第108話 求められる記録

 投打のシーズン記録のほとんどを、大介と直史が更新してしまった。

 もっともピッチャーの記録は、勝利数などは更新のしようがない。

 そして大介の更新していない、MLBの記録の一つ。

 それはシーズン打率である。


 そもそもMLBの形態が今とは全く違った20世紀半ばにかけては、四割打者がいた。

 近代以降の野球であるが、これ以前はそもそもピッチングのルールが違ったりして参考にならない。

 大介はもう半世紀以上誕生しなかった、四割打者である。

 そして今年はさらに、シーズン打率も更新するかと思われていたのだが、それがあやしくなってきた。

 今までの最高記録は、100年以上も前に記録された0.426だった。

 去年の大介の0.414は歴代五位となる。

 六月終了時点での大介の打率は、0.445と、これは確実に超えるなと思われていた。

 だが七月単体は0.421と落ちている。

 いや、それでも去年は軽く超えているし、今でも0.435の打率はある。


 大介が頭を悩ませているのは、打率よりもむしろ出塁率だ。

 七月は0.610とそれでも化け物じみた出塁率なのだが、四月は七割近くで、どんどんと落ちてきている。

 どれだけ贅沢な悩みなのだ、などとは言ってはいけない。

 大介は自分の体格が小さいがゆえに、いつ自分が全く通用しなくなるか、常に考えてプレイしている。

 もう一生遊んで暮らすだけの金はあるだろう、などと言ってはいけない。

 大介にとって野球選手であることは、己の存在証明に近くなっている。

 もちろん野球選手でなくなっても、大介を必要としてくれる存在はいる。

 だがいつかは、プレイヤーではいられなくなる。


 おそらく15年後には、もうMLBやNPBにはいないだろう。

 独立リーグで細々とプレイしているだろうか。

 あるいはクラブチームで、コーチをしながら選手もしたり。

 大介は代謝機能が優れているが、これが老化現象に対して、いいか悪いかが分からない。

 ひょっとしたら30代の半ばで、急激に劣化することすらありうるのだ。


 重要なのは記録やタイトルではない。

 チームとして勝つことだと、大介は本音で話す。

 ただその大前提として、大介が打たなければ、試合に勝つことが出来ない場合が、あまりにも多い。

 それは高校時代から、ずっと続いていた現実だ。

 もちろん大介一人で、試合に勝てるわけでもないが。


 現在のメトロズは、85勝20敗。

 プロ野球の勝率とは思えない、80%を超える勝率を叩き出している。

 だがこれで余裕の首位と言えないのが、今年のMLBの恐ろしいところだ。

 地区優勝はもう決まったようなものだが、アナハイムは82勝24敗。

 やはりアナハイムは、六月の三連敗が響いている。


 なんだかんだ言いながらメトロズが強いのは、ピッチャーが崩れても打線がそれ以上に点を取るからだ。

 アナハイムは平均得点と平均失点の差が、およそ2.6で、メトロズはなんと3.3である。

 これだけの差があれば、メトロズが強いのも頷けるはずだ。

 もっともそれは、去年も同じことが言えた。

 アナハイムの防御率は、なんと全体で3.06と、冗談のような数字になっている。

 それでも去年よりは、少し悪化しているのだが。


 


 アウェイでのコロラドとの第一戦。

(さすがに限界だと思うけどな)

 大介は歩かされて塁に出る。

(四割二分六厘は無茶だ)

 去年の大介の記録は、細かく言えば0.4136である。

 そこからさらに、打率を上げる。


 おそらく本当に、打率だけにこだわるならば、可能なのかもしれない。

 ベーブ・ルースもホームランを捨てるなら、四割は打てると言っていたそうだし。

(捨てるのは長打じゃないよな)

 大介は実際に、三冠王を取りながら、ホームラン記録を更新し、打率も自己最高を記録した。

 だがいくらバットコントロールに当て勘を駆使しても、野手の守備範囲内に飛ぶのはさけられない。

 完全にライナー性の打球だけなら、それもある程度は抜けていくのだろうが。


 野手に捕られるグラウンドよりも、野手のいないスタンドを狙う。

 昔からずっと言っていたことで、それを実現させるために、大介はホームランを狙うのだ。

 ゾーン内に投げられれば、基本的に全てはホームランを狙う。

 だが今はボール球にまで手を出しているので、こういう数字になっている。


 もっと選んでいけば、記録は超えるのかもしれない。

 だがそのためにOPSが落ちてしまうのでは、あまり意味がない。

 大介の場合は盗塁が出来るので、OPS以上の得点力を持っている。

 ボール球を打って単打なら、コストに対して、あるいはリスクに対して、リターンが合わない。

 それでも打っていくのは、よりピッチャーにプレッシャーを与えるだめだ。


 全打球ホームラン狙い。

 そんなことを言っていいのは、いったいどんなステージまでだろう。

 ただ現在のMLBは、ボール球をしっかりと見極めて、ゾーンのボールはかっ飛ばすという、大味なバッティングになっているというのは確かだ。

 大介の場合はゾーン内の球は、基本的にジャストミートを狙っている。

 そしてそれが上手く運べれば、スタンドに届いてホームランになるわけだ。

 大介にとって野球のグラウンドというのは、とても狭いものだ。

 確実にミートすれば、その打球はフェンスまでは届くと考えていい。

 あとは角度があるかどうか、という話になる。


 そもそもコロラドの場合、打者有利のスタジアムとして知られている。

 標高が高いためにボールが乾燥し、反発力が高くなって飛距離が出やすいのだ。

 過去に一度だけあったノーヒットノーランでは、雨という状況であった。

 それを参考にコロラドは、ボールに湿度を与えるようにしていた時期があるのだが、現在では全てのスタジアムにおいて、乾燥も湿気も極端にならないよう、管理されたボールが使われている。


 大介はこのバッター有利なスタジアムで、まず初戦は三打席も歩かされた。

 今日はコロラドも弱いピッチャーを使っているため、後続が打ってくれるだろうと考え、無理にボール球を打ちにいかなかったのだ。

 そして残りの二打席は、甘い球を打っていった。

 それでも野手の正面に、ボールが飛ぶことはある。

 チームとしては勝利し、大介は打球はヒット性であったが、一つは野手正面。

 二打数一安打は、打率五割だ。

 ただしコロラドはここから、かなり極端な作戦を取ってきた。

 珍しいものではない。単純に、大介を歩かせる回数を増やしたのだ。




 大介は妻の出産のため、二試合を休んでいた。

 もしもそれがなかったら、連続試合安打が、とんでもないものになっていただろう。

 ただその連続試合安打が、コロラドとの二戦目で途切れた。

 一度しか打つ機会がなければ、それも仕方がないであろう。


 ホームであるのにブーイングを受けているコロラドベンチは、気の毒なものではあったかもしれない。

 だが一度は打つ機会があったのに、結局は打てなかった。

 チームとしては勝利していたので、これは仕方がないことだろう。

 ただしそれが、三戦目も続いた。

 もっともこちらは、ちゃんと試合に勝つための敬遠。

 一打席だけの勝負で、大介はソロホームランを打つ。

 しかし先発のワトソンがずるずると打たれて、チームは4-6で敗北。

 メトロズの連勝は5で止まった。


 問題は前回の敗北も、ワトソンについているということだ。

 六人目の先発ローテとして使われることが多いワトソンは、今季ここまで8勝3敗。

 勝ち星や貯金だけを見れば立派な数字になるが、防御率は4に近い。

 まだまだ若手で来年以降のメトロズのことを考えると、成長していってほしい人材だ。


 ただワトソンはリリーフとして使われる時は、それなりにロングリリーフでも投げていける。

 なのでイニングイーターとしては、それなりに使われるのだ。

 育てながら勝つという難しいことを、メトロズはしようとしている。

 わずかだがアナハイムと勝率に差があるため、こういったことも出来るのだ。


 便利使いされていたワトソンに、疲労が蓄積していたというのもあるかもしれない。

 メトロズはリリーフ陣が、ややアナハイムよりも劣る。

 クローザーはともかく、そこにいたるまでのセットアッパーが。

 ただし結局その点は、補強はされなかった。


 ベンチのトレードはなかったが、40人枠では入れ替えがあった。

 おそらくフロントと首脳陣は、九月に若手を試して、ポストシーズンや来年以降を見据えているのだろう。

 大介からすれば一気に打線が抜けるかもしれない来シーズン、そこを若手で補強するというのはありだと思う。

 契約が終わると言うのは、逆に言えばそれだけ、また使える資金が増えるということだ。

 それによって来年、どういった選手を取ってくるのか。

 出来ればシュミットには残ってほしいなと大介は思うのだが、それをすると契約が巨額になってしまい、次の大介との契約を更新するのに、資金が足りなくなってしまう。

 メトロズのオーナーはかなり道楽気味に金を使うが、それも限度がある。

 ただこれまでの所業を見ていると、たとえ今年も優勝できなかったとしても、やはり強力なチームを作ってくるのかもしれないが。

 そのあたりはむしろ、GMの手腕の見せ所である。




 勝ち越したとは言え、連勝を止められてしまったメトロズ。

 ここからはやや、スケジュールが厳しくなってくる。

 まずはホームに戻って、トローリーズとの三連戦。

 本多が三試合目に投げてくる予定になっている。


 武史、ジュニア、ウィッツという強い三枚を当てる予定であるが、果たしてどうなるのか。

 この先八月は、ラッキーズとのサブウェイシリーズも存在する。

 まだアナハイムとの勝率差はあるが、楽観していられる数字でもない。

 それでも全体としては、メトロズの方が有利だろうという評価になっている。

 今の時点でリードしているのだから、有利だと言われるのは当たり前だが。


 そろそろ首脳陣は、ポストシーズンを見据えていかなければいけない。

 ただし去年もそうであったが、今年もまた戦力の分散が難しい。

 本当ならばスタメンは、常に最良の選手を揃えておくべきであろう。

 だが実際は疲労度をちゃんと見て、ある程度休ませていかなければいけない。

 特にそれが言えるのは、この夏場の試合だ。

 ニューヨークは冬は寒くなるのに、夏はフェーン現象で普通に南方の街よりも暑くなる。

 湿度がないだけ日本よりはマシだなと大介はへっちゃらなのだが、普通のアメリカ育ちは暑さに参る。


 八月の暑さが残る九月、あるいは涼しくなってくる。

 ただしそれをもって過剰に動いて、故障する可能性も考えなければいけない。

 九月にはセプテンバーコールアップで、ベンチの人数が多くなる。

 その中の選手と交代することで、スタメンは体力を回復したり、故障のリスクを減らすのだ。


 それが普通なのだが、今年のメトロズはとにかく強すぎる。

 ライバルであると思われたアナハイムには、かみ合わせもあったが二勝一敗で勝ち越し。

 去年と違って絶対的なエースで、試合を確実に取ることが出来る。

 もっともそのスーパーエースをぶつけ合う事態は、避けたいと思っているのが首脳陣の正直なところだ。

 そしてメトロズに期待されているのは、117勝の記録をさらに上回ること。

 油断なく戦力を運用すれば、それは可能だろう。

 しかししっかりと休養を取らせるのは、ワールドチャンピオンになるために必要なことだ。

 もちろん一番いいのは、しっかりと主力を休めつつ、勝ち続けること。

 そのあたりの匙加減も、首脳陣に課せられた役目だ。




 まずはトローリーズとの第一戦が始まる。

 ホームで迎えるトローリーズは、幸いと言うべきかこの第一戦は、やや弱いピッチャーを出してきた。

 先発の力量の比較で考えれば、重要なのは第三戦。

 今年もポストシーズンに、進出する可能性の高いトローリーズ。

 その投手陣をどう攻略するかは、やはり重要な課題なのだ。

 同時に優れた打線をどう抑えるかも。


 武史はこの数試合、自分だけの責任ではないのだが、精彩に欠けるところがある。

 前の試合では完投出来ず二点を取られ、その前の試合では途中退場。

 さらにその前の試合では、110球を投げている。

 疲れが暑さで、より強く感じられているのかもしれない。

 そんなわけでこの試合は、スタミナ配分が重要と思われている。


 ただ、大介はその意見には反対であった。

「スタミナじゃないよな、問題は」

 日本語が通じるのは、ベンチの中では坂本と通訳の杉村。

 そこにだけ気をつけて、大介は話しかける。

「お前、ちょっと舐めてきてるだろ。別にそれは悪いことばっかじゃないけど」

 困ったような顔をする武史としては、確かに図星なのだ。


 そろそろ負けてもおかしくないな、と武史は思っている。

 そしてトローリーズの戦力相手なら、確かにその可能性は高いのだ。

 この間のシアトルとの試合でも、初回から失点していた。

 現時点での成績で、既に新人王やサイ・ヤング賞は取れるだろうと思われている。

 沢村賞と違って、リーグ別に二人が選ばれるのがサイ・ヤング賞だ。


 武史は別に、スタミナが落ちているわけではない。

 単に上手くいきすぎて、モチベーションが落ちているだけだ。

 直史のように、自分のピッチングを極限まで極めようなどとは思わない。

 それでも勝ってしまうのだから、才能の巨大さは恐ろしいものなのだが。


 大介としては長い付き合いだけに、武史の考えていることは分かる。

 自分だけではなく、ツインズからの助言もあるのでなおさらだ。

 ただしトローリーズ相手に負けるのはまずい。

 ここで調子の乗って、ポストシーズンで戦いたくはない。

 なのでこの試合は、最初から飛ばしてでも、完封して三振を奪いまくってほしい。


 大介の言葉に、武史は頷いた。

「じゃあ、オール奪三振でも目指してみますか」

 武史のピッチングスタイル的に、それはほぼ無理なものだ。

 ただ武史は意外性の男なので、下手に口にしてしまうと、達成してもおかしくない。


 もっともこの試合、先頭打者にヒットを打たれて、その野望は消え去る武史。

 ショートからの鋭い視線に、目を泳がせる武史であった。

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