第71話 ドリーム・アゲイン

 去年のメトロズは奇跡のような強さを誇るチームであった。

 レギュラーシーズン117勝というのは、もう今後なかなか出てこない数字であろう。

 それこそまさに、アナハイムがと言うか、直史がいなければ、間違いなく連覇を果たしていたはずだ。

 オーナーのコールはムキになって、戦力補強をビーンズに指示した。

 それこそ金に糸目をかけない、というような調子であったが、さすがに実際には限界がある。

 大介の年俸がかなり厳しいインセンティブを、簡単に達成しているため、あまり大きな買い物は出来ない。

 だが元からそろそろ補強すべきと思っていたキャッチャーは坂本と契約できたし、そして武史の獲得にも成功した。


 FAを手にしたカーペンターは出て行ってしまったが、それは仕方がないと諦める。

 ほかの打線はシュレンプがそろそろ衰えてきそうではあるが、契約は続行。

 あとはマイナーから上がってくるのを数人は期待したい。

 クローザーはぎりぎりまで探していて、なんとか契約は出来そうだ。

 ただこの時期に決まっていないというのは、ある程度条件面などが難しいのだろうが。

 去年よりも、シーズン開幕時点では、戦力は整っていないかもしれない。

 それが杞憂だと現場が判断したのは、武史のピッチングを見たからである。


 メトロズのキャッチャーも、去年上杉のボールを受けているので、スピードボールには慣れているはずであった。

 だが武史が肩を慣らしてから投げたストレートは、そのミットを弾き飛ばした。

 ピッチャーの肩は消耗品というのが、メジャーの考え方である。

 だが武史の場合、一日に10分程度を投げたところで、肩が鈍るだけなのだ。


 これに付き合ってくれたのが、坂本である。

 移籍してきた坂本は、オプション付きの契約をしている。

 ピッチングコーチがうるさいので、キャンプではそれほど投げないが、近くに練習の出来る場所を借りた。

 ある程度は直史と同じような練習を、武史もまたしている。

 投げるのとは別の手で、ある程度投げるというものだ。


 直史の場合左で投げれば、120km/hほどのスピードが出た。

 武史は右で投げても、140km/hほども出してくる。

 その左から投げてくるボールは、坂本を驚かせるものだ。

(なんじゃあこりゃ)

 上杉のボールは、空気を切り裂いてくるような剛球であった。

 だが武史のボールは、するすると伸びてきて、手元でミットを弾き飛ばそうとする。

 バックスピンが大量にかかっているのだ。

 後で解析の結果も見ないとな、と思う坂本であった。


 一日あたり、左だけでも最低で150球。

 ただしこれはキャッチボールなどは含まない。

 とにかく武史は、このあたりの調整法は、直史と同じである。

 ただ確かに、言っている通りエンジンのかかりが遅い。

 そのくせ相当の球数を投げても、へばるということがない。

 レギュラーシーズンよりも、ポストシーズン向けのピッチャーであるかもしれない。




 ブルペンは連日大騒ぎである。

 上杉の105マイルの衝撃、冷めやらぬところにまた105マイルである。

 スプリングトレーニングを前に、しっかりと仕上げてきた。

 早く紅白戦で試してみたい、と思うのが首脳陣である。


 ヒットを打ったりホームランを打ったり、はたまた出塁するのは、技術である。

 だが速いボールを投げるのは、間違いなく才能だ。

 単に速いだけなら、105マイルには至らなくても、何人かのマイナー選手はいる。

 だが武史の場合は105マイルでも、ミットを構えたところに投げてくるのだ。


 ツーシームとカットボールという、手元で動く球を持っている。

 これに高速チェンジアップというのは、上杉の球種とほぼ同じだ。

 だがここにナックルカーブという大きな変化球が加わる。

 これは上杉にはなかったものだ。


 武史はストレートだけで圧倒できるピッチャーだが、己のスピードに溺れてはいない。

 それは高校時代に、兄の背中を見て、そして紅白戦で大介と対戦しているからだ。

 上杉を巨大な神木とするなら、武史は柳か竹。

 柔軟性をもって、己のスタイルに固執しない。

 ただメジャーリーガーにとっては、プライドというのも重要なものなのだ。

 己のスタイルを貫き通すプライドがなければ、メジャーの世界では通用しない。

 通用しないはずなのだが、武史のメンタルはメジャーリーガーのものではない。


 野手はまだ集合ではないのに、既に顔を出している大介が、これに対しては説明をした。

「兄と弟でも、ピッチングスタイル以上にメンタルが違うな。ナオは頼むと言えば自分でどうにかするタイプだったけど、タケはこれこれこうしてくれと言わなければ、自分では解決しないタイプだった」

 要するにキャッチャーのリードが重要ということなのだ。

 メジャーの壁としてのキャッチャーでは、武史を充分には活用できない。

 相手の裏を書く坂本であれば、上手く扱えるだろう。

 ある意味直史よりも、よほど機械的なのが武史である。

「それと嫁さんを招待していたら、馬力が一割ぐらい上がるから」

 大介の言い方も言い方である。


 武史の弱点も、大介は正確に知っていた。

 立ち上がりの悪さと、ぎりぎりの状況での集中力。

 いや、元々集中力は関係なく、ひたすらフィジカルで押すのだが。

 下手にメンタルで投げないため、落ち込むことがない。

 だが、だからこそと言うべきか。

 大介はまだ武史の限界を知らない。


 あるいは限界まで投げれば、上杉以上のスペックを秘めているのかもしれない。

 だが武史のボールには、メンタルを抑え込むようなプレッシャーはないのだ。

 純粋なボールの威力だけで、ほとんどのバッターは抑えてしまえるだろう。

 大介はそのほとんどに入らないバッターだが。


 大介の感覚からすると、アナハイムで武史とそれなりの勝負が出来そうなのは、アレクとターナーの二人。

 感覚的なものではあるが、シュタイナーでは届かないと思う。

 もっとも武史のまだ分かってない限界を、坂本が引き出すことが出来るなら別だが。

(あと一つ変化球があればな)

 そう思ったりもするが、じゃあどういった球種がいいのか。

 スローカーブか、もっと遅いチェンジアップあたりかな、とは思う。

 だがどうすれば武史がそれを投げられるのかは、大介には分からないことだ。




 武史は今のところ、快適にアメリカ生活を送っている。

 それはやはり周囲に、日本人が多いからかもしれない。

 鈍感な武史は、周囲がアメリカ人だらけのNBA観戦などもしたが、やはり大介の家にいるということが、気楽な気分になっている要素だ。

 自分でもこちらの免許を取った方が便利かな、とは思う。

 だがそれはこの時期に考えることではない。


 メトロズの首脳陣にとって、武史の存在は、この数年なかった絶対的なエースの存在となりうる。

 彼らが日本版サイ・ヤング賞と認識している沢村賞を、武史がもう二度も取っているのだ。

 しかも一度目はプロ入り早々に。

 大学からプロ入りし、日本で六年間。

 その六年間で一度を除き、20勝以上を達成している。


 武史のボールを、むしろバッティングコーチのガーネットがわざわざマスクをして見たりもした。

 確かに球速は上杉と同じぐらいである。

 だがそのストレートの球質は、二人ではかなりの差があると思えた。

 動体視力が衰えたからか、とも思えるのだが、武史のストレートは近くで消えて見える。

 上杉の方はとんでもないスピードは変わりはなかったし、とても打てるものではないとも思ったが、それでも消えるわけではなかった。

 武史のピッチングは、50球を投げて肩が暖まって、この消えるストレートを投げ始めてからが真骨頂だ。

 

 今年の開幕戦に、このスーパールーキーを使うべきか。

 またその相棒としては、坂本がしっかりと立場を固めていた。

 他のキャッチャーはおおよそが、一度は武史のストレートで、突き指をしてしまっている。

 そんな中で坂本は、しっかりとボールを上から抑え込んでいるのだ。

 坂本もまたキャッチャーの一人として、首脳陣のピッチャーの評価に呼ばれることがある。

 今のところ武史には、ケチのつけようがない。


 兄と弟でありながら、ピッチングのスタイルもメンタルも、全く違う存在。

 だが圧倒的という意味では両者は変わらないのかもしれない。

 坂本は読みでボールを打つが、上杉のボールはまともに当てることも出来なかった。

 武史のボールはストレート以外なら、なんとか当てられなくもない。

 ただ左打者の坂本には、あのナックルカーブはどうしようもない魔球になるが。


 それにしても、とメトロズの首脳陣は、直接チームに関係するものではないことに意識を向けた。

 もう日本から移籍してくる選手には、新人王資格は与えるべきではないのではなかろうか、と。

 アナハイムはア・リーグでメトロズはナ・リーグ。

 バッティングの援護とは無関係に、武史は素晴らしい成績を残しそうだ。

 するとア・リーグとナ・リーグのサイ・ヤング賞を兄弟で受賞するというのか。

 それもあながち不可能ではないと思えてしまう。


 とりあえず新人王は、怪我をしない限りは大丈夫だな、と判断されてしまった。

 他の人間ならフラグなのだろうが、武史である。

 やたらと天運に恵まれた彼は、おそらく普通に新人王は取れるだろう。




 チケットを買ってNBAを楽しみつつ、大介の別荘で何不自由なく暮らしている武史。

 対する坂本も正捕手に選ばれそうで、そして武史の妙な素直さに首を傾げることがある。

 武史のスタイルは、直史とは正反対のようでいて、よく似ているところもある。

 コントロールの良さ。直史ほどのどこにでも変化球を投げ込めるほどではないが、基本となるインハイとアウトローには、しっかりと投げてくる。

 日本とアメリカのストライクゾーンの違いも、しっかりと予習しているのだ。

 あとはこれだけボールの威力がある本格派でありながら、フォームはとてもスムーズだ。

 

 キャッチボールを正確に行うこと、またピッチング以外の時間の守備練習で、その身体能力をしっかりと見せ付ける。

 坂本は高校時代を知っているので、バッティングも出来るのでは、と思ったりする。

 実際にパソコンで調べてみれば、普通に武史はNPBで、年に数本のホームランを打ち、打率も二割以上はキープしている。

 現在のMLBは完全DH制で、ピッチャーがバッティングに立つことはない。

 また日本での成績がその程度なら、MLBでは通用しないとも思う。

 だが少なくとも、守備はメトロズのピッチャーの中で一番上手い。

 これも高校大学と、ピッチャーをしていないときは、内野を守っていたことが多いからだが。

 少なくともバッティングの能力では、直史より上らしい。


 武史としてはとりあえず、自分のボールよりも速いストレートを投げるピッチャーがいないので、それは安心した。

 なんだかんだと言いながら、やはりスピードはあるに越したことはない。

 MLBは危険球退場が整備されて、昔ほどノーコンの速球派はいなくなったが、それでも102マイルぐらいを投げるマイナーはいたりする。

 そういったものを見るたびに、アドバイスをしてやりたくもなったりするが、それは敵に塩を送る行為である。


 あるいは直史であれば、誰にも代えのないオンリーワンであるため、アドバイスなどをしただろう。

 だが武史は直史や大介と違い、チームの勝利にさほどの興味がない。

 自分の成績とそこから生み出される年俸が重要。

 非常にビジネスライクな考えは、大学時代から変わっていない。


 アメリカ人はどう考えるのかな、などと少しは不安に思っていた武史である。

 ただ彼は気づいていなかったが、血縁と縁戚関係がこのMLBの世界ではえぐい。

 大介とは義理の兄弟であり、直史の実弟。

 世界の野球の才能が、この一族に集中してしまったような感じさえする。


 メトロズはキャッチャーを強化し、ピッチャーを強化した。

 アナハイムも多少の強化はしているが、おそらくこちらの方が強化度合いは上だろう。

 これでもまだアナハイムに勝てないのなら、それはもうアナハイムというチームが異常だからだ。

 メトロズは今年で契約の切れる選手が多いため、今年もワールドシリーズまでは進出したい。

 そして出来れば再びチャンピオンリングを、と思っている。


 ダービー馬のオーナーになるには一国の首相になるより難しい、などという実は嘘の格言が存在するが、アメリカにおいてはMLBチームのオーナーになるのは、絶大なステータスの一つである。

 共同オーナーのチームもあるし、NBAやNFLといった他の四大スポーツもあるが、格で言うならばMLBの方が上なのだ。

 実際のところはチームの価値などは、NFLの方が高かったりする。

 しかし年間の試合数などで世間に浸透しやすいことを考えれば、やはりもっともアメリカンなスポーツは、ベースボールだと思っている保守的な人間は多い。

 大介がいる間に、どれだけの夢を見られるのか。

 オーナーのコールはもう高齢だ。 

 金融業で儲けた資産を、この趣味に投入している。

 大統領になるよりも、よほどスリリングなMLBのシーズンが、今年もまた巡って来る。




 先にバッテリーだけが来ているため、武史のことは噂でしか知らないという選手は多かった。

 メトロズは二年前、レックス相手に完敗しているが、あれも直史が投げたため。

 ようやく野手陣も合流し、いよいよスプリングトレーニングも本格的なものになっていく。

 とはいえNPBのキャンプに比べれば、それでもずっと楽なものだなと、武史は感じるのだが。

「だから自分で必要だと思う分はしないとな」

 大介はそんなことを言う。


 ようやく生きた球を数多く打てる、ということで大介のご機嫌の季節がやってきた。

 そしてこれはマイナーから上がってきたピッチャーにとっては、洗礼ともなる期間である。

 メトロズは去年、上杉を獲得するために、期待の若手を相当数トレードした。

 そのため残された若手の育成は、この先数年の急務であるのだ。


 ピッチャーの中でも、特にリリーフがほしい。

 クローザーは確保したものの、セットアッパーのポジションで投げられるピッチャーが、まだほしいのだ。

 ここからFA契約、あるいはトレードというのは、一時的に止めたい。

 それよりはマイナーから昇格してきたピッチャーを試して、今後数年間は使いたいのだ。


 主力となるバッターがもう、衰えてきてもおかしくはない。

 坂本はアナハイムでクリーンナップを打っていたが、メトロズではどうなのか。

 移籍してきた坂本に対しては、アナハイムを良く知る者として、むしろキャッチャーとして期待している。

 昨今はキャッチャーの専門性は、高いものになっているのだ。

 そのため年俸もかなり高いものになった。


 メトロズはなんだかんだ言って、GMの補強にあまり、オーナーが難色を示さない。

 武史を獲得したのも、ポスティングで有利であったからだ。

 ポスティングで元の球団に払う金額は、年俸とは全く別の扱いで、ぜいたく税の対象にはならない。

 このあたりのことも考えて、セイバーは武史をメトロズに紹介したのかもしれないが。


 100人もの人間が集まる、大型キャンプが始まる。

 これからが本当のスプリングトレーニングなのだ。

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