第103話 七月の誕生
もう五試合、大介はホームランがない。
基本的に大介は、まとめて打つのではなく、安定して打つタイプだ。
それがこうも打てない。
もっとも五試合ぐらい、普通ならスランプと言うほどでもない。
今年は既に、やはり五試合連続でホームランの出ていない試合がある。
だが今回のそれは、今までの短期間のスランプとは事情が違う。
本人も原因がはっきりと分かっているが、どうしようもないメンタル的な問題だ。
桜の出産日が近いのだ。
大介にとっては養子も含めて四人目と五人目の子供になり、桜にとっては二度目の出産となる。
ツインズはどちらもそれなりの安産体型で、実際に二人とも最初の出産は安産であった。
だが今度は双子なのだ。
双子から双子が生まれるというのは、そこそこあるらしい。
双子が生まれやすい家系と言えるのかは、遺伝によって決定する。
しかしそれは母体の体質によるもので、そして二卵性の場合に限る。
排卵時に卵子が二つで安い体質だと、それは二卵性の双子になりやすく、これは母体で女系に遺伝していく場合がある。
ただしツインズは一卵性の双子であるため、本当なら双子が生まれやすいわけではないらしい。
それなのに双子が生まれるというのは、そこそこ珍しく不思議である。
大介は大舞台のプレッシャーや強敵相手のプレッシャー、追い込まれた時のプレッシャーは、むしろパワーに変えてしまう。
だがスタジアムの外の出来事に関しては、それなりにメンタルを乱されることがある。
高校時代は可愛がってくれた祖父の亡くなる前は、調子を落としてしまった。
人間というのはそういうものであろう。
そのあたり大介は、直史の強靭さや武史の無神経さには、敵わないなと思うことがある。
(育てられた環境によるのか?)
大介は両親の離婚もあって、家族が減るということに恐怖心がある。
椿が撃たれた時も、椿のためと言うよりは自分のために、一時期離脱していたのだ。
そのあたり田舎の佐藤家は、ある意味人間の死に慣れている。
周囲に高齢者が多いし、親戚の葬式に出ることもある。
人は必ず死ぬし、若くても死ぬことはある。
大介にはそんな経験は、祖父とイリヤぐらいしかない。
どれだけ精神力が強靭だと思われていても、人の心を壊すことは、技術的にそこそこ簡単なことだ。
メンタル的に安定しているのは、確かに強さの一つだろう。
だが揺らいだメンタルをしっかりと元に戻すのも、強さの一つである。
そんな大介がホームランを打っていないことを、対戦相手のフィラデルフィアは気付いている。
日本ではかつて固め打ちと言われていた、マルチヒットの数も少ない。
無安打の試合は少ないが、敬遠が多いとは言え、三打数一安打でホームランがないなら、勝負する価値はある。
そして勝負してしまって、ホームランを打たれてしまう。
いくら集中力が完全ではないとはいえ、真っ向勝負をすれば打たれる。
この日はホームランも含む二安打で、まさにマルチヒットを記録したのであった。
大介はこれまで、サイクルヒットを記録したことがない。
そもそも一試合に四打席以上勝負をしてもらったことが、ほとんどないからだ。
もっとも得点の多いメトロズは、五打席目が回ってくることも多い。
それなのに二打席は勝負を避けられるというのが、大介にとっては悲しいことである。
ホームランを打たれたら評価が分かりやすく下がるので、仕方がないとも言えるか。
そもそも三塁打を打つのが、大介は俊足の割には少ないのだ。
長打が多いのが分かっているため、外野が最初から深めに守っているというのがある。
サイクルヒットは本来、スラッガーには達成しにくい記録であろう。
それならまだ大介としては、一試合に三ホームランの方が楽である。
実際に三本塁打は記録しているし、甲子園では頭のおかしな桜島戦で、それよりももっと打っていた。
フィラデルフィアとの試合をホームで終えて、次はワシントンへの遠征となる。
そしてここでまた、大介の調子が悪くなる。
ホームでの試合ならまだしも、アウェイであれば出産に間に合わなくなる。
立会いまでは求められていない大介だが、生まれてすぐに母子の無事を確認したいというのは自然な気持ちだ。
ただいつ生まれるか正確には分からないので、そう簡単に休みを取ることも難しい。
集中力が落ちている状態でも、それなりに打ってしまうのは、さすがと言うべきなのだろうか。
MLBにおいては出産立会いの他、忌引休暇や子供たちの行事に参加するため、試合を休む選手は少なくない。
ファミリー・ファーストの素晴らしいアメリカの精神と見る人間もいるかもしれないが、実際のところは違う。
確かにアメリカはファミリー・ファーストであるが、こういった家族像を求められるという背景がある。
良いことのように思えるかもしれないが、実際のところ出産など、男がいても役には立たないと思っている女性は多い。
テンプレートな家族を作り、テンプレートな親子関係を考える。
アメリカの離婚率や実施への虐待率は、日本よりもはるかに高い。
もっともこれについては、日本の場合は隠れている虐待がもっと多い、などという証明のしようのない意見もあるが。
大介にしても昇馬の生まれた時は、これほど動揺はしていなかった。
ただ第二子の出産の時は、同時にイリヤの事件があったのだ。
トラウマになってしまっても、さすがに仕方がないだろう。
ワシントンとの三連戦の次は、セントルイスでの三連戦。
セントルイスからニューヨークへの距離は、三倍以上も遠くなる。
もっとも飛行機の発着の間隔を考えれば、三倍の時間がかかると決まったわけではない。
どこか上の空に近い大介を見ていると、こいつも人間なんだなと、チームメイトは思う。
武史だけは「銃で撃たれても死なないような人間が、出産で死ぬことはないだろうに」などと思っている。
たまたま口には出さなかったが、もし言ってしまっていたらツイフェミさんから、激しい攻撃を受けただろう。
実際のところツインズは、お互いがお互いをみているために、他の家族よりはよっぽど日常での安全性は高い。
やはり世界においては、一夫多妻制や一妻多夫制は認めてもいいだろう。
もちろんそう思っても、口に出さないのが賢い大人だ。
なお鬼畜眼鏡は一夫多妻には反対で、妻と愛人との間には明確な区別を設けていた。
セントルイスとの初戦は、武史の先発となる。
大介の状況と言うか、白石家の状況は、もちろん知っている武史だ。
調子が悪そうだな、と思ったところにポカリと殴りつける大介であるが、さすがにこの日はそうはいかなかった。
試合の直前に、桜の陣痛が始まり、病院に向かったという連絡があったからである。
こういう時でも目の前の仕事を優先してしまう日本人を、美徳と思うか悪徳と思うか。
少なくともアメリカにおいては、パートナーのところに行ってやれよ、と思うのが主流である。
ただ大介はどのみち、飛行機の予定なども計算しているため、すぐに抜け出しても意味がないことが分かっていた。
「昨日の移動日に病院に入ってたら、そこから三日間休んだんだけどな」
そう語る大介の様子は、桜にとっては第二子と第三子の同時出産であるだけに、なかなか落ち着いてもいられない。
椿が一緒にいてくれるし、仕事が終われば恵美理も駆けつけてくれるだろう。
なお武史も、どうせこの試合が終わればオールスターまで登板はないので、一度ニューヨークに戻るつもりだ。
さすがに妹の出産までは休みの制度はないMLBであるが、どうせ代打や代走であっても、武史の出番があるはずもない。
なのでとにかく、この試合を終わらせてしまおう。
そんな理由でフルパワーのバッティングとピッチングを見せられたセントルイスこそ、不運であったと言うべきだろう。
武史はポンポンとストライク先行のピッチングを続け、大介は甘く入ったたった二球のボールを、両方ともスタンドに叩き込んだ。
チームが一丸となって、さっさと試合を終わらせようとする。
なのに甘いボールが入ってくると、打ってしまうのがバッターの性か。
武史の場合も焦った野手のエラーと、ポテンヒットが一つあっただけで、22奪三振であっさりと試合を終わらせる。
「スピードが大事なのに12点も取る打線は空気が読めてないと思う」
普段は全く空気の読めていない武史が、そんなことを言っていた。
ただ武史の場合、野球とは関係のないところでは、それなりにちゃんと空気を読むのが謎である。
野球愛がなさすぎる。
試合後のインタビューもすっ飛ばし、二人はタクシーで空港に急いだ。
一応チケットは二枚取ってもらうように頼んでいるが、間に合わなければ大介だけが先にニューヨークへ戻る予定である。
「この調子だと生まれるのは、明日になってからからな?」
「どうだろうな。下手すれば双子なのに誕生日が違うとかもありうるぞ」
それは面倒だなと思いつつ、大介はふと気付く。
「もし生まれるのが明日になれば、七月七日の七夕か。俺の誕生日も五月五日だから、なんだか不思議な感じだな」
「あ、俺の誕生日も四月四日だし」
「双子の誕生日は三月31日か。なんだか特殊な誕生日多いな」
ちなみに直史の誕生日は、数字が合っているわけでも、特殊な記念日というわけではない。
だが直史が四月、瑞希が五月、真琴も五月と、あの一家はかなり誕生日が近い。
空港についてみると、一番近い便のチケットはないと言われた。
こういう時は、乗る前の列の人に、倍額や三倍でチケットを譲ってもらえないか、理由と共に述べるのがアメリカであったりする。
すると定額で構わないがサインをくれ、と名乗り出てくれる人物が出現。
随分とレアなサインを、着ているTシャツに書いて、一足先に飛行機に乗り込む大介。
タイミングを外すことが多い武史は、結局一つ後の便で向かうことになった。
武史は別に、そこまで急ぐ必要なないのである。
出産は女のもので、男は役に立たない、というのが佐藤家の一帯の認識である。
そうは言っても時代は変わるので、直史などは普通に出産に立ち会った。
ただ真琴の時は、その出産した直後からが大変であったが。
泣いて不快感を表明しようにも、それに必要なエネルギーを肉体に送り出すだけの力が、心臓になかった。
大介の場合も立ち会うといっても、分娩室の前でうろうろと歩き回るぐらいだ。
結局はその間に、武史が追いついてきたりする。
一緒に入室しているのは椿だけで、双子の出産の立会いに、双子が室内にいるという、面白い事態が勃発している。
もちろん当事者たちにとっては、真剣な話であるのだが。
日付が変わって夜明け前に、双子の女の子が誕生。
比較的安産であり、桜も出産直後から、サムズアップをする余裕があった。
二人目以降の出産が楽だというのは、確かな事実だなと確認もした。
ただ一気に二人というのは、確かにしんどい作業であったが。
出産直後の妻子に付き添うため、大介は正式にオールスターの辞退を発表。
元々生まれないままオールスターになっていれば、参加しないことは決めていたのだ。
オールスターはあくまでも名誉的なものであり、大介は出場する意義を見出せなかった。
ホームランダービーについても、主役不在の優勝決定戦をやってくれれば、それでいいという考えである。
こちらはオールスターと違って優勝すれば賞金が出るので、出来れば出たいところであったろうが。
なお武史も、これ幸いと辞退をしようと思っていた。
賞金も出ないオールスターに、自分が出る意味を見出せなかったのである。
ただしこれは恵美理が止めた。
長男はそろそろ物心がついて記憶もはっきりしているだけに、父親の勇姿を見せておくべきだ、と判断したらしい。
そこで素直に嫁のいうことを聞くのが、この夫婦のバランスを保つ秘訣らしい。
女の子ということは分かっていたので、事前に名前も決めていた。
実は里紗の時も決めていたのだが、直前で変えたのだ。
その意思はツインズが決めたもので、イリヤの日本語名から一文字をもらったもの。
生まれてすぐには伊里野を引き取るつもりではなかったため、名前が少しかぶってしまった。
三女は菊花、四女は藤花。
なんとも日本人っぽい名前であり、菊と藤とはこれまた、という名前だ。
これが佐藤姓のままであったなら、藤の字は使わなかったろうが。
生まれる前から一緒だった二人が、果たしてどういった人生を送るのか。
「一人の男に二人がくっつくのは勘弁してほしいなあ」
大介はまさに「お前が言うな」的なことを言っていたが、三人で一緒にいることを選んだのは、ツインズなので彼に責任はない。
大介はセントルイスとの残り二試合を欠場した。
ただオールスターの辞退には、がっかりする選手が多かった。
また今年も、あの機械的なホームランの量産が、ホームランダービーで見れるかと期待されていたのだ。
もっとも大介にしてみれば、あの条件でホームランを打つのは簡単すぎて、あまり意味がない。
あんなものに慣れてしまえば、根本的な実力が落ちるとさえ思っている。
昨今はオールスターよりも、ホームランダービーの方が人気がある。
当たり前といえば当たり前なのか、選ばれる選手の数が多すぎて、出番はほんの少しとなる。
それに守備の連携なども、普段とは違う選手と組むので、息の合ったプレイにはならない。
ピッチャーにしてもせいぜい一イニング、あるいは一人のバッターだけということすらありうる。
選手にとっては、選ばれた時点で名誉ではある。
だが時間を名誉より大切と考える人間にとっては、さほど嬉しいものでもない。
直史は疲労を理由にオールスターを辞退している。
これは随分と前から言っているもので、確かに直前にローテが回ってくるので、ホームランダービーの翌日に投げるのは避けたいだろう。
ただ去年は左手で投げて、そして話題にはなっていたのだ。
別に左で投げなくても、直史ならコンビネーションだけで、一イニングぐらいはどうにかなると大介は思っている。
もう純粋に、投げる理由を見出せないのだろう。
直史が投げないのなら、大介としても出場したいとは思わない。
ホームランダービーの賞金は安いものではないが、今の大介の契約からすると、この数日を休暇と家族との時間にあてる方が重要だ。
アメリカという社会は、とにかく家族を前面に出したら、何も文句を言われない社会なのだ。
ただ家族であれば、バーベキューをしたりキャンプをしたりと、そういったテンプレを求められるのも、アメリカ社会である。
大介はもう三年目で、建前と現実も分かってきている。
そんなわけで建前を使って、目の前の現実に対処したわけだ。
双子の女の子は、一卵性であった。
二卵生の双子から二卵性の双子が生まれるパターンは、それなりにある。
だが一卵性の双子から、一卵性の双子が生まれる確率は低い。
意外と体格の大きくない桜は、さすがにそれなりに消耗した。
ただ双子の体重はやや軽く、そのあたりは幸いであったと言えようか。
左足の痺れが、いまだに完全には取れない椿が、自分もあと一人ぐらいは産みたいと言い出した。
それはもちろんいいのだが、さすがに一年ぐらいは間をあけてほしい。
長男はもう、家族が増えることに慣れてきている。
お腹の中から赤ちゃんが出てくる神秘を、そろそろ真剣に考えるような年齢だ。
離脱した二日と、オールスター前後の四日間。
大介にとっては珍しくも、ゆっくりと出来る短い日々であった。
もちろん生まれたばかりの赤ん坊たちは、元気におっぱいを要求した。
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