第145話 飛翔
三打数一安打。
大介のその日の成績である。
四打席目は歩かされて、ホームを踏むこととなった。
試合は7-3で負けて、大味な展開。
そしてマンションに戻る前に、スタジアムの監督質に呼ばれる。
呼ばれたのは大介だけではなく、武史もである。
武史に対しては、明日の先発の確認か何かであるか。
だが大介に対して、何か指示があるのか。
(ナオが先発してきたときに、とりあえずヒットを打っておくとかかな?)
初回はともかくランナーに出て、一点を狙っていくのも悪くはない。
特に長打が打てたなら、後ろのバッター次第でヒットなしでホームが踏めるかもしれない。
直史の失点のパターンを見れば、ほとんどが単発のホームラン。
あとはエラーの重なりによるものがあった。
相手のエラーを期待するというのは、やってはいけないプレイである。
もちろんエラーで出現したチャンスは、最大限に利用すべきだが。
そう考える大介が呼ばれて尋ねられたのは、直史が明日の試合、先発してくるかどうか。
そして先発を命じられたとして、まともに投げられるかどうか、ということを尋ねられたのであった。
(いくらMLBでもワールドシリーズで先発が連投は無茶って考えるもんなんだろうな)
もしも第六戦に武史が投げて、他のピッチャーが第七戦に投げていたとしたら。
その時はおそらくアナハイムも、ヴィエラを普通に先発させていただろう。
なのでそのあたり、大介は思ったままに答える。
「77球だし、バッターボックスで感じた限りでは、余力を残して投げていたと思いますよ」
おそらく投げるとしたら、他のバッターには限りなく技巧だけを尽くす。
そして大介を全力で抑えにくるだろう。
なんだかんだと言いながら、直史はチームを勝たせるピッチャーだ。
しかしアナハイム打線も、武史から三点以上は取れないだろうと思う。
ロースコアのゲームになる。
あるいは1-0という完全に近いロースコアに。
点が入るとしたら一発か、あるいはエラー絡み。
ただ直史のピッチングスタイルから、ホームランを許す可能性は低い。
ひょっとしたら0-0のまま延長に突入する、消耗戦になるのかもしれない。
マンションに戻った大介は、風呂に入って汗を流した。
子供たちはもう眠りに就いて、ツインズはPCを動かしている。
「何か分かったか?」
「う~ん、あんまり」
「むしろ分かりたくないことが分かったと言うか」
二人の分析によると、今日の試合の直史の疲労は、明日までに完全に回復しているのでは、ということであった。
確かに悪い知らせであるが、大介はただ納得するだけである。
大介は直史に勝てていない。
客観的にはむしろ、大介はそれなりに直史からヒットを打っている。
去年のワールドシリーズは、11打数3安打。
今年もこれまで、11打数3安打。
直史と対戦したバッターの中では、別格でいい打率である。
だがそれでも、試合には勝てていない。
チームを勝たせるピッチャーを、エースというのだ。
エースには二つの種類があり、こいつに任せれば大丈夫というものと、こいつで負けるなら仕方がない、というものがあるらしい。
直史の場合は、両方の要素を持っている。
圧倒的な成績を築き上げて、全ての試合に勝利する。
こいつに任せておけば大丈夫であろうし、こいつで負けるなら他の誰も勝てないだろう。
それが直史に対する認識だ。
大介はツインズの分析に、失望もしない。
むしろそれでこそ、と思うのだ。
それでこそ、自分に残された、最大にして最後の壁。
上杉相手にも感じるものだが、上杉相手には勝つことも出来た。
だがチーム力の差もあるが、直史には勝てていない。
公式戦のみならず、あの準公式戦とも言えた、メトロズとレックスの試合。
または日本代表と、大学選抜の対決。
輝かしい場所で直史は、大介に土をつけ続けてきた。
日本最強のピッチャーが、プロにはいない。
そしてMLBにおいても、直史は勝ち続ける。
存在自体が奇跡とは、一年目の大介が言われたことだ。
だがその大介を、直史は上回るのだ。
ピッチャーとバッターでは、バッターの方が不利。
単純に、四割も打てば、とんでもないバッターだと言われるからだ。
だが大介の過去の記録では、NPBでもMLBでも、通算して五割以上の打率を、はっきりと残している。
OPSが2を超える。
つまり期待値的には、大介の打席においては、必ず一塁に出塁することになるのだ。
そして出塁すれば、そこから簡単に走ってくる。
大介は一塁にいると、四度に一度以上の割合で、盗塁をしかけていく。
そしてその成功率は、ほぼ九割である。
こんな厄介なバッターを、どう攻略しろと言うのか。
直史はシンプルに、ホームラン以外なら、野手の守備範囲内に打たれることもあるだろうと割り切っているのだが。
大介もまた、目が冴えていた。
眠れないというわけではないが、ソファに座ってイメージする。
バッターボックスに入った自分と、それに対峙する直史。
スルーやカーブやストレートといった球種を、そのまま自在に打っていく。
もちろん実際には、簡単に打てるはずもない。
コンビネーションがあるから、打てないのだ。
一通りの球種を打つイメージを持ってから、ベッドに入る。
キングスサイズのベッドでは、ツインズが先に、寄り添うように眠っていた。
(明日こそは)
時間的には、もう今日になりつつあるのだが。
アナハイムとの最終決戦。
前夜からニューヨークの街は、既にお祭り騒ぎになっていた。
ニューヨークという世界最大の都市を、パレードする。
MLBのチャンピオンというのは、それぐらいに影響力があるものだ。
特にこの三年、大介の果たした功績は、ニューヨークのみならず、MLB全体において大きい。
あまり当たらないア・リーグのチームは、一年目には不満を漏らしていたものだ。
そして二年目、直史の入ったアナハイムとの対決。
ほとんどニューヨークとロスアンゼルスの対決であったので、東と西に大きく分かれた。
敗北したメトロズであるが、翌年はさらに高い成績を、レギュラーシーズンで残した。
そして再び、アナハイムとの対決。
三勝三敗で、ついに最終戦。
今年のMLBは、NFLのスーパーボールより盛り上がっているな、とも言われる。
ただあちらは試合数なども関係するので、そうそう比較は出来ないのであるが。
メトロズのフランチャイズ、シティ・スタジアムの周囲には、既に多くの観客が並んでいた。
チケットは既に勝ってあるだろうに、もう午前中から並んでいるのだ。
もはや並ぶことこそが、メトロズへの信仰を証明するかのような儀式。
どこか神がかった雰囲気が、スタジアムの周囲に満ちている。
三年連続ともなれば、メトロズ側はそれなりに慣れてはいる。
だが一年目のヒューストンとの対決は、ここまで接戦になったものではなかった。
歩かされながらも、ぽんぽんと点を取った大介。
打点よりも得点が多いあたり、下手に歩かせてしまっても、結局は点につながってしまうのだ。
クラブハウスの中では、少しぴりぴりした空気が漂っている。
だがプレッシャーを感じやすいと言われる日本人のうち、武史も坂本も、呑気な顔をしていたりする。
「そういやさかもっちゃんはパートナーとかいないの?」
武史がのんびりと坂本に問うているが、この二人は相性は悪くない。
「おるけど、仕事で来れんが」
「へえ。うちは今日、奥さんと子供三人来るんだよね」
「三人もいるがか。早う結婚したんやな」
「プロ入り一年目で結婚して、次の年には生まれたから」
ふむふむ、と坂本はその年齢を数えたりしていた。
メトロズは地元だけあって、奥さん集団が集まって、スタジアムの一角を占めているという。
もちろんその中には、ツインズの姿もあるはずだ。
「そういや司朗はうちの一個上だったか」
「大介さんとこ、五人もいるんだよ」
「あ~、そりゃダイのとこはなあ」
坂本としても大介のスキャンダラスな家庭環境は、さすがに耳に入っているのだ。
双子を両方実質二人とも、妻としている男。
だが過去には一夫多妻の国で、三つ子の三人を嫁にしたという男も実在しているのだ。
経済的なことを言えば、大介ならばもっともっと育てられるだろう。
なので母親が二人というのも、ありかな、とは坂本も思う。
非常識なやつだな、とも同時に思うが。
最終戦がいよいよ開始される。
試合前に家族と会って、それから戦場に向かう。
ツインズは懐かしき、ポンポンを作ってきていたりした。
「甲子園以外でも、けっこうそれ見たよな」
「さすがに踊らないけどね」
MLBの応援は、基本的に鳴り物は禁止だ。
ごく一部に、例外的に許可されているチームもあるが。
それでもスタジアムの熱量は、とてつもなく高い。
甲子園や日本シリーズとも違う、なんらかの熱量である。
「やっぱ兄貴と大介さんの対決だからかなあ」
アナハイムは予想していた通り、直史を先発させてきた。
それが表示されたとき、スタジアムのメトロズファンが、ものすごいブーイングをしたのは面白かったが。
一回の表、攻撃はアウェイのアナハイム。
武史はマウンドに立ち、投球練習をする。
(二度目か)
二度目の兄弟対決だ。
一度目は先に、武史がマウンドから降りてしまった。
しかしここは状況的に、圧倒的に武史が有利なはずの舞台。
直史は連投であり、それに対して武史は中四日。
だがそういう逆境を、逆転してきたのが直史である。
延長15回まで、パーフェクトピッチングをしたとか。
日本シリーズでは、既に四勝という記録を残している。
そんなことが頭にあったのが悪かったのか。
武史はアレクの第一打席に、けっこうあっさりとヒットを打たれてしまった。
そして次は樋口。
大学からプロまで、ずっと自分の球を受けていたキャッチャーである。
ただ武史は、とにかく相手の意表を突くという点だけは、坂本の方が上ではないかと思っている。
ギャンブルに死ぬほど強い、というのは実際に目にしていた。
樋口の場合はギャンブルではなく将棋で、直史と普通に指していたのを見ている。
純粋に思考力で勝負するのを、樋口は好んでいるのだ。
もっとも相手の裏を書くのが、ものすごく得意なのも確かだが。
その樋口に対して、坂本の出したサインはスプリット。
(いいのかよ)
樋口は抜けた球などは、見逃さずに打ってくる。
だがここで計算外のボールを見せれば、後の打席では有利になるだろう。
まさに坂本の読みは正しく、樋口は初球を打ってしまった。
それも大介の守備範囲のショートゴロ。
まさか、アレクと樋口の俊足コンビをダブルプレイに出来るとは。
今日は運がいい。
そう思って投げた、ターナーへの第一球。
少し高めに外そうとした105マイルが、普通の高めに入っていった。
そしてターナーは、それをジャストミートした。
美しい放物線を描き、ボールはレフトスタンドへと。
武史にはこれがある。
初回から、やらかしたホームラン。
アナハイムが先制して、最終戦は始まった。
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