英想

lampsprout

英想

 タッチパネルを操作して大きな窓を開けると、ひんやり冷たい風が僕の方へ吹き込んでくる。漂う雨上がりの匂いが心地良い。


「おはよう、兄さん。今日はどんな感じ?」


 僕は通学用のリュックを椅子に置き、ベッドに横たわる兄さんに話しかける。今日は少し早起きをして、学校が始まる前にやってきた。


「僕さ、今日からテストなんだよね。ロボット用ソフトウェアを作れって言われるんだけど。いくらプログラミングが必修だって言っても、僕には無茶だと思わない? 途中まで学校に行ってなかったのに」


 部屋を包む静寂を、僕の声だけが乱している。視線の先にいる15、6歳の少年は、身じろぎすらしなかった。……医師からいつ心臓が止まってもおかしくないと言われて、何年経っただろう。

 初めてそう告げられたときから、ちゃんと覚悟をしてきたつもりだ。だからこそ出来る限りお見舞いにきたり、精神的に自立できるよう意識したりしている。

 だけど、どうにも寂しくなる。自信も無くなってくる。……僕は本当に覚悟など出来ているのだろうか。正直、もう嘆くことにも疲れてしまった。


 昔から周りに馴染めない僕を責めることなく、孤児院でも孤立しがちな僕とずっと一緒にいてくれた。たぶん兄さんが居なかったら、僕はどこかで気がふれていた。記憶なんて欠片もない両親だけど、そこだけは感謝するべきだと思う。

 いや、もう1つ、僕らを棄てるときにかなりしっかりとした処置の上で仮死状態にしてくれたこともか。だからこそ生きた状態で保護されることができた。一緒に棄てられていただけで本当に血が繋がっているのかは分からないけど、孤児院で生まれ育った僕たちにとってはお互いが世界で唯一の家族だ。


「……ねえ、いつになったら帰ってきてくれるのかな」


 囁いて、冷たい身体をぎゅっと抱き締める。途中から仮死状態にすることを提案され、僕はそれを受け入れた。それからは手を握っても人肌の感覚がしない。

 こんなに待っているのに、何重にも検査が行われているのに、兄さんの倒れた原因は未だ闇の中。健康状態をモニタリングする装置の設置が孤児院でも義務付けられたのは、兄さんがこうなった後のことだった。

 長い間このままだけれど、それでも確かに兄さんは僕の救いであり憧れだ。いつしか僕のほうが年上になってしまったけれど。

 兄さんが倒れてから僕は毎日病室を訪れ、時折抱きついている。その瞬間にでも目覚めてくれないかと、期待を込めて。


「ローリエさん?」


 看護師の人が僕を呼びに来る。新しいシステムが開発されたと聞いているので、それを試す用意が出来たのだろう。僕は制服のスカートを翻して立ち上がった。

 二度と声が聴けなくても、共に生きることができなくても。兄さんは紛れもなく、僕にとって唯1人のヒーローだった。

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