第58話 負け方の問題
ポストシーズンに入ってから化け物であった大介の打率が、もはや名状しがたき混沌と化している。
ワールドシリーズ第四戦までを終えたところで、0.621というものだ。
そして単打の数とホームランの数が同じ。
大介はヒットを打つのと同じ確率でホームランが打てるのである!(違う
メトロズ首脳陣の切り札は、上杉を先発として使うというものだ。
だが元は先発で年間に30試合以上先発し、20試合以上完投していた上杉であるが、もう二年もフルイニングは投げていない。
三イニングまでは大丈夫であるが、果たして一試合を投げ切れるのか。
単純に体力的には問題ないだろうが、指先の感覚がどこまでもつかなど、確かなことは言えないのだ。
直史を倒せるとしたら、上杉と大介を組み合わせたものだけであろう。
だが上杉がどこまで投げられるかも、分かっていないことなのだ。
よって首脳陣としては直史を正面から撃破することは諦める。
もちろん選手たちには言えないことであるが。
この第五戦を落としたとして、残り二試合をニューヨークで行う。
第六戦でさすがに、中一日で直史が投げてくることはないだろう。
最終戦、リリーフとして投げてくる可能性はそこそこある。
その時に対抗できるのは、上杉だけだ。
第六戦で勝つためにも、上杉を残しておいた方がいい。
ファンとしては上杉を先発させて、直史と投げあわせた方が、確かに面白いのだろう。
だがシビアに勝敗を考えると、そのリスクも大きいリターンを取りにいくことは出来ない。
この第五戦は、第一戦で直史を相手にかなりの健闘をしたジュニアがまたも投げ合う。
およそ対戦するバッターもだが、それ以上にピッチャーの尊厳を破壊する。
悪魔的なピッチングは、同じピッチャーからしても、なぜあんなことが可能なのか分からない。
それはそれ、これはこれ、と心に棚を作れたら、それほど悩まずに済むようになるのだが。
直史と投げ合って、負けていないと言えるのは上杉ぐらい。
それでも大局的に見れば、負けていないと強弁するのは難しい。
ピッチャーに勝ち星がつくかどうかは、打線の援護によるところが大きい。
それでも一度も負けなかった、直史は空前絶後の存在だ。
上杉に、直史に勝てる自信はあるか、と問うたとする。
とてつもなく失礼な質問かもしれないが、上杉はこう答える。
「引き分ける自信ならあるがな」
ピッチャーは打線が点を取ってくれないと、勝てないポジションだ。
日本時代の上杉などは、自力援護をよくしていたものだが。
もしもこの試合、終盤に運よく引き分け以上の点差でもつれこんだとする。
あるいは勝っている展開で、中盤に入ったとする。
その時には上杉に、ロングリリーフを頼むかもしれない。
上杉はそう言われて、鷹揚に頷いたものだ。
あの人好きのする笑みを浮かべて。
この試合にあたってメトロズは、他にも必勝の策を用意してある。
必勝と言うよりは、わずかでも勝率を上げようという、必死の手段であるか。
大介の打順を一番に持ってきた。
これまでもしたことがあるが、その時には二番に器用なカーペンターを置いていた。
だが今日の試合は二番にシュミット。
カーペンターは九番である。
第一戦で大介は、ヒットならば打てることを証明した。
実際にはヒットにはならなかったが、いい当たりはあったからだ。
なのでこの試合の第一打席は、状況に応じたバッティングをしてもらう。
ホームランが打てそうならホームランを。
それが無理ならばヒットを打って、まずは出塁する。
直史はクイックがとてつもなく早いし、坂本もスローイングが早いが、スチールまではいかなくても進塁はしやすいはずだ。
シュミットなら最低でも、進塁打は打てる、と期待する。
そしてそこからどうにか、ヒットなり犠牲フライなりで、一点を取る。
初回の先頭打者大介というのは、そういう意味を持っているのだ。
もちろんこれは奇襲であるが、過去にも使われたことがある。
よってこれだけでは、直史を驚かせることも出来ないだろう。
純粋にこれは、得点の確率を上げるためのもの。
初回に先制することは、とてつもなく重要なことだ。
アナハイムに勝利するには、まずその神話を打ち砕かなければいけない。
直史が必ず勝つという信仰をだ。
たとえ先取点までは取れたとしても、アナハイムの打線の得点力を考えれば、一点で満足なはずはない。
しかし直史がリードをされれば、そしてそれがワールドシリーズの勝敗につながるこの状況なら、アナハイム打線を封じることにつながる。
迷いや焦りを抱えたまま、バッターは存分にバットを振ることは出来ない。
直史を打つこと。
とりあえず今は、それだけを考えていけばいい。
大介としては、直史を崩すことは不可能だと思っている。
点を取られても、それがこの大舞台だとしても、そこで折れずにすぐに投げてくるだろう。
だから攻撃するのは、直史以外のアナハイムの選手だ。
坂本は曲者であるが、それでも少しは影響を与えるのではないか。
そして他の選手たちは、直史の完封にすっかり慣れてしまっている。
そのためにも、ここで楔を打たなければいけない。
まっさらなマウンドに立つ直史と、見下ろされるバッターボックスに立つ大介。
最初にはどんなボールを投げてくるのか。
確実にヒットを打つ覚悟で、大介はバットを構える。
直史がどういう意図で投げてくるか。
少なくとも一番に大介がいることで、どれぐらい警戒してくるか。
初球でおおよそ、その狙いは分かるはずだ。
(スルーか、カーブか。あるいは逃げるツーシームか)
そのあたりを最初に投げてくると思われる。
大介を相手にしても、ゾーン内で迷わず最初から勝負してくる。
そんなピッチャーはもう、ほとんどいないのだ。
メジャーに上がってきたばかりのピッチャーを、ガツンと打っておく。
それが最近の大介のお仕事だ。
だが、プレートの端に立った直史が、投げてきたのはスライダー。
(こいつ!)
体を引けば普通にボール球だった。
だがその体の動きに、バットの動きが連動してしまった。
打球はファールスタンドに入ったが、決してジャストミートではない。
なるほど、と反省する。
直史の勝負に対するスタンスは、自分とは違う。
球種によるコンビネーションと言うよりは、こちらの読みを裏切るように投げてくる。
(そりゃあ今までずっとゾーンから投げていたからって、それを守る必要はないよな)
直史のピッチングは、初球をゾーンに投げてくるのが、90%といったところだ。
だが10%はボール球も投げているわけで、どうしてそれが自分に適用されないと思ったのか。
直史は全力で勝負にきている。
第一戦もボール球は投げたが、それは単に逃げるためのピッチングではなかった。
(すると二球目は、定跡ならアウトローだけど)
大介は少し賭けてみる。
アウトローの、ボール球になるかどうかを。
そして直史の投げたボールは、シュート回転がかかっていてボール球となった。
直史の広いアウトローのストライクゾーンでも、今のはボール球だ。
打てそうなら振ってしまう大介が、振らなかったということもあるだろう。
(今のは打てたか?)
かなり上手く打ったら、レフト線に飛んだのではないだろうか。
だが強く打ってしまえば、おそらくファールボールでスタントに入っただろう。
するとたったの二球で、追い込まれたことになる。
まずは直史のボールを、見極めたと言える。
並行カウントで、次はバッターに有利だ。
上下内外、どういう球を投げてくるのか。
そう考えていたところに、またしてもアウトロー。
ここから変化するとは、スイングする直前で気付いていた。
だが打ってしまえば、上手くフェアグラウンドに落とせるのではないか。
いや、これは下手をすると高いフライになる。
一瞬の思考で、打球をレフトのファールゾーンのフェンスに弾き返す。
人を殺す打球が、それでも跳ね返ってレフトが回収した。
(なんで今のは打っていったんだ?)
最初のアウトローと、同じコースで同じツーシームだったではないか。
ならばもう少し上手く、ヒットに出来たはずであるのに。
心理的な死角とでも言うべきか。
全く同じコースが来るなど、直史が組み立てるとは思わなかった。
あるいは坂本の発想なのかもしれない。
ただ事実としては、大介が打てなかったことが残っている。
これでツーストライクになってしまった。
ゾーンに一球も投げていないのに、追い込まれてしまった。
これはまずい状況だ。
第一戦は打つだけならば、普通にヒットは打てた。
直史がゾーンに投げてきたからだ。
カーブを投げてもらえたら、今日の一打席目で必要な、単打は打てたと思うのだ。
だが直史はカーブを投げていない。
(ヒットも打たせたくないわけか)
この打順であれば、無理もないことかと思う。
二打席目からはともかく、初回の攻撃としては、この奇襲は効果的だとは思うのだ。
もう一球、ボール球を投げてくるだろうか。
直史は遊び球は使わないが、振らせるためのボール球は普通に投げてくる。
あとはボールの軌道を目に焼き付けるようにさせたり、胸元に投げ込んで次のボールの布石にしたり。
ただ大介を相手には、そういう安易なボールは投げないであろう。
勝負か、まだか。
セットポジションから直史の足が上がる。遅い。
(速いボールが来る!)
直史はゆっくりしたフォームからは速いボールを投げ、クイックからは遅いボールを投げる。
もっともそう思わせておいて、普通に投げる場合もあるが。
球威で抑える気か。
ならば高めにストレートを投げ込んでくるか。
そう考えた時点で、ある程度大介の思考は誘導されている。
リリースの瞬間からと、その握り。
常人なら見えなくても、大介には分かる。
(スルー!)
あとはそのコースが、どこに来るか。
それとスルーはボールの縫い目の関係上、スルーチェンジと全くリリースが変わらない。
スルーと違ってスルーチェンジは、そうと決め打ちをすれば、普通に打てるのだが。
球速から判断して、スルーに間違いはない。
だがそのボールの軌道が、わずかに変化している。
スルーの原理はスライダーに近いため、回転軸がわずかにずれると、縦スラと同じ変化にもなる。
大介の想像していた以上に、ボールは落ちていく。
これを打ち上げるのは不可能。
なので大介は、ダウンスイングで叩き付けた。
マウンドでバウンドしたボールは、上手く内野の頭を越えてくれないか。
だがそんな甘いことはなく、ジャンプしたショートがキャッチした。
グラウンドボールピッチャーである直史にとって、重要な内野の守備力。
それもまたアナハイムが、メトロズに優る部分であった。
ショートだけならメトロズの方が上であったろうが。
大介の足をもってしても、ファーストには間に合わないショートゴロ。
まずはワンナウトで、第一打席は直史の勝利であった。
大介は個人成績というか、個人と個人の勝負に執着している。
強いピッチャーと戦うことは、大介にとってのモチベーションとなる。
だがもちろん試合の勝敗は問題であるし、目指すべきは優勝だ。
ここで必要なのは、出塁することであった。
一番大介という打順の意味は、まずこの一回の攻撃にある。
それを思えば大介は、ボール球に手を出してはいけなかったのだ。
(ずっと打てる球には手を出してきたから、クセになってるな)
ベンチに戻って、直史のピッチングを観察することに専念する。
大介は本当に、初回の先頭打者のやるべきことが分かっていなかった。
球数をもっと、投げさせなければいけなかったのだ。
出塁することも重要であるが、ピッチャーの調子も探らなければいけなかった。
もっともそのピッチャーの調子に関しては、いつもと変わらないとしか言いようがなかったが。
メトロズのバッターは、結局ほとんど粘ることも出来ずにアウトになっていく。
そして一回の表が終わり、その裏。
アナハイムの攻撃が、ジュニアに対して行われる。
第一戦もジュニアは、いいピッチングをしていたのだ。
だが相手が直史であると、たった一点の失点が、致命傷になってしまう。
この一年、1-0のスコアで完封したことが何度もある直史。
そもそも自責点がたったの一点なのだ。
この一回の裏も、ジュニアにとっては大きな試練だ。
アナハイムの打順は第一戦と変わらない。
先頭打者を打ち取ったものの、続くターナーがセンター前にヒットを打つ。
ターナーの長打力を考えれば、上手く単打までにとどめたな、と言えないこともない。
もっともジュニア自身が、それには納得しないと思うが。
バックを守る大介の眼から見ても、ジュニアはかなり昂ぶっている。
ただ戦意が高いならいいが、それを上手くコントロール出来るのか。
直史などは表情には出さないが、そのバックを守れば冷たい炎のようなものを発散しているのが、感じられたものだ。
しかし今のジュニアに声をかけるには、大介の第一打席は不甲斐なさ過ぎた。
シュタイナーに投げたボールは、やや浮いている。
まずいかと思ったが、外野までフライで飛んだボールは、どうにか守備範囲内。
さすがに二塁へのタッチアップも出来ずに、ツーアウトまでは取れた。
(でも、次が坂本かあ)
大介は坂本という選手が、単純な成績以上の役割を果たしているのを、ちゃんと理解している。
昔であればよく言及された、得点圏打率。
今ではオカルトなどとも言われるが、実際にチャンスに強いバッターはいるのだ。
実は大介は、さほどチャンスに強いバッターではない。
単純に普段の成績が、チャンスに強いバッターより上回ってはいるが。
坂本はおそらくピッチャーの配球を読んで、状況も見てケースバッティングを行っている。
今日の大介が最初にやらなければいけなかったことだ。
ツーアウト一塁というこの状況からは、理想的なのはホームランで、次が得点の入る長打。
最低限が次のバッターにつなぐことだ。
ただその坂本に対して、ジュニアはややボール先行の消極的なピッチングになっている。
これは実のところ大介が、坂本が高校時代に、直史からホームランを打っていることを教えたからだ。
直史は今年、31試合に先発して30勝をしているわけだが、一敗もしていない。
そしてホームランは二本しか打たれていない。
規定投球回をはるかに上回るイニングを投げて、唯一の一桁台のホームラン。
そんな直史から、ホームランを打っている。
もっとも結果から言えば、坂本を警戒したのは正解だったかもしれない。
ボール先行でスリーボールとなったところで、ベンチから申告敬遠が出た。
ランナーがスコアリングポジションに進んでしまうが、ここで坂本相手に甘い球が行くと考え、こちらを選択したのだろう。
そして次のバッターを打ち取って、無事にアナハイムの攻撃は終了。
表と裏とで全く種類の違う緊張感を漂わせて、一回の攻防が終わった。
二回の表の直史のピッチングも、間違いなく冴えたものであった。
メトロズは早打ちは厳禁とされているが、普通に難しいコースに難しい変化球でストライクを取りに来る。
そして追い込まれてからでは、まともに打てるものではない。
直史のピッチングは毒だ。
普通ならピッチャーは、投げれば投げるほどスタミナも消耗し、バッターもボールに慣れてくる。
だが直史の場合は、前の打席までの残像が大きい。
打席を重ねるごとに、何をしてくるのか分からないという気持ちになってしまう。
ベンチから観察している大介も、何を考えているのか分からない。
普通ならピッチャーは、己の得意なボールをちゃんと持っているのだ。
分かっていても打たれない。そんな配球にするため、ウイニングショットを磨く。
だが直史はその日に調子のいい球があっても、それに固執することはない。
とにかく一試合の間に慣れるには、持っているパターンが多すぎるのだ。
三者凡退でスリーアウト。
内容が見逃し三振、内野ゴロ、空振り三振と、多彩なものである。
直史がグラウンドボールピッチャーだと言われるが、実際のところは違うと思う。
狙い球が決められないため、スイングが弱弱しいものとなってしまう。
だからこそ打球はゴロになって、それを内野が処理するのだ。
とにかく変化球が多いため、強振出来ない。
一発に期待するほうが、確率的にはまだしもマシだと分かっているのに。
この試合は最初から、約束された敗北に近い。
問題はどれだけ、直史を消耗させるか。
打たれないピッチャーは、メトロズにも存在する。
直史と上杉を戦わせて、どちらが先に消耗するか。
少なくとも上杉は、15回を投げ切って次の日も球数制限に達するまで、投げぬくことが出来た。
そして直史もまた、15回までをパーフェクトで封じて、次のひに完封することが出来た。
こうなると一発の能力の高い、大介を持つメトロズが圧倒的に有利になるはずだ。
しかしNPB時代の成績を見れば、直史の方が完封を達成している割合は上杉よりも多い。
上杉は直史ほど、球数を節約した省エネピッチングが得意ではない。
そのため下位打線に抜いて投げて、それをホームランにされるということが少なからずあったのだ。
むしろクリーンナップには、ほとんど打たれていない。大介は除く。
アナハイムも二回の裏の攻撃は、下位打線に入っていく。
ここでジュニアはヒット一本は打たせるが、それだけで問題なく終了。
やはりピッチャーの性能は、アナハイムが圧倒的に上。
場所がアナハイムだけに、何か変な兵器でも積んでいるのだろうか。
(三回の表、うちの攻撃をどうする?)
大介の前に俊足の打者を置くため、普段は一番のカーペンターが、今日は九番に入っている。
ここまで奇襲めいたオーダーにしなければ、直史から点は取れないと考えられた。
直史は誇るべきだろう。自分がここまで特別視されることを。
もっともそんなことで誇ったりしないからこそ、直史は冷静にピッチングを組み立てられるのだろうが。
(まあ俺までは回らないだろうな)
せっかくの九番カーペンターだが、これが機能する可能性は低い。
それでも大介はネクストバッターズサークルで、直史のピッチングを観察し続けるのであった。
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