第126話 失策
武史は呑気であった。
てっきり中四日で起用されて、トローリーズ戦を第五戦で終わらせる。
そこからまた中四日で、今度はワールドシリーズの第一戦に投げるのだと思っていたのだ。
それが第五戦はスタントンで、まさかとは思ったがリリーフで投げることもない。
中六日という充分な休養をもらって、第六戦に投げることになった。
対戦するピッチャーは本多で、甘い相手ではない。
だが第一戦のトローリーズの打線や、また本多の能力とメトロズの打線を比較すれば、勝てるだろうと思っているのだ。
甘く見ているわけでも、油断しているわけでもない、
純粋に全力を出せば、勝てると思っているだけだ。
ただそうすると、困ることが一つある。
果たしてワールドシリーズでは、何戦目に投げるのか、ということだ。
最初は中四日が二連続と覚悟していたし、ポストシーズンはそれぐらいの無理はすると思っている。
だがここで充分に休養を取ってしまった。
ワールドシリーズ第一戦で投げるとしたら、中二日で投げることとなる。
この試合が七回あたりで降りたとしても、二日でどれだけ回復するのか。
「第一戦には当てちゅうないっていうこっちゃ」
坂本はこの投手運用を、正しく理解していた。
武史は今年、無敗のピッチャーであった。
だが先発した試合が、全て勝利であったわけではない。
直史と投げ合った試合に、途中で交代した試合。
二試合で負け星はついていないが、試合は落としている。
ほぼ勝てるピッチャーを、直史に当てるという危険性。
せっかく直史以外であれば勝てそうなピッチャーを、直史に当てるのはもったいない。
つまり今回のトローリーズと同じことを、メトロズの首脳陣は考えていたということだ。
ただしトローリーズと違うのは、おそらく第一線もちゃんと、ジュニアなりウィッツなりを、先発に持ってくるであろうということ。
さすがに中二日という状況は、武史の登板感覚を空ける理由になる。
首脳陣からも、直史には勝てないと思われている、などと武史は捉えたりはしなかった。
そう考えるのも自然であったし、実際に武史も勝てる可能性は低いと思っていたからだ。
万全の状態で、まずは本多と対決する。
そしてワールドシリーズの第三戦あたりに出れば、中五日で投げることになる。
アナハイムに勝つには、直史以外のピッチャーから確実に勝っていかなければいけない。
だが直史以外にも、スターンバックにヴィエラなどは、なかなか手強いピッチャーだ。
ただアナハイムの弱点は、リリーフ陣がそこまで強力ではないこと。
クローザーのピアースはともかく、セットアッパーは微妙である。
メトロズにも同じ問題があるが。
ただアナハイムはミネソタとの対戦にて、ひどいことをしでかした。
直史をリリーフで使って、ミネソタの上位打線を封じる。
これをやられないためには、リードした局面で終盤を迎えなければいけない。
ミネソタならば出来ると思っていたのだが、アナハイムも得点力は高かった。
またスターンバックの一生に一度というぐらいの力投もあった。
同じ手段を、メトロズは使うことが出来ない。
武史はピッチャーとしての絶対値はともかく、リリーフには徹底的に向いていない性質なのだ。
武史を直史以外のピッチャーに当てて、確実にそこで勝つ。
あとはやや上の得点力を使って、他のピッチャー同士での対決を制する。
そんなに上手く行くものか、と思うかもしれない。
しかし武史は、それでいいだろうな、と思う。
本気になった直史を打てるとしたら、それは大介だけだ。
去年のワールドシリーズの結果が、それを示している。
第六戦、武史はしっかりと肩を作ってから、試合に臨む。
序盤に点を取られては、相手に流れがいくかもしれないと考えてのことだ。
一回の表はそれで、三者凡退のスタートを切った。
そしてその裏、メトロズの攻撃。
先頭打者は、もちろん大介である。
この一回の攻防で、試合が決まる可能性もある。
武史は今季、完封が18試合もあるのだ。
ただトローリーズの人間は、諦めてはいない。
去年と今年、レギュラーシーズン中のハイウェイシリーズで、トローリーズは直史と対戦している。
去年も今年も、かろうじてヒット一本を打っただけの完封で負けている。
それに比べれば武史は、二点までは取られているピッチャーなのだ。
本多としては不本意なことながら、この一回の攻防では、先取点を取れなかった場合、大介との対決は禁じられている。
申告敬遠で歩かされる大介。
ブーイングは大きいが、本多の集中力を乱すほどのものではない。
(さて、走っていくべきか)
NPB時代の本多は、さほどクイックの上手いピッチャーではなかった。
だがMLBに来てからは、クイックが上手くて走りづらいと言われている。
MLBにおいてセイバー・メトリクスでのデータ分析が行われると、盗塁の重要度が下がっていった。
そして盗塁がされないとなると、それを防ぐための技術も衰えていくわけだ。
ベンチから盗塁禁止のサインは出ていない。
ならばここは走るべきだろう。
本多の足が上がり、大介がスタートを切る。
しかし本多の投げたボールは、完全にゾーンから外れていた。
キャッチャーがをれと受けて、勢いをつけて全力で二塁へ。
カバーに入っていたのは野手のグラブに、そのまま収まる。
ベースの前で大介の足にタッチ。
審判の手が上がった。
このポストシーズン、散々に敬遠されてきた大介。
その仕返しとばかりに、盗塁を成功させてはきていたのだ。
だが八度目にして、初めての盗塁失敗。
試合の流れは、まだメトロズの方にはやってこない。
充分に休んだ武史は、またいつも通りは序盤、丁寧に球数をかけてバッターをしとめていく。
アイドリングによって少しずつ、球威は上がっていく。
一方の本多も大介を消してもらったおかげで、九人で三回までを終える。
どちらのピッチャーも、素晴らしいピッチングと言っていい。
だが四回の表、武史は三者三振でトローリーズの攻撃を終わらせた。
いよいよ本格的に投げてきたということだ。
球速は初回から104マイル出ていて、四回に表示されたのは105マイル。
だがわずか1マイルの差ではない、決定的な差が武史のピッチングにはあるのだ。
四回の裏、メトロズも大介がバッターボックスに入る。
ここでまた、トローリーズは申告敬遠。
スタンドからブーイングが上がるが、これは本多の責任ではない。
そして大介もここは、盗塁を狙わない。
動かない試合では、下手に動かそうとしてはいけない。
なのでリードは大きめに取っても、意識は常に帰塁することに向けておく。
バッテリーはそれを承知の上なのか、シュミットに集中する。
初球はストレートが外した。
万一スチールをかけた時は、すぐに投げられるように外へ。
ただ大介はのんびりと一塁に戻り、キャッチャーも本多に返球する。
そこが隙であった。
先ほどの盗塁阻止と、ここでの大介の帰塁意識。
それを見ていたキャッチャーは、遅いボールで本多に返球してしまっていたのだ。
その投げた瞬間に、大介はスタートしていた。
ディレイドスチールで、二塁に到達。
二遊間のベースカバーが遅れたことが、直接的な原因である。
やられたらやり返す、それが大介のポリシーである。
そして二塁からは、セカンドとショートの守備位置を牽制するため、大き目のリードを取る。
三塁を狙うのか。
確かに大介は、三盗もそれなりに決めている。
本多としては、ここはシュミット相手に集中して投げたい。
キャッチャーがミットを構えて、ランナーを自分に任せるように促す。
メトロズベンチの中からサインが、バッターとランナーに送られる。
セカンドかショートがベースカバーに入ろうとしても、そこはすぐに戻る大介である。
守備のシフトを少しでもずらせば、それなりにシュミットに有利になる。
大介はそれを分かっているのだ。
そして投げられた球は、フォークであった。
シュミットはそれを空振りしたが、大介はスタートを切っていた。
フォークから外すのは難しく、キャッチャーも送球体勢にすぐに戻るには難しい。
それでも三盗は難しいのだが、大介はぎりぎりでセーフとなった。
ノーアウト三塁。
とりあえず三振と内野フライ以外なら、何をしてもホームに突っ込むつもりの大介である。
(シュミットなら最低でも、外野フライぐらい打ってくれると思うけどな)
カウントもそれほど悪くない。
ただそこから、シュミットがあえて自分から出したサインは、ベンチと大介を困惑させた。
(マジか)
大介は思ったが、ベンチも了承する。
そしてシュミットは、バントの構えとなった。
シュミットがバントの構えをするなど、見たことはあっただろうか。
一応バッティング練習をする時には、マシンで目を慣らす時、バントでそこそこ転がしてはいた。
ただ基本的にMLBでは、バントは激減しているのが昨今である。
もっともこういった決戦においては、スクイズも有効であるというデータもある。
状況によってスクイズをするかどうかは、その評価値が変わるのだ。
ワンワンからスクイズをするのか。
大介の足を考えると、確かに転がせばセーフに出来る。
だが正気を疑ったトローリーズバッテリーは、まず一球外してきた。
シュミットはバットを引いて、ボールカウントを増やす。
ベンチからのサインが届いて、またシュミットはバントの姿勢へ。
大介は帰塁出来る範囲で、じりじりとホームへのリードを大きくしていく。
(ここでスクイズ? シュミットが?)
本多としては、今年も30本のホームランを打っているシュミットが、スクイズというのは考えにくい。
だが今日のメトロズの先発は、武史であるのだ。
防御率が1を切るエースを使っているのだから、なりふり構わず一点というのはありうる話だ。
そしてもう一球外す。
これで先にボールカウントが進んできた。
歩かせるか、という判断も出てくる。
ただこのシュミットのバントの姿は、ブラフであるとも思えるのだ。
結局トローリーズのベンチが下した判断は、勝負である。
本多の足が上がって、大介はスタートするフリをした。
ゾーンへのボールを、バットを引いたシュミットが軽く打つ。
前にチャージしていたサードの頭を、ちょうど越えるぐらいのフライであった。
定位置であったなら、確実にフライアウトにしていた打球。
だが他のポジションの野手も、そこはとてもフォローできない。
一度立ち止まりかけた大介は、無事にホームベースを踏む。
そしてバスターで打点をつけたシュミットは、一塁へ。
普段から練習をしていないと、出来ないようなプレイ。
シュミットはホームランも打つが、それ以上にこういったバッティングも上手い。
単なるヒッティングではなく、バッテリーを揺さぶるための作戦。
それがちゃんと、一点につながったのである。
ここから試合の流れは、メトロズに傾きだした。
武史は奪三振ショーを開始する。
お互いに、エース同士が投げあう投手戦となった。
武史が遠慮なく三振を奪っていって、その中で内野の頭を越えるポテンヒットは出た。
本多もクリーンヒットは打たれたものの、追加点にはつながらない。
そしてそのまま、九回までスコアは動かない。
九回の表、トローリーズの攻撃。
一番からの好打順で、最後の攻撃が始まる。
結局この試合は、このカードは、首脳陣の作戦の失敗であった。
初戦に大敗したトローリーズは、第二戦で立て直すことが出来なかった。
そしてこの試合も、安易に大介を敬遠しすぎた。
大介の盗塁成功率は、ほぼ90%であるのに、どうしてそこを注意しなかったのか。
武史にプレッシャーを与える意味でも、0-0のスコアで試合を進めるべきだったのだ。
もっとも武史はそんなことでは、プレッシャーなど感じない鈍さを持った男であったが。
この最後のトローリーズの攻撃も、抑えればワールドシリーズが決まるという緊迫した場面。
だが本人はその価値を認めないがゆえに、平然と投げることが出来る。
一発があれば、そこで同点なのだ。
それなのに武史は、無頓着にストライクを取っていく。
ストレートだけではなく、ナックルカーブも混ぜて。
坂本のリードにはクセがあり、それを読むのはバッターにとって難しい。
最後に三振を取ったのは、チェンジアップであった。
1-0にてメトロズの勝利。
そしてこれで、ワールドシリーズ進出も決定した。
惜しい試合であった。
だがどれだけ接戦であっても、勝つのは一方のみ。
メトロズはこれで、アナハイムと二年連続でのワールドシリーズとなる。
そしてトローリーズは、三年連続での敗退となった。
ワールドシリーズが始まる。
あるいはこれが、投打の極みの最後の対決となるか。
誰もが待っていたカードで、ワールドシリーズが始まる。
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