私は灰色。彼は

コラム

***

私が学生の頃、母親は交通事故で歩けない体になった。


それから私は高校を中退し、アルバイトをしながら母の介護をすることになった。


父親はいない。


母も詳しくは話してくれないので、きっとろくな男ではないのだろう。


たまに会話の中で出てきても、苦虫を嚙み潰したように顔を歪めるだけだった。


母は父以外の男も嫌いだった。


今思い出してみても、口を開けば職場の男の悪口や、私に同級生の男子とは遊ぶなと言っていたのを覚えている。


そんな世の中すべての男を恨むように生きていた母の影響か、私もあまり男が好きではなかった。


だけど、ある日バイト帰りに、私が道端でタチの悪い連中に絡まれたとき――。


「やめなよ。嫌がってるじゃん」


そこへ助けがやって来た。


まるでヒーローみたいに。


その人は同じアルバイトで働いている男だった。


彼は穏やかな表情で私の前に立つと、ナンパ男たちを追い払い始めた。


あくまで丁寧な言葉で、かといって怯えている様子でもなく、まるでクラスメイトにでも声をかけるかのようにリラックスした様子でだ。


そんなことぐらいでは引き下がらなかったナンパ男たちは、突然私の体へと手を伸ばしてきた。


まさに腕が掴まれるかという瞬間に彼は男たちを突き飛ばし、そこから殴り合いが始まった。


彼はナンパ男たちに怯むことなく向かっていく。


力強く拳を振るい、その目はまっすぐに敵を見据えていた。


私は、彼のことをケンカが強い男だと思っていた。


タチの悪い連中を相手に、一歩も引かずに言葉を吐いていたのだ。


余程腕っぷしに自信があるのだろうと。


だけど、彼は弱かった。


振り上げた拳が当たっても、ナンパ男たちには全く効いておらず、その後は一方的にやられてしまった。


結局、私たちのことを見ていた誰かが警察に連絡をしてくれたようで助かったが、もしおまわりさんが助けに来てくれなかったらどうなっていたことか。


少し考えてしまったが、私はすぐに彼に礼を言った。


そして、続けてどうして助けてくれたのかと訊ねた。


「え? だって、困ってたでしょ?」


彼は当然とばかりにそう返事をしてきた。


私は思った。


そういうのはケンカが強い人間の考え方ではないのかと。


おそらくその時、私は思っていたことが顔に出ていたのだろう。


彼はニッコリと微笑んで言葉を続けた。


「いいことするのに強さは関係ないでしょ」


それから私たちは仲良くなった。


バイトの休憩中や仕事終わりに一緒にご飯に行くようになった。


別に付き合っていたわけではなかったけど、今思い出しても私の人生で最も輝いていた時だったと思う。


だけど、そんな甘い日々は当然終わりを告げる。


それは、彼が都内にある有名大学に入るため、地元を出るからだった。


もちろんアルバイトは続けられない。


私はそのときに連絡先の交換をしなかったことを、今でも後悔している。


でも、当時はそんな勇気がなかった。


アルバイトで少し話すくらいの関係なのに連絡先を訊くなんて、なんだか気があるように勘違いされると思ったからだ。


私は別に彼と付き合いたかったわけではない。


そういう気持ちが全くないといえばウソになるかもしれないけど、少なくとも当時はなかった。


そしてそのことを後悔する日々が続き、彼と会わなくなった私のその後は、真っ黒とはいわないまでも灰色だった。


母は病気で亡くなった後、いきなり暴力団風の男が、私が会ったこともない父親の借金を取り立てに来るようになった。


態度は紳士だったが、絶対に借金は回収するといった様子で、少しずつでもいいから毎月払うように言ってきた。


話しているうちに、暴力団風の男は私に給与のいい仕事――性風俗の仕事を紹介しようとしたが、お断りさせてもらった。


私は社会的地位が低くても、潔癖でプライドの高かったのだ。


知らない男に抱かれるくらいなら死さえ選ぶと思う。


暴力団風の男は返してくれればそれでも構わないといい、毎月返済に追われながらなんとか全額支払った。


その頃には私はもう40歳を超えていた。


「よかったな。長い付き合いだったが、これでもうここには来ないよ」


暴力団風の男はそういうと、二度と私の前に現れなかった。


今思えば良心的な借金取りだったと思う。


いや、理不尽なことには変わりないのだが。


それから人生が立て直せるはずもなく、私は低賃金労働者として母と過ごした安アパートに住み続けていた。


そんなときだ。


10代の頃に、タチの悪い連中から私を守ってくれた彼の姿を見たのは――。


「緊急ニュースです。今先ほど電車内で刃物を持った男が――」


午後のニュース。


画面に映し出されたのは紛れもなく彼で、電車内で刃物を持って笑っている。


もう彼は捕まっているようで、その事件の被害者数は10人以上。


命の危険がある重傷者も数人出ているようだった。


私は嬉しかった。


こんな形でもまた彼の顔が見れて。


そうだ。


きっと裁判を行う。


だったら彼に会いに行かなきゃ。


私は期待に胸を膨らませながら、早く彼に会いたいと思った。



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