、これを見て」

 ハッシェは全路線図を共有空間に図示した。往生特急の起点は紀元前三十五億年に始まって、叢書世紀で終わっている。一本の太い幹線が地質学的年代を貫いて、そこからいくつもの支線が分岐している。


「これって、まるで……」は生物学の教科書に載っている大きな木を思い起こした。

「そう、系統樹そのものよ」

「父祖樹だ!」

 ハッシェの見解を遼子が補強した。


「でも、おかしいわ。地球はニューエルサレム作戦で潰れた筈じゃ?」

 暁の疑問に答えるには、ハッシェが四万年も待ち構えていた「地球」の矛盾を解決しなければならない。

「完全生命体なら造作もないだろう。柊真、造物主の得意技は何だ?」

 遼子は鷹揚に尋ねた。

「神様だからね。何でもできるよ」

 柊真はこともなげに答えて見せる。

「そう。だが万能じゃない。造物主だって宇宙までは創れないからな。始めに言葉ありき。誰かが術式で創った。創造主にはグレードがある。俺たちが知ってる聖書の神は第二種造物主、神としちゃ二流だ。で、ハッシェ。お前がいた地球はサジタリア軍の産物だ」

 遼子が牛肉の産地を言い当てるようにさらっと述べると、ハッシェは雷に撃たれたような表情をした。


「で、何がいいたいの? 作戦を勿体ぶらないで喋ったら? わたし、こういう男みたいオンナは嫌いよ。威厳ぶっちゃってさ」

 暁がチクリと釘をさす。

「いや。元は男なんだが……」

 苦笑しつつ遼子はニューエルサレム世界の撲滅策を明かした。


 第二種造物主は宇宙の物質を原資として地球を創造した。周期律表に載っているような元素そのものまでは造る能力はない、と断言していい。それらは宇宙開闢時の超高圧超高温下で原子核同士が融合して出来たものだ。



「さて、この出来そこないの神だが、数学的に分解可能なんだ。――純粋数学で神を倒せる!」


 遼子は虚空を黒板代わりにサラサラと数式を書いたあと、バンッと叩く真似をした。


「……」

「」


 女たちは彼が何を言っているのか全く理解できない様子だ。


「ふ〜ん。第二種造物主を有限体上のガロア群として扱うわけ?」 


 ハッシェがふりむくと、クローン培養デッキから憧れの人が分娩(デリバリー)された。彼女は湯気の立つハゲ頭を軽くタオルで拭いたあと、濡れた翼のままビキニのぱんつとロングヘアのカツラを身に着ける。


 一家は惑星ヴァレンシアの蒸発に巻き込まれ死んだと思われていたが、シトラス・ジュノンが霊魂を回収した。もっか、他の家族も順次培養中である。ノーコス王は幽子のまま厳重に保管されている。



「面白い発想ね。完全生命体をKの冪根拡大と定義できるとして、『根』はなぁに?」

 乗り出した上半身にレーズンのような乳頭が乗っている。

(ちっせぇ)

 自分の鳩胸と思わず見比べてしまう遼子。そして安堵のため息をついた。

「うっさいわね。ペチャパイと知能指数は反比例するですからねッ!」

「だったら、あの子らに説明してやってくださいよ」

 遼子はシア・フレイアスターの猛反発を上手にかわした。そして、そのまま役割も押し付けた。




「聖書によれば人間は神の劣化コピーであり、女は男の肋骨から作ったダウングレード版だということになる」

 シアが数式を書き直しているところへ遼子が口を挟んだ。

「けっこう。そして神のほかに精霊がいるのよね」

 多項式に精霊を表すラージエフが追加された。

「で、ここに神自身を含めると『この世』を記述する五次方程式が完成するわ」

「フェルマーの最終定理では五次以降の解は定まらないんじゃなかったっけ?」

「いい質問ね。遼子のいうとおり、神・精霊・男・女を項に含めると解が定まらない。五次以上の方程式に解法がないことは証明済みなの」

「加減乗除と冪根の組合せで一般解を表示する公式だけで解けない、ってだけのことだろう? 無限に近似すれば力づくで解ける」

「そうなんだけど、代数だけで解くには各項が交換可能なことが前提条件となるの。代入しないやり方もあるけどさ」

 二人のやりとりにハッシェが苦言を呈した。

「ぜんぜん、わからないわ」

「要するに、神――第二種造物主の成分は人間の男と女、それに俺たちの様な精霊・エルフ? だけで出来てなきゃいけないってことさ。もっと分かりやすくいうと、三者を超越する存在は創れない。そして、神が創った物で俺たちにぶっ壊せない物はないのさ」

「仮に『わたしたち』を超える何か、神的な部分と言い換えてもいい。超人的な要素がわたし達に添加されると、『神以外のなにか』が生まれてしまうのよ。わけのわからない存在が生まれる」

「『そいつ』がどうなるかも定まらない。つまり、誰にも――宇宙を作った神にすらわからないんだ」

「ふうん」

 ハッシェは遼子の説明をひと言でまとめた。「つまり、完全生命体は神様でも何でもないし、倒せるってことね」

「そうだよ。人間が代数的になるってことは、男が女になったり、人がメイドサーバントになれる、代入可能ってことだ」

「代入しない方法で神様は造れるんでしょ」

「お前、神様を見たことはあるか? 神という生き物が実体として存在するってことだよ。それってそういうことだ」

 遼子が神学論争に終止符を打った。

 暁がワゴンをゴロゴロと引いてきた。暖かい野菜シチューやツナピラフが乗っている。円盤鮃のローストフィレに薄緑色の薬味がそえてあり、火星ニンジンをすりおろしたツマミのツンとした匂いとブラディマリーの香りが一体化して食欲をそそる。


「そうよ。飯を召しましょう」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ■ ビートラクティブ精製プラント


「お前たちは包囲されている」

「直ちに停止しろ。さもなくば撃墜する」

「逃亡は無駄だ」


 叱責があとからあとから追いかけてくる。二機はわき目もふらず、自爆特攻に近い速度で貯蔵庫へ接近する。

「事象艇を止めろォ!」

 懇願にも似た悲痛な叫びが聞こえてくる。

「本来ならば雑多な生物が生まれ、病原体に抵抗力を持つ種が生存するという自然な揺らぎが起こるはず。そのせめぎあいこそが生物の多様性であり、生物史を豊かにしてきた原動力であるはず。それを不自然に抑制したツケが来たのよ!」

 メディアはお説教するようにウルトラファイトを狙い撃ちした。たちどころに病原菌に冒され巨大女子高生が枯れていく。

「……じゃあ、要らない子は必要ってことなの?」

 後部座席でヒヨコ姫はハタと気づいた。

「今ごろ気づいたか。あんたが良かれと思ってやったことは暴政だったんだ。障害者は障害を背負ったまま……」

 バレルはタッシーマとサジタリアの癒着をなじった。ヒヨコ姫は唇をギュッと噛んだ。


 これで彼女が悔い改めてめでたしめでたし、となるのは、おとぎ話の世界だけ。現実は厳しくも悲しい。

「あたしは自分を信じてやった――!」

 操縦権限を奪い、機体の進路を変えた。

「おいっ、どこへ!」

 バレルが制止しようとするも、艇はいう事を聞かない。

「飛ぶんだ! バレル」

 メディアが遠隔操作でバレル機のキャノピーを吹き飛ばパージした。ぐらりと傾いた前部座席からメイドサーバントが羽ばたく。


 チキを載せた事象艇は回転しながら火を噴いて遠ざかっていく。

「馬鹿は放置して前に進もう」

 メディアはビキニ姿のハゲ天使を後部席に降臨させた後、貯蔵タンクに激突した。


 ―― 二人の周囲に歴史年表が渦巻いた。



 ■ 宇宙船レッドマーズ号


 父祖樹と慈姑姫はカミュ打倒後の地球統治に関して大筋合意した。

 完全生命体を中心軸に鎖国した世界で悶々と生命が営んでいる。

「そんな閉塞した未来、ごめん蒙る!」

 ガロン提督の煮え切らない心は不完全燃焼を続け、ついに発火点に達した。ヤポネ人は本土を失ってから居場所を探して宇宙にまで飛び出した。それでも慈姑という先住民に妨げられ「それならば」とヴァンパイアに魂を売った。国民が不死になればどんな環境でも住めるはずだ。そこまで妥協して異世界文明に接近した。

 ところが、彼らは自分の頭越しに地球の未来を云々している。

「太陽はいつまでも保つと思うなよ」

 彼は周到に練った行動を開始した。



 モーダルシフター文明末期の時代。


 久しぶりに鐵華蔓(テチファーミェン)と化した慈姑姫は航空戦艦をなし崩しにしていた。レッドマーズ号の背面カバーが開き、傅いた慈姑姫が競りあがる。

 それを叩かんとミストラル戦闘機が急降下爆撃をしかける。姫は鞭の様な蔦を敵機に絡みつけ力いっぱい引きずりおろす。それはすぐに金属疲労を起こして爆散した。

 鐵華蔓は蔦で敵機を振り回して仲間にぶつけたり、敵機同士を衝突させたりやりたい放題である。レッドマーズ号と敵機を踏み台にして巧みに跳ねまわり、同士討ちを誘発する。

 腹に据えかねた航空戦艦が術式を放てば、ひらりとかわし、鋭い銛を突き立てる。その先には航空戦艦を自爆に追い込む神経毒がたっぷりと塗ってあり、もくろみ通り激しい爆発をまねく。いい気になった姫は雄たけびをあげて艦隊に襲い掛かる。


「五段逆スライド返し!」


 鐵華蔓がノコギリ状の葉を乱射した。たちどころに航空戦艦が切り裂かれ爆沈していく。

 そして、大鎌を大上段に構え、旗艦に特攻を仕掛けた。


 こうして最後の一隻が轟沈し大航空戦艦時代が幕を閉じた。



 サジタリア軍が人類圏の覇者となったあと、侵略の仕上げとして査察官を一掃し白夜大陸条約機構と諮問機関である国連大量破壊兵器撲滅委員会を廃止した。それは安保理の解体、ひいては連合国一極支配の終焉を意味する。


 サジタリアは念願の地球を手に入れた。遂にヤポネ人は安住地に降り立ったのだ。お人好しなヴァンパイアたちは過ごしやすい地下世界へ移り住んだ。


 慈姑姫たちは月に拠点を構え、地球永久機関インガルフによる歴史管理体制が始まった。



「お前ら、このままでいいと思っているのか? 月面には女どもが、地表には他所の馬の骨ともわからん連中が闊歩しとる」


 士官クラブでガロンがぼやいても耳を傾ける者はいなかった。みな、地下世界の探検と開拓に注力している。そうこうしている間にサジタリアと父祖樹の関係は疎遠になり、やがて地下資源に着目した借地人たちがヤポネ人の領域を犯し始めた。


 提督は月面まで出向き父祖樹に厳重抗議したが受け入れられるどころか、ヤポネ人に飛行禁止を言い渡した。


 ブチ切れた彼は遂にレジスタンスを組織した。かつて入手した加島遼平の体液を用いてクローン人間の製造に着手し、彼らに固有名詞を授けた。かつて叢書世紀を滅ぼした酸性雨にちなんで硝酸族(アシッドクラン)と皮肉った。


 こうして、月面に対する文字通りの地下活動が開始する。


「いいか。これが彼我絶縁体だ。量子空爆を耐え抜く究極の掩蔽壕建材。地下生活が長引いているせいで、ビートラクティブが効かない我々はタイムカプセルで時を渡る」


 彼はとっておきのアイテムをクローンたちに見せた。



「こんな建材で何ができるってんです? 盾にもなりませんや」

 硝酸人の一人がペラペラの合板を弾いた。

「見かけで評価するな。こいつは太陽中心温度にも耐え抜くんだ。そして使いようによってはニュートリノすら封じ込める」


 提督はついに胸の内を明かした。


「お前たちに究極指令を遺しておく。これを太陽に撃ち込め。何としても撃ち込め。ニュートリノ加熱を促進して超新星爆発を起こす」

「太陽を爆破するのですか?」

「そうだ。太陽系もろともな」

「そんなことをすれば我々も滅びませんか?」

「何のための彼我絶縁体だ」

「!」

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