第146話 やっちまった悲しみに

 ※ AL編146話が先となります




×××




 やってしまった。

 樋口を上手くダブルプレイで抑えたため、気が抜けてしまった。

 そしてターナーに打たれたホームラン。

 恥ずかしすぎる。だが穴があったら入りたい、という気分になる前に、武史は気を取りなおした。

(まあ打たれたものは仕方ないし)

 別に死ぬわけでもないし、過ぎてしまったことは仕方がない。

 近寄ろうとしていた坂本が途中で立ち止まるぐらい、武史は簡単にメンタルを戻していた。


 シュタイナーに内野フライを打たせて、どうにかスリーアウト。

 視線をスタンドに向けないように、ベンチに戻っていく。

「まあ、ソロですから」

 コーチ陣はそう言うし、それにアナハイムは下位打線は、打撃で点を取ることは少ない。

 二回までを投げて、肩を暖めればいい。

 二巡目以降のアナハイム打線を、どうにか封じるのが武史の仕事だ。


 一回の裏は、大介からの打順である。

 ホームランしか狙わないと、決心している。

 そしてこの一点差の場面では、それでいいのだと思っている。

 大介が塁に出て、どうにか後ろのバッターがホームに返す可能性。

 それに対して、大介が自分の一発だけで、ホームランを打つ可能性。

 大介としては普通のヒットを打つのも、ホームランも打つのも、力をボールに叩きつけるのは変わらない。

 守備のいないスタンドに運べば、必ず一点になってくれるというこのゲーム。

 大介は初球から、ボール球を振っていっていた。


 大介のバットは長く、重心がかなり先のほうにある。

 なので外のボールも、しっかりと捉えられるのだ。

 普通のバットよりは、素材も随分と重くて堅い。

 これがあるからこそ、打ったときにはちゃんと飛んでくれるのだ。


 外のボール、一球目はファールフェンスに激突し、観客が打撃音に驚いていた。

 二球目はファールスタンドに放り込まれて、怪我人が出ないか心配になったものだ。

(逸ってるな)

 そしてそれを、このバッテリーには見透かされている。

 ツーナッシングになってしまった。


 統計的にはバッターの打率と長打率が一番高くなるのは、圧倒的にボール先攻でスリーボールとなった時である。

 どうしてもストライクを取りたいと思ったピッチャーが、甘い球をゾーンに投げがちになるからだ。

 逆にツーナッシングになると、ピッチャーの勝つ確率が圧倒的に高くなる。

 バッターは際どい球でも、カットしていかなければいけなくなるからだ。

 実際にツーナッシングの場合、ゾーンを狭くしてしまう審判が、ほとんどなのであるが。


 三球目のカーブと、四球目のインロー。

 カーブはともかくインローも、完全にボール球であった。

 ただ大介は本能に従って、打てるボールを全てスイングしていく生き物になっている。

 追い込まれてはいるが、これぞまさに背水の陣が。


 そして、決着の五球目。

 直史のフォームが変わっていることが分かった。

 そこで大介は、ほんのわずかに考えてしまった。

 ストレートが高めにくるのだと。


 外野フライを打たせる、最も分かりやすい配球。

 大介はここで、本能ではなく経験から推測してしまった。

 実際に投げられたボールは、ほぼ真ん中の球。

 そしてその軌道も、自分はよく知っているはずだ。

 スルー。

 ジャイロボールの変化を、高目を意識していた大介は反応できない。

 それでもスイングはしたが、空振りに終わった。

 ポストシーズンに入ってから、二つしか三振をしていない大介。

 これが三つ目の、しかも空振りでの三振であった。




 大介の空振り三振は、メトロズの勢いを著しく削ぐものであったかもしれない。

 一回の裏、メトロズの攻撃は三者凡退。

 1-0でアナハイムがリードしている。

 直史は相手もスーパーエースが投げている試合の場合、初回の一点だけで勝つ、いわゆるスミイチで勝つことが多い。

 この試合もまた、ターナーの一発で初回に点が入った。

 そして大介を打ち取って、完全に序盤の流れを掴もうとしていた。


 だがそれを阻んだのだ、二回の表からの武史のピッチングであった。

 105マイルのストレートで、三振を二つ奪う。

 勢いなどではどうにもならない、まさに理想のパワーピッチング。

 直史とはまた違った方法で、流れを変えてしまう。


 激動と凍結。

 二人のピッチングを感覚的に伝えれば、そういうものになるだろうか。

 二回の裏には、坂本への申告敬遠があった。

 なんだそれは、とメトロズ側のベンチは不思議に思うが、これには武史が気付いた。

「打順調整だなあ」

 通訳の杉村が、半ば呟くように言った、武史の言葉を伝える。

 そしてメトロズベンチとしては、詳しく聞こうとした。


 坂本は去年、直史とバッテリーを組んでいた。

 なのでわずかに、苦手意識があるのかな、ともメトロズ首脳陣は思ったものだ。

 しかしレックス時代、直史と樋口は大介に対して、打順調整を行っていた。

 ツーアウトからなら大介であっても、バッターとしてだけ警戒すればよく、ランナーとして塁に出ても、ゴロやタッチアップでホームに帰ることを考えなくていい。

 そういう考え方で、あえてどうてもいいランナーでも、塁に出していた。

 もっとも坂本はそれなりに足もあるので、敬遠するとしたら六番であったろう。

 つまりある程度は、坂本の打撃も警戒しているのだ。


 その説明の間に、坂本は二塁を陥れていた。

 そして三盗までを狙い、そこでさすがにタッチアウト。

 ワンナウト三塁というピンチは、アナハイムというかあのバッテリーも、許容できなかったらしい。

「無茶苦茶な考えだな」

 武史の説明に、大介も呆れる。

 だがそこまでしても、大介とは対戦する覚悟でいたのだ。


 ただその作戦を徹底するなら、六番打者を歩かせた方がよかったのではないか。

 ツーアウト一塁で七番なら、おそらく点は入らない。

 三回の裏で八番から始まり、ツーアウトで大介と対決。

 しかし考えてみれば、この六番も塁に出てから、盗塁されたら同じことなのだ。


 単純な打順調整は使ってこない。 

 もしもやるとするなら、一回の裏が一番よかったのだ。

 三番のペレスを、敬遠して一番にする。

 すると四番のシュレンプにある程度の期待が持てるため、塁上のペレスは走らなかっただろう。

 ただそこがあのバッテリーの計算高いところで、シュレンプを相手にするリスクは、高いと考えたのか。

 あるいは坂本を上手くアウトに出来たので、それはそれで良かったのか。




 三回の表、アナハイムの攻撃。

 八番から始まる打順を、あっさりと三振二つでツーアウトにする武史。

 バッターボックスに入ったアレクは、もうこれは出来上がっているな、と判断する。

 まともに打ってもボールにバットが当たらないだろう。

 アレクは最初からトップを作り、スタンスの幅も少し小さめにする。

 上半身にエネルギーを伝えても、視点が上下にぶれないように。

 そこからスイングして粘ろうとしたのだが、甘い球は来なくて三振した。この回は三者連続三振である。


 三回の裏、メトロズの攻撃。

 武史の言っていた打順調整が確かなら、ここでも何かしてくるか。

「してこんぜよ」

 坂本は断言する。確かにここでランナーを出すのは、ツーアウトからランナーありで、大介を迎えることになる。

 メトロズも八番と九番は、打率ではなく出塁率と足で、打線を組んでいる。

 そして大介が長打を打ったら、ツーアウトからならスタートが切れる。

 そのあたりも考えて、三者凡退に抑えるアナハイム。

 四回の表、わずかにため息をついて、マウンドに登る武史である。


 完全なロースコアゲームになった。

 もしもこれで負けたとしたら、武史が戦犯になるのだろうか。

 いや、さすがに一点も取ってくれない、味方打線の責任になるだろう。

 バッターボックスには、樋口が入っている。

 初回にホームランを打たれたターナーより、武史としては樋口の方を危険視している。

 なんと言っても大学からNPBと、同じチームであった期間が長かった。

 なので初回は、樋口をダブルプレイで抑えたことで、少し気が緩んでしまったのだが。

 またあそこは、不完全なスプリットが、ちゃんとコントロール出来たという安心感もあった。

 それもまた、油断の一要因であろう。


 二打席目の樋口に対しては、今度は坂本は力勝負を狙う。

 下手に読みや配球で勝負しても、樋口は武史のボールをよく知っているのだ。

 肩が暖まってきた武史なら、その樋口も打ち取ることが出来る。

 そしてその予想は正しかった。


 フォーシームストレートのみならず、ムービング系のボールを受けていても、坂本は指が千切れそうになる。

 ミットは特注のものを使っていて、それでもある程度は右手に衝撃が残る。

 武史の投げる日は、坂本の打撃成績が悪いことに、誰か気付いただろうか。

 実際に坂本は、キャッチャーとしての経験はそれなりに少ない。

 樋口などは武史を、そして高校時代は上杉を、どうやって普通にキャッチしていたのか不思議である。


 ターナーに対しては、チェンジアップとナックルカーブを使った。

 緩急を使えばやはり、ターナーからでもフォーシームで確実に三振が取れる。

 初回の武史を攻略するという作戦は、やはり正しい。

 だが坂本としては、少し気になるところもある。

(それなりに球数が投げさせられてるな)

 シュタイナーもわずかに粘って、この回は15球。

 標準的な球数だとは思うが、武史としてはやや多めか。


 武史はこれまで、肩や肘の故障をしたことがない。

 自分のボールの威力で、肩肘を壊していないのだ。

 大きく撓るその左腕で、どれほどのバッターを沈めてきたか。

 おそらく限界は、もう少し先にある。

 坂本はそう思っているのだが、武史には向上心というものがない。


 いや、スプリットをそれなりに使えるようになったり、練習やトレーニングをサボるというわけではないのだ。

 だが自分の意思で、何か新しいことをしようとはしない。

 球速の向上も、あとわずかでも上げられないのか。

 ただここから先の領域は、さすがに故障とは無縁ではいられないであろう。




 四回の表を、武史は無失点で終えた。

 アナハイムの打点の多い、三人を三振でしとめたのだ。

 これで勢いがついて、四回の裏のメトロズの攻撃となってほしい。

 なにしろ先頭打者が、大介であるのだから。


 ノーアウトで大介が、バッターボックスに入るということ。

 ランナーがいないのは幸いであるが、果たしてどう抑えるべきか。

(さて)

 大介はこの打席、長打を狙っている。

 ホームランではなく、長打である。

 もちろん打てるものなら、ホームランで構わない。

 だが第一打席の自分のバッティングは、お世辞にも褒められたものではなかった。


 ボール球を打つのはいい。

 だがそれがちゃんとホームランにならないのなら、さすがに意味はないのだ。

 戦意が強すぎて、ボール球にも向かっていった今季。

 ワールドシリーズで直史相手に、そんな状態で勝てるというのか。


 自分が打たなければ勝てない。それは今でもそう思っている。

 直史相手に、ヒットを連打というのは、すごく難しいことだ。

 だがこの状況からなら、ホームランでなくてもいい。

 どうにか自分が、ノーアウトで二塁まで行ければ。


 シュミットは上手く、ゴロを打つことは出来るだろう。

 しかしペレスとシュレンプは、典型的なアッパースイングのバッターだ。

 いくら直史が相手とは言え、自分のスイングを捨てるのか。

 いや別にアッパースイングでも、とにかく大介が突っ込める打球を打ってくれれば、それでもいいのだが。


 まずは自分が、塁に出なければいけない。

 直史と樋口のバッテリーは、簡単に長打を打たせてくれるものでもない。

 鼓動と呼吸を整え、バッターボックスの中で構える。

 直史はセットポジションから、第一球を投げてくる。


 スピードがあり、そして真ん中から沈んでくる。

 スルーだ。

 大介のバットが出るが、これはボールを上げることは出来ない。

 ゴロになるが、全力で振れば内野の間を抜けていくことはある。


 低い打球が、直史の足元へ。

 グラブを差し出しても、その中に収まることはない。

 だが打球は、センターに抜けていくこともなかった。

 マウンドのプレートに当たって、弾きかえってきたのだ。

 どれだけの偶然があれば、そんなことが起こりうるのか。 

 ただ弾きかえってきたボールは、樋口や審判の頭の上も過ぎていく。

 これはルールの上では内野ゴロだ。

 ただしファールグラウンドに転がるまでは。


 審判を突き飛ばして、そのボールを取りにいく樋口だが、思考は明晰である。

 このボールをキャッチしても、大介が一塁に出塁するのは止められないのではないか。

 いや、一塁に出るだけなら、どうにか許容範囲なのでは。

(違う。これは一度バウンドしている扱いになるからファールだ)

 結局、ミットはボールに届かなくても問題ない。


 大介の二打席目は、初球から変な事態が発生した。

 ルール的には、プレートは小石と同じなので、ファールである。

 ルール上はともかく、追いつけなかった樋口としては、自分の動きに不満があったりした。

 だがとりあえず、これでファーストストライクは取れたのであった。

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