第109話 ナ・リーグの攻防
ロスアンゼルス・トローリーズはこの三年間、ずっとポストシーズンのリーグチャンピオンシップにまで進出している。
三年前はワールドシリーズであと一歩のところで敗退した。
リーグ屈指の金持ち球団であり、強さを維持する能力は極めて高い。
だが安定してポストシーズンにまで進みながら、あと一歩何かが足りない、とは感じていた。
去年も二年前も、メトロズに敗北してワールドシリーズ進出を逃している。
去年は二勝四敗、二年前も二勝四敗。
とにかくこの二年、メトロズが巨大な壁となって立ちふさがっている。
金の使い方が下手と言われていたメトロズが、確実に強くなっている。
二年前も強かったが、去年もシーズンは破竹の快進撃。
117勝の記録を作って、それでもワールドチャンピオンにはなれなかった。
今年のメトロズはさらに強い。
だが前回のトローリーズとのカードは、二勝二敗であった。
トローリーズは同じ地区の、サンフランシスコとサンディエゴとの星の食い合いで、おそらく100勝が精一杯。
だが短期決戦であれば、メトロズに勝てるかもしれない。
本多はそう思いながら、対戦するメトロズのピッチャーを見ていた。
「化け物め……」
九回になってまだ、105マイルを平然と出してくる。
それに100マイルオーバーで、ムービングを投げてくる。
落ちないスプリットを打たれて、一点は失っている。
だがメトロズの打線は、それをたやすく取り返した。
前回のカードでは、トローリーズは武史を体験していない。
もちろん映像では散々に研究しているし、105マイルはマシンで体験していた。
なので序盤にはちゃんと打てたのだ。
一点を先制し、ここからまた点を取っていこうと思っていた。
だがワンナウトも取らないうちに一点を取ってしまったのが、結局は悪かったのだろう。
佐藤武史は立ち上がりが悪い。
それはこれまでの試合からも、おおよそ分かっている結論だ。
しかし初回、ヒットを三本打たれたところから、三連続三振。
二回の表も全てを三振でアウトに取った。
かろうじてバットに当てた球が、前に飛ばない。
キャッチャーのサインに、何度も首を振っている。
ストレートが来ると分かっているのに打てない。
マシンの105マイルとは、何かが圧倒的に違うのだ。
(打ちて~)
本多の中の四番魂がうずく。
ピッチャーだけに専念してしまった、過去の自分に囁きたい。
だが本多よりもさらに打っていた上杉が、プロ入り後はピッチャーに専念していたのだ。
一年目は三割と、少ない打数で七本のホームランを打っていたが。
全ての選択は、他人の責任にしてはいけない。
本多が高校時代に、監督の松平から言われたことだ。
本多はプロに行ける人間だったし、プロに行くつもりだったし、プロに来ることになった。
それでも自分は、プロに行って当たり前に活躍出来るとは思わない方がいいと言われた。
自分の可能性を閉ざすのとは違う。
物事は一生懸命やっても、それでも当たり前に上手く行くわけではない。
一年生で甲子園の優勝を経験しても、まだそれはプロに行くまでの過程の一つ。
帝都一ほどの名門で、四番でピッチャーというのが、どれだけの素質を持っているものなのか。
NPBでは何度か、バッターとして対決した。
だが自分が打たなければ勝てないとは思わなかったし、自分が打っても勝てないと思ってしまった。
あの頃のタイタンズというのは、そういう雰囲気だったのだ。
(こいつを打ったら、ワールドシリーズに行ける。そしたら――)
そこまで考えて、本多は背筋が寒くなった。
たとえメトロズに勝ってワールドシリーズに進んでも、そこで戦うのはあいつなのか。
今年も続いている連勝の記録。
MLB以前、NPB以前、公式戦で負けた記録は、もう10年以上も昔の話。
これは野球というスポーツなのだ。個人競技ではない。
テニスで例えるなら、もうアマチュア時代からずっと負けなしで、プロに入って二年連続でグランドスラムを達成しているような。
あの化け物と、今度は戦わなければいけないのか。
本多は絶望という言葉を実感した。
そして打線陣はいつも、あいつと対戦するたびに、それを体験しているのか。
ただそれを言うなら、ピッチャーはメトロズと対戦するたび、大介との対決がある。
しかしピッチャーは、逃げることが出来るのだ。
佐藤兄弟は逃げない。
信念として逃げないのではなく、逃げなくても勝てるから逃げないのだ。
隔絶したレベルの先に、まだレベルの違う相手がいる。
同時代に生まれたのが不運であったというのか。
(そんなわきゃねーよな)
上杉に勝って、甲子園で優勝した。
三年の夏は優勝校に負けたが、その後にワールドカップというイベントが待っていた。
プロ入りはゴールではなく、一つの区切りに過ぎない。
そして優勝しなくても、MLBにまでやってきた。
30チームもあるリーグでは、ひょっとしたら一生優勝出来ないのかもしれない。
だがそれでも、自分が目の前の敵に、挑まない理由にはならない。
怪物はいる。
(でも俺も、負けてばかりなわけじゃない)
去年のリーグチャンピオンシップ、本多は一人でメトロズから二勝した。
(戦力の差なんて、思ってるほどないぞ)
そう考えている本多の視線の先で、武史が22個目の三振を奪って、試合終了。
ノーヒットノーランでも、マダックスでも、完封ですらない。
だが完投で、22個の三振を奪った。
この敗北感の中から、立ち上がらなければいけない。
一つや二つ負けたぐらいで、落ち込んでいる余裕がないのがプロだ。
負けの意味が軽いわけではないが、次の戦場がすぐにやってくる。
(タフなリーグだ)
明後日の自分の登板を考えながら、本多はベンチを後にした。
一試合あたりの奪三振の記録を塗り替え、さらにその上位を自分の名前でどんどんと埋めている武史。
ピッチャーとしての総合力は直史の方が、絶対に上なことは間違いない。
だがピッチャーとして魅力的なのは、特に観客にとっては、それは武史の方ではないだろうか。
ノーラン・ライアンの持つシーズン奪三振記録は383。
現時点で武史は361奪三振を記録している。
下手をしなくてもあと二試合あれば、その記録を更新する。
残りの試合数を考えれば、圧倒的に更新するだろう。
奪三振王であったが、暴投王でもあったノーラン・ライアンを、完全に上位互換したような存在。
上杉の奪三振を去年見たアメリカは、その幻影を武史の中にも見る。
圧倒的な奪三振能力。
だがそれでも、直史には勝てていない。
負けたわけではないが、最終的にチームとしてはアナハイムが勝った。
そして直史は勝ち星を一つ増やした。
兄弟対決や、義理の兄弟の対決など、因縁の多い対決だ。
そして爆発的に増えている日本のMLB視聴者も、チャンネルの収益の爆発的な増加に寄与している。
もちろんこの暴走した狂想曲は、様々な問題も孕んでいる。
社会全体に過剰なエネルギーが流れ込んでしまっている。
だがそれすらも全て抱えて、物語は進んでいく。
明確な主役はいない。
直史と大介の対決が、大きな軸とはなっている。
しかしその間と周囲には、武史がいたり樋口がいたり、そして本多もその一員ではある。
第二戦もジュニアが投げメトロズが勝利した、カード最後の第三戦。
今年のレギュラーシーズン、メトロズとトローリーズとの最終戦は、トローリーズ先発本多の意地が炸裂した。
メトロズも離脱期間はあったとは言え、今季14勝2敗のウィッツが先発する。
トローリーズが初回に先制出来なかったため、その裏のメトロズの攻撃、本多は大介を敬遠した。
これまでの本多は大介を相手にしても、ボールが外れてフォアボールになったことはあるが、申告敬遠で最初から勝負をしなかったケースはない。
単純な真っ向勝負はせず、完全に勝ちにきている。
そのためのシビアな作戦だ。
シュミット以降のバッターも、難しい相手には違いない。
それでも本多は、大介を相手に消耗することを考え、勝負自体を避けた。
本多が本気で勝ちにきている。
大介としては、勝負を避けられたことを、悔しくは思っていない。
NPB時代から本多は、自信家ではあった。
シーズンの中で何度も対決したが、決定的に打ち砕いたという印象はあまりない。
ホームランもちゃんと何度か打っているのだが、本多のフォークは空振りを奪えるボールだ。
タイタンズは大介のプロ入りの時期、ある程度は強かったが、数年間日本一を逃していた。
上杉のスターズと、パのチームに負けていたからである。
まさかそこからずっとスターズ、ライガース、レックスにリーグ優勝を阻まれるとは、思ってもいなかっただろう。
今年もAクラス入りを目標としているが、それが精一杯。
上杉の復帰したスターズと、ライガースが今年の二強だ。
タイタンズ時代の本多は、敬遠をするタイプのピッチャーではなかった。
もちろんどうしようもない場面では、ベンチからあっさりと申告敬遠されることはあったが。
だがこの申告敬遠は、本多の意思を強く感じる。
勝つための申告敬遠。
おそらくそれはトローリーズが、ポストシーズンでどう戦うかを考えてのものだ。
ワールドシリーズでアナハイムと戦うことだけを目標としているが、トローリーズともこの二年、リーグチャンピオンシップで対決しているのだ。
どちらもスウィープというわけではなく、負けている試合がある。
考えてみれば今年の場合、武史で一勝したとして、二試合目も投げさせるのか。
体力と耐久力のある武史であるが、それでも消耗から回復し、微調整する能力は、直史ほどではない。
ワールドシリーズを万全で戦うため、リーグチャンピオンシップでは、他のピッチャーでもトローリーズを倒さなければいけない。
トローリーズはラスボスの手前の存在ではなく、単体の存在なのだ。
もちろんアナハイムを視野に入れながらも、トローリーズの対策もしなければいけない。
トローリーズもそれは、同じ条件のはずだ。
最終的にはアナハイムに、性格にはア・リーグから勝ち上がってきたチームに、勝ってワールドチャンピオンになる。
だが目先の勝負だけに全力を果たさなければ、勝てないと考えている覚悟は、トローリーズの方が上だろう。
(走るか?)
本多の牽制やクイックの上手さは、日本人投手としては平均程度。
ただトローリーズのキャッチャーは、かなりの強肩である。
本多の投げるボールの種類からして、捕球から送球までの時間はそれほどかからないだろう。
大介はややリードを大きくする程度しか、本多への牽制が出来ない。
本多の注意は、大介を抑えながらも、次のシュミットに向けられている。
この一番と二番で点を取るのが、メトロズの攻撃の最大の特徴だ。
二打席目以降は、普通に大介が打ってくる。
そしてツーアウトからの打順であると、高確率で長打を打ってくる。
確実に封じる手段などはない。
バットが届く範囲はもちろん、届かない範囲に投げても、倒れこみながらバットを届かせる。
ただそうやってアウトローのボールを打たせれば、走塁の最初の一歩を遅らせることが出来る。
俊足の大介を少しでも前の塁に進ませないことが、メトロズを封じる上では重要なことなのだ。
初回の攻撃で、両軍点が入らなかった。
強力な打線を誇る両チームであるが、今日はロースコアゲームになる。
ただメトロズの方が、やや焦りはあった。
今年の最初のカードでも、本多はメトロズ相手に勝利している。
去年のレギュラーシーズンとポストシーズンを合わせれば、メトロズ相手には五連勝。
メトロズキラーと言うか、とにかく本多が勝っているのは間違いない。
対戦して投げ合ったピッチャーが、やや弱かったというのはある。
だが今日はウィッツとの投げあいで、ここで負けてはいけないという組み合わせだ。
もちろん武史などであれば、ほぼ一点で勝利は出来る。
だがここのところの武史は、あまり完封が出来ていない。
そもそも完投できることさえ、今のMLBでは珍しいことなのだが。
ウィッツも奮闘しているのだが、先に点を取ったのはトローリーズであった。
そして大介の二打席目は、ツーアウトランナーなしの場面でやってくる。
ここで本多が、トローリーズが選んだのは勝負。
結局どうにか大介を抑えなければ、ポストシーズンでも勝てないと理解している。
ツーアウトからの打席、大介に求められるのはホームランだろう。
長打で塁に出れば、シュミットがヒットを打って、ホームに帰って来れるかもしれない。
だがそう思った大介が打ったのは、フォークを掬い上げるような単打。
一塁ベース上の大介と、マウンドの本多。
どちらもが悔しそうな顔をするという、ほぼ互角のメンタル状態。
大介は反省していた。
(そりゃそうだよな。別にこの世の中、俺とナオのどちらかが、主役ってわけでもないもんな)
アナハイムはミネソタ相手に、あちらはあちらで苦労している。
(あんたは一人、メトロズ相手に無敗で来てるわけだから、さぞ悔しいだろうよ)
野球はチームスポーツなのだから、ピッチャー一人では勝てるわけがない。
直史は去年、ワールドシリーズで三勝した。
だがそれでも、ヴィエラの勝ち星と味方打線の援護がなければ、優勝には届いていないのだ。
大介にしても一人で四本ソロホームランを打っても、相手が五点を取ってくれば、自分の打撃だけでは勝てない。
そしてただスター選手を集めれば、優勝できるわけではないというのも分かってきている。
チームにはバランスが必要なのだ。
本多はさらに遡れば、メトロズ相手には七連勝しているのだ。
彼の投げた試合で、メトロズが勝利している試合はない。
完全なメトロズキラーだと、トローリーズも分かってきているだろう。
そしてこの試合も、トローリーズが優勢の展開。
メトロズを相手に無得点に抑えたのは、今年は直史ただ一人。
その栄光の席に、本多も座ろうというのか。
大介の前後を、しっかりと殺す。
それがメトロズの打線を封じるのに、絶対的な条件だ。
だがそんなことは、どのチームも分かっているのだ。
分かっているということと、出来るということは決定的に違う。
本多は完全に、無失点で抑えている。
ウィッツは三失点で、七回までを投げた。
悪い出来ではない。クオリティスタートを守っている。
だが本多が今日は、完全に意地を見せ付けてきている。
大介の第四打席、打ったボールはフェンス直撃であったが、スタンドまではあと一歩届かなかった。
三打数二安打だが、得点も打点もつかない。
そして八回までを抑えた本多は、最終回はクローザーにマウンドを譲る。
大介の五打席目は遠い。
三点の差は、メトロズであっても簡単に覆せるものではない。
トローリーズのクローザーゴンザレスは、103マイルを出せるクローザーだ。
大介からしたら充分に打てるピッチャーであるのだが、並以上であるバッターでも、おおよそは手も足も出ない。
武史のボールを見ているメトロズの打線でも、まともに打てるものではない。
さすがに大型契約でトローリーズを守る守護神は違う。
この試合だけの話ではない。
トローリーズはポストシーズン、リードした場面でゴンザレスを投入すれば、下位打線なら間違いなく抑えてくる。
103マイルという数字は、武史や上杉のせいでそれほどとも感じないかもしれないが、人類の中でもごく一握りの人間しか出せない速度だ。
3-0にてトローリーズは勝利。
対戦成績自体は、二勝一敗でメトロズが勝ち越した。
だがこちらは武史が完投しても、一点は取られていた。
トローリーズは本多とゴンザレスの継投で、完封をしているのだ。
アナハイムまでの、最大の障壁。
今年もまた、トローリーズがそうなるのか。
アナハイムにもミネソタという、新興勢力が立ちはだかるかもしれない。
ワールドシリーズでの対決は、約束されたものではない。
この敗北は、メトロズの気を引き締めさせるものとなった。
アナハイムがローテが一人故障で抜けて、おそらくゲーム差を保ってメトロズはポストシーズンに突入できる。
だがまだ、残っている試合数は多いのだ。
(負けても、まだ最終的な負けじゃない)
大介は強がるでもなく、冷静にこの敗北を受け止めていた。
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