第57話 モブのいない世界

 この世の中にはモブキャラなどいない、と大介は言う。

 誰もが自分を中心に考えている。

 やがて自分ではなく、家族を中心に考える人間もいるらしいが。

 それはお前が主人公側だからな、と大介に言った者もいた。

 今でも釈然としないが、確かにモブかどうかはともかく、引き立て役になっている人間はいると思う。


 自分がそうだ。

 プロ入りし、多くの記録を更新し、天才とも怪物とも言われた。

 だが直史と対決して、一度も勝っていない。

 強烈な成功体験を持っていながらも、大介が傲慢にならずにいられる理由。

 それは生来の性格や幼少期の体験もあるだろうが、周囲に尊敬すべき才能が存在したため。


 味方としては直史、そして敵としては真田。

 なんだかんだ言って甲子園では勝っているように見えるが、大介がもっとさっさと打てていたら、直史はもっと楽に勝てたのだ。

 そしてプロ入りしてからは上杉。

 甲子園でも八割打っていた大介だが、プロに入ってからはさすがにそんな打率は維持出来なかった。

 それで「四割打てないって、プロは凄いな」とかナチュラルに考えていたりするのだ。


 それでも何年かやっていると、自分の能力が非常識どころか、人類の限界に近い成績を出しているのに気付く。

 毎年のように新しいスターは現れるのだが、大介にとっては攻略対象。

 データを集めて、実際に対戦して、あとは確率的にどれだけ打っていけるか、という話でしかない。

 だから直史を求めた。

 そしてアメリカに来た。

 日本以上に多くの才能が集まるアメリカ。

 何度か対戦したが、決定的な勝利をつかめていない対戦相手はいる。


 それでも大介が、心を激しく揺さぶられるほど、必死になる者はいない。

 何か運命の因果が歪んでもいるのか、同時代に大介と拮抗するプレイヤーは、日本にしか生まれていないのだ。

 もちろんアメリカは広いため、まだ見ぬ才能がいるかもしれない。

 実際に大学生で105マイルを投げたピッチャーなどの話は聞いている。

 ただ速いだけのピッチャーなら、102マイル程度なら普通に打ててしまうのだ。


 第三戦、場所を敵地アナハイムに移して、ワールドシリーズが行われる。

 アナハイムのピッチャーはヴィエラ。今季22勝もしていて、スターンバックと共に例年なら、サイ・ヤング賞の候補になっていてもおかしくはない。

 だが今年は完全に直史で決まりだ。

 アメリカの記者投票はその名前も公開されるため、下手に奇を衒っても軽蔑されるだけである。

 実際に直史は、打線の援護や守備の貢献がなくとも、ほとんどの試合を無失点で抑えただろう。


 対するメトロズのピッチャーはスタントン。

 ポストシーズンは二回の登板があるが、両方とも敗戦投手となっている。

 だが投球内容はそれほど悪くはなかった。

 ある程度相手のピッチャーが強ければ、メトロズの強力打線も普段ほどの援護はない。

 そういう相手にスタントンは当たってしまったのだ。


 もっともそれを言うなら、第二戦のオットーもそうであった。

 アナハイムのスターンバックは優れたピッチャーであり、大介相手にも勝負してホームランを打たれなかった。

 もちろんそれはスターンバックが、大介の嫌いなサウスポーのスライダー使いだったことも関係しているのだろうが。

 ヴィエラはそれに比べると、まだしも苦手なタイプではないはずだ。

 ただ経験ではスターンバックより上だ。

 技術的にもコントロールなど、スターンバックを上回る点はないではない。

 それに第二戦のように、アナハイムをたったの二失点で抑えることは、かなり都合のいい条件だと思う。


 ある程度の失点を覚悟し、それ以上に点を取る。

 メトロズの方針は、結局レギュラーシーズンの頃から、変わっていないのであった。




 敵地においてメトロズは、当然ながら先攻となる。

 すると圧倒的に、先制点を取れるチャンスが増えることとなる。

 なぜなら一回の表に、大介の打席が回ってくるからだ。


 ただこの日の試合は、そう上手くはいかなかった。

 先頭のカーペンターがフォアボールで出塁し、いきなり申告敬遠を食らったからだ。

 ノーアウト一二塁という、いきなりのチャンス。

 ここでメトロズはケースバッティングの上手いシュミットに回ってくる。

 もちろん大介であれば、それこそホームランを狙っていけた。

 だがこのチャンスにシュミットは、確実性を考えている。


 今日の試合は1-0とか2-1で決着するようなものではないと思う。

 ならば初回から大量点を取り、試合を決めてしまいたい。

 ダブルプレイなどを取られることだけは避けたいが、上手く外野までは飛ばせるだろう。

 二塁のカーペンターが、せめて三塁まで進む。

 そしたらペレスやシュレンプが、外野フライぐらいは打ってくれるだろう。

 フライボール革命万歳だ。


 シュミットに対してヴィエラは、かなり警戒している。

 ただここで歩かせてしまったら、ノーアウト満塁でメトロズの長距離砲と対決することとなる。

 だからと言って甘い球が入って打たれては、それこそ本末転倒。

 そしてヴィエラはキャリアが長いだけに、こういった状況には慣れている。

 またアナハイムのベンチも、勘違いはしなかった。

 この試合はロースコアで一点を争う試合ではない。


 好打者シュミットに対しては、満塁にしてもいいというぐらいに、際どいコースを攻めてくる。

 そしてそれがしっかりと、ストライクの判定となる。

 シュミットは長打ではなく、あくまでも出塁を目指した。

 だが最後には厳しいコースを見逃し三振。

(そういえばこの審判はここを取るやつだったか)

 だがまだワンナウトである。


 四番のペレスはヒットを打って、ワンナウト満塁。

 そして五番シュレンプが外野フライを打ってタッチアップで一点。

 それ以降はアウトとなり、ランナーは残塁となったが、それでも先取点は得られた。

 だが満塁から取れた点が一点。

 不満というわけではないが、効率の悪い点の取り方だ。




 アナハイムはここまでメトロズを相手に、二試合ともに二点の点しか取れていない。

 本来の打線の攻撃力からすると、明らかに力を発揮出来ていないのだ。

 メトロズの攻撃をなんとか防いでいる分、こちらの攻撃も防がれていると言うべきか。

 野球にはつき物であるが、不思議な現象である。


 そしてメトロズの先発スタントンは、やはり今日も巡り合わせが悪かった。

 初回から先頭打者をフォアボールで出してしまうと、続く二番のターナーがホームラン。

 いきなり二点を取られて、先制したすぐ後に逆転されてしまった。

 幸いにも初回はこれだけであったが、この試合はお互いの先発が、我慢しあう対決となる。


 我慢のピッチングというのは、ピンチの時の失点を、可能な限り少なくするというものだ。

 これまでの二試合においては、メトロズは両方を二失点、アナハイムは二戦目を三失点という成績。

 本来ならメトロズは平均で4.5失点ぐらいだが、これは全ピッチャーを使ったレギュラーシーズンの話なのでポストシーズンには適用出来ない。

 またアナハイムの失点は2.8点だが直史の分を除くと3.5点となる。これもまた強いピッチャーに限ればもう少し失点は少ない。


 ヴィエラは確かに厄介なピッチャーだな、と大介も感じる。

 NPBで言うならどういうタイプであろうか。

 全く印象は違うが、細田や淳のような、失点をある程度に収めるタイプと言えようか。

 どちらの攻防も三者凡退がなく、三回の表は大介の打順から。

 そしてここで勝負して、あっさりとソロホームランを打たれてしまう。


 大介としてはやっと出たホームランとも言えるが、初回は敬遠で勝負を避けられた。

 それに入った点は一点だ。

 もちろんこれで文句があるわけではないが、まだ試合の趨勢を決めるような場面ではない。

 ただここからメトロズは、連打で点を取る。

 大介のホームランに加えてもう一点で、逆転に成功した。


 ポコポコと点を取られているヴィエラだが、それはスタントンも同じこと。

 三回の裏には連打によって、一点を失った。

 逆転まではされなかったが、これで同点に追いつかれる。

 ここでメトロズは気付くのだが、対戦しているバッターはむしろヴィエラの方が多いのに、球数は上手く節約出来ている。

 このあたりがヴィエラとスタントンとの、経験の差かもしれない。

 あるいはキャッチャーの差か。


 どちらにしろ六回か七回までは、先発が投げることはほぼ確定しているのだ。

 それなのに四回の裏、アナハイムは犠打を上手く使ってヒットなしで一点を取る。

 フォアボールで出たランナーを、上手く返したのだ。

 このあたりはMLBであっても、短期決戦用のスモールベースボールを使っている。

 打撃力では明らかに劣るはずで、ロースコアゲームにも出来ていない。

 なのにほぼ互角の展開になっているのは、やはり野球の不思議と言おうか。


 大介としては嫌な感じがする。

 お互いに多くのヒットを打っているが、それ以外のところでも点が入っているのだ。

 自分たちのペースで勝負しているはずなのに、相手にダメージを与えている感触が薄い。

 上手く試合全体をコントロールされているような。

(坂本か? いや、違うよな)

 レックスと対戦していたとき、つまり樋口がこんな感じの試合をしていた。

 キャッチャーとして味方の守備の要となり、そして攻撃でも中軸となる。

 ただ坂本にはそういった雰囲気は感じないのだ。


 直史でもない。直史は確かに、凄まじいまでの支配的なピッチングをする。

 だが自分の投げていない試合で、そこまでの影響力を持つには、チームでのコミュニケーションが不足していると思うのだ。

(分からんなあ)

 大介がそう考える間も、試合は続いていく。

 五回の表、先頭打者の大介は、右中間の深いところにライナー性の打球を打つ。

 そこからタッチアップ二つで、またもホームを踏んだ。

 これでまたしもて同点。

 だが裏にはシュタイナーのソロホームランで、またも勝ち越し。


 完全なシーソーゲーム。

 観客は見ていて面白いかもしれないが、投げるピッチャーの集中力はいずれ途切れる。

 お互いのベンチもブルペンに、しっかりと準備をさせ始めるのであった。

 その中でアナハイムは、直史をブルペンに送る。


 試合を完投し、しかも完封する力のあるピッチャーを、リリーフで使うのか。

 クローザーとしてなら、ひょっとしたら使うのかもしれない。

 だがここで使って、第五戦で使うことが出来るのか。

「どう思う?」

 上杉の問いに、大介は少しだけ考えた。

「ナオ自身が勝とうと思ってるなら、ありうる起用だとは思いますよ。でもそんな使い方をする勇気がアナハイムの首脳陣にあるか」

「まあ、使うとしてもクローザーか」

 大介は頷いた。

 そして口にはしなかったが、内心では思っていた。

 必ず勝てる場面でしか投げてこないだろうな、と。




 殴り合いなら勝てるはずであった。

 だがその予定は、七回に崩れた。

 ヴィエラが大介を敬遠し、シュミットでアウトを取ったのだ。

 本日二度目の敬遠に、これがニューヨークなら大ブーイングだったろうな、と大介は思う。

 ただホームのスタジアムでさえ、ヴィエラには悪い空気が感じられる。

 もっともそういった空気にも、慣れているのがベテランだ。


 今のメジャーリーガーは、FA以降は生え抜きという選手がかなり少ない。

 そのためファンと選手の間に、昔ほどの愛着が芽生えないと言われる。

 ただし力をつけていけば、新たなステップに進むのが、アメリカ社会のありようだ。

 そう考えれば移籍は多ければ多いほど、その先のチームでの需要があるというわけだ。


 5-4の一点差で勝っている現在、アナハイムはとにかく失点を減らしたいのだろう。

 それは理解できるが大介を相手に、そこまで逃げていくのか。

 裏の守備でもう七回に入ったスタントンのバックを守るが、もう代え時ではなかろうか。

 そう思っていたところ、ヒットとフォアボールでランナーは一二塁。

 ここでベンチが動いて、難しい状況でスタントンはマウンドを降りることとなった。


 もしこのままメトロズが負けたとしたら、スタントンにはポストシーズン今季三敗目がつくことになる。

 悪いピッチングをしているわけではないのに、それは気の毒だなと大介は考えている。

 代わりにマウンドに登ったのは、今季中盤まではクローザーを務めていたライトマン。

 さすがに負けているスコアで七回から、上杉を投入というわけにはいかなかったか。


 ノーアウト一二塁で、バッターは三番のシュタイナー。

 ここでピンチを防げたなら、チームとしての査定も大きくプラスになるだろう。

 基本的にピッチャーは指標で査定されるが、こういう場面はプラスが大きいはずだ。

 ただ去年もそうだがライトマンは、年間を通じて投げるスタミナを失いつつあると思える。

 ポストシーズンになって、どちらかというと回復していたはずなのだが。


 大介の直感は当たる。

 ボール先行からのストライクを取りにいったストレートを、シュタイナーは見逃さなかった。

 打球はライトのポール際に入るスリーランホームラン。

 これで点差が四点となる。


 レギュラーシーズン中であれば、四点差はまだ逆転のチャンスがある。

 ランナーが二人出れば、大介の五打席目が回ってくる。

 そこで前にランナーがいて、しかも満塁であったりしたら、グラウンドスラム一発で同点にまで追いつける。

 さすがに一気にそこまでは虫のいい話であろうが、メトロズの攻撃力から考えれば、逆転の余地は充分にある。

 ただここから、追加点を奪われなければの話であるが。


 ランナーがいなくなったことで、かえってライトマンは気楽に投げられたようだ。

 スタントンの様子を見ていたなら、イニング頭からの交代で良かったはずだ。

 これは明らかに、投手運用の失敗。

 大介にもどうにも出来ないことである。




 アナハイムはピッチャーを交代した。

 八回のマクヘイルは、ランナーは一人出したものの無失点。

 打線の援護があったとは言え、七回までを四失点で抑えたヴィエラは、粘りがちと言えよう。

 八回の裏にさらなる追加点とまではいかなかったものの、それでも四点差のまま最終回へ。

 九回の表アナハイムは、クローザーのピアースを出してくる。


 メトロズは八番からの打順で、確かに全員が塁に出れば、大介には満塁で回る。

 だが代打をだしていっても、そう都合よくランナーがたまるものではない。

 むしろ大介に回らずに終わることさえ考えられた打順。

 ツーアウトを取られて、これはもう終わりか、とメトロズベンチに敗戦の雰囲気は濃厚となる。

 だが大介は諦めていない。野球はツーアウトからだ。 

 ……ツーアウトから逆転や勝ち越し負けを食らったことの方が、多い気もするが。


 しかしカーペンターが意地を見せてくれた。

 ヒットで出塁して、これで大介に回ってくる。

 ただホームランが出たとしても、まだ二点差。

 とは言えホームランが出れば、まだチームの雰囲気も変わるだろう。


 負けるにしても、負け方というものがある。

(さすがにここは勝負してくるよな?)

 その大介の期待に、アナハイムベンチは応える。

 投げられたインハイストレートを、バットの根元で叩く。

 打球はそのままライト方向。

 しかしスタンド入りはならず、またもフェンス直撃で終わった。


 ホームランが出ないと大介は思っているが、よくもまあライナー性の打球でフェンス直撃などが出来るものだ。

 アナハイムはランナー二三塁となったが、まだ余裕がある。

 そして三番のシュミットの打球が、外野フライで試合終了。

 8-4というやっと点の取り合いが見られる、平和なスコアで第三戦はアナハイムが勝利した。




 第一戦を直史で勝利したアナハイムが、勝ち星先行しているワールドシリーズ。

 だが第四戦はアナハイムも、勝てる先発を用意出来ていない。 

 はっきり言えばこの試合は、展開次第では捨てるつもりだったのだ。

 そして先に二勝したことにより、確かに捨てることが出来るようになった。


 メトロズの先発はウィッツで、アナハイムはマクダイス。

 先発ローテ三枚は強力なアナハイムだが、四枚目以降はそれほどでもない。

 それでも今年からメジャー昇格を果たしたレナードなどは、マクダイスよりは指標となる数字はいい。

 ただアナハイムは、このレナードもリリーフとして使うつもりであった。

 昇格一年目のピッチャーを、ワールドシリーズの先発で使うのは、あまりに荷が重いと感じたからだろう。


 マクダイスを相手に、メトロズは初回から得点。

 アナハイムもヒットが出ないわけではないが、全体的にあまり戦意が高いとは見えない。

 捨て試合にしても、あまり勢いが付きすぎると、そのままメトロズが連勝する可能性がある。

 ただしそれはピッチャーが、普通のスーパーエースレベルであったらの話だ。


 第五戦には直史が投げる。

 また他の勝ちパターンのリリーフ陣も、第五戦以降で使う。

 それを覚悟した上で、アナハイムはこの第四戦を捨ててきた。

 直史の投げる試合では、必ず勝てるという確信がなければ、こんなことは出来ない。

 ただそもそも他のピッチャーを使うにも、スターンバックもヴィエラも、間隔が空いてないのだ。

 ほどほどの先発ピッチャーを集めたメトロズと、確実に勝てるエースに絞ったアナハイム。

 短期決戦では勝つべき試合に勝つほうが、当然ながら優勝には近い。


 大介の考えとしても、それはそうだろうなと思うのだ。

 第五戦に直史が投げたとして、たとえ自分が打ったとしても、試合の勝敗自体はアナハイムが勝つ可能性が高いだろう。

 すると残りは、二戦のうちどちらかを、アナハイムは取りに来る。

 スターンバックとヴィエラを、先発として使える試合。

 そしておそらくそこで試合の終盤でリードしていたなら、直史を中一日か中二日で、リリーフとして投入してくる。


 二勝一セーブならば、おそらくワールドシリーズのMVPは直史になる。

 ましてや一試合は、完封を果たしているのだ。

 ただ次の第五戦、どれだけメトロズが直史を消耗させられるか。

 チームとしてのワールドシリーズの勝敗は、そのあたりにかかっているだろう。


 第四戦は9-5でメトロズの勝利。

 そして直史の投げる、第五戦がやってくる。

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