第86話 東へ

『それでは本日のスポーツニュース、アナハイムのサトーはまたマダックスでした』

 そんな始まりでいいのだろうか、などと思う人間はもういない。

 フランチャイズで行われる、他地区のチームとの対戦。

 まずはデトロイトとの四連戦、ここに来て投手陣に、少し調子の低下が見られる。

 第一戦はスターンバックが不調ながらもどうにか、六回三失点に抑える。

 打線の援護もあって、なんとか逃げ切ることが出来た。

 

 第二戦はレナードが、五回を五失点。

 第一戦のスターンバックもだが、レナードにしても、ストライクが入らないなら樋口もリードは難しい。

 この試合はそのまま負け星がついてしまった。

 どんな一流選手でも、シーズンを通じて好調を維持することは難しい。

 なのでこのあたりで、バイオリズムも変調することはあるのだ。

「サトーはいつ不調になるんだ?」

「不調の時はヒットを三本打たれたり、クリーンヒットを打たれるんですよ。あとは球数が100球を超えたりとか」

「……」

 樋口の分かりにくい冗談を本気にして、沈黙するチームメイトであった。


 デトロイトは今年、地区三位のそれほど強くもないチームであるのに、カードは二勝二敗で終了した。

 次は同じくホームでのブラックソックスとの試合で、第一戦の先発が直史である。

 やはりカードの初戦は、強力なピッチャーで相手を完全に封じるに限る。

 ただこの試合、直史と樋口のバッテリーは、無理に相手を完封しようとは思っていない。

 負けない程度のピッチングで、調整するのに使おうとしている。

 公式戦で調整をするなと言われるかもしれないが、公式戦だからこそ調整に都合がいい。

 

 次の先発は、前半の山場になるかもしれない。

 メトロズとの敵地での三連戦だ。

 年ごとにインターリーグで対戦する地区は変わって、数年で一周する。

 チームによって三連戦だったり、四連戦であったりとバラバラだ。

 このあたりはNPBの方が、きちっと作ってあると言える。

 巨大な存在ではあるがこのカードを決めるにしろ、MLBにはそれなりにいい加減なところもあるのだ。




 三連戦となるブラックソックスは、昨年のア・リーグ中地区では、地区優勝していた。

 もっともポストシーズンではアナハイムと対戦する前に負けていたが。

 今年のブラックソックスは、今のところ二位である。

 去年と同程度の戦力を持っているはずなのだが、とにかく今年のア・リーグ中地区は、ミネソタが強すぎる。


 まだ21歳のペドロ・ブリアンを筆頭に、若手のバッターが揃っている。

 特にブリアンは、打率がほぼ四割に達し、ホームランもリーグトップ、打点は三位ととてつもない数字で、新たな若いスターとして売り出し中だ。

 リーグが違えば大介の前に、その成績は完全に色あせてしまうのだろうが。

「ミネソタか……」

 戦う直前の相手よりも、さらにその先のニューヨークでの試合に直史の意識は向かっている。

「六月になったら当たるな」

 樋口としてもマークしていないわけではないが、総合的に見てそれほど恐ろしい相手ではない。


 レギュラーシーズンで戦えば、それなりに負けるどころか、負け越すかもしれない。

 だがもしポストシーズンで当たっても、全く問題はない。

 ポストシーズン用のピッチャーの運用をすれば、負ける相手ではない。

 樋口の灰色の脳細胞は、そう結論付けている。


 思考はそのあたりで止めて、いよいよ目の前の試合に集中する。

 ブラックソックスは安定した戦力を持っており、まさに統計的にここまでの試合を戦っている。

 ポストシーズンには出られるのだろうが、その先に立つことは出来ない。

 そしてその安定感も、この試合で砕け散るかもしれない。

 直史の調整が、どの程度の精度を求めるかで、その結果は変わるだろう。


 アウェイのブラックソックスが、先頭打者をバッターボックスに送る。

 アナハイムのマウンドに立つのは、スーパーエースとなった直史。

 その力は凄まじいと言うよりは、もうほとんど頭がおかしくなるぐらいのものだ。

 人間の残せる数字ではない。

(悪魔に魂を売ったのか)

 そんな発想になるあたり、やはりアメリカ人はキリスト教徒である。

 日本人がほぼ仏教徒と同じ程度には、アメリカ人はキリスト教徒だ。

 普段は忘れていても、咄嗟の発想ではそんなことを考える。

 

 無心論者の日本人バッテリーは、初球から伸びのあるストライクを入れていく。

 ゾーンばかりで勝負すると分かっていても、初球からアウトローいっぱいには手が出ない。

(これを最初から絞って打つのが、白石とかアレクなんだろうな)

 樋口はそう思い、間もなく訪れるメトロズとの対戦を、どうすればいいのか悩むのだ。


 悩みながらも仕事をするのが、樋口の偉いところである。

 先頭打者を三振に取り、二番打者は内野フライ。

 そして三番を内野ゴロと、安定の三者凡退である。

(やっぱり先頭打者は、三振で打ち取るにこしたことはないよな)

 そんな感想を抱いて、メトロズはその初回の先頭打者が、大介なのだと陰鬱たる思いになるが。


 一回の裏にアレクは、余裕をもってフォアボールを選ぶ。

 今日の試合は勝てると考えているため、自分の仕事をこなすことを優先している。

 そしてバッターボックスに入る樋口は、いまいち集中出来ていない。

 メトロズとの対戦、それに今季最初の対戦と、考えることが色々と多い。

 なので仕方なく、球種やコースを絞っていた。

 ただその絞ったものが、アウトローというのがやはり樋口であるのか。

 初球のアウトローがわずかに外れたが、珍しく強引に持っていく。

 ファールラインを切る前にグラウンドに着地して、そこからスピンがかかって外野の処理が遅れる。

 そうなるとアレクが調子に乗って、ホームにまで帰ってくる。

 さらには樋口自身も、三塁に到達してスリーベースヒット。

 なるほど最低限の仕事は行うらしいが、その最低限の基準は随分と高いらしい。




 出来るだけ単調に投げる。

 興奮も熱狂もいらない。ただひたすらアウトを積み重ねる。

 今日は三振と内野ゴロをメインに、フライを打たせるボールはやや少なめに。

 ゴロが内野の間を抜けても、その次にダブルプレイでアウトにすればいい。

 平均で九球で、イニングが終わっていく。

 やがてブラックソックスのバッターは、オークランド色の顔色になっていく。

 つまり瀕死ということだ。


 初回で二点を取っているため、アナハイムも余裕がある。

 それに序盤でヒットが出てしまったため、変に緊張しなくてもいい。

 もうノーヒットで試合が展開するぐらいでは、驚かないのが訓練されたアナハイムの守備陣である。

 だが味方も点を取れなかったり、極端なパーフェクトをしていたりすると、さすがに緊張する。

 たとえばまた、80球以内でパーフェクトをするとか。

 今日の試合もほぼ80球ペースで推移しているが。


 ブラックソックスは分を弁えていないため、下手な野望というか希望を持っているのだ。

 なので打てそうなボールを打っていって、実際にヒットは出た。

 しかし早打ちの傾向になるため、やはり球数が増えることがない。

 理屈の上では確かに、早めに打って行く方がいい。

 カウントが進めば進むほど、直史のコンビネーションは複雑になっていくからだ。

 そのあたりを徹底すれば、もう少しはマシな結果になるのではないか。

 だがそれを検証するのは、ア・リーグ西地区のチームになるだろう。


 アナハイムは追加点を取っていく。

 統計的に優れているブラックソックスは、突出して優れているわけではない。

 即ち平均して失点はするし、平均より優れたアナハイムの打線を、無失点に抑えることは難しい。

 試合が進むに連れて、その勝算が薄いことは認識されていく。

 イニングを食うためのリリーフでは、アナハイム打線を止めきれない。


 そしてその間に、直史はアウトを積み重ねていく。

 下手に打っても手玉に取られるだけなので、自然と消極的になる。

 するとその気配を敏感に察知して、ゾーンにポンポンと投げ込んでくる。

 追い込まれてから思考する時間が足りない。

 スイングに力がなく、打球は内野で処理されるもの。

 それがもう中盤から始まって、終盤へと向かっていく。

 単調にさえ見える、ただひたすら説明すらなく、バッターが打ち取られていく映像。

 これは紛れもないホラームービーだ。


 結局最後まで、ブラックソックスは対処法を出すことも出来なかった。

 他のどこかのチームが、対処法を見つけるまでは、どうにもならないことだろう。

 対処法を見つけたとして、それが自軍に活用出来るとも限らないが。

 九回を投げて、ヒットを打たれはしたものの、対戦したバッターは27人。

 82球12奪三振。打たれたヒット二本で、ダブルプレイ二つでそれを処理。

 相変わらずフォアボールもない、パーフェクトではないのにパーフェクト以上の、直史のピッチングであった。




 果たしてこの日、直史の調子はどうだったのであろうか。

 目の前の試合にではなく、重視しているのは次の試合。

 試合が終わってすぐ、次の試合のことを考える。


 今更であるが少しローテを調整して、第一戦に投げられるようにしなかったのはなぜか。

 ローテを下手にいじることを、MLBでは嫌う。

 NPBなどは今でも、目先の一戦にこだわって、ローテを崩す指揮官が多い。

 だがMLBは長期的に定めたローテを、かなり重視して守る。

 先発ピッチャーの管理のために、スケジュールを変えたくないのだ。


 ピッチャーが壊れる原因は、単純に言えば耐久力を消耗が上回るから。

 だがその限界がどこかは、いまだに分かっていない。

 球数が増えて、登板間隔が空いた方が楽なのか。

 それとも登板間隔は固定して、球数も固定した方が楽なのか。


 MLBがNPBより明らかに優れている部分は、その改革へのリソースの大きさだ。

 バージョンアップを繰り返し、トレンドは変化していく。

 あとは指導における姿勢だろうか。

 アメリカは指導者に対しても、心理学やメンタルケアの知識を求める。

 そもそもアメリカは競争の激しさは日本よりも極端なので、指導陣があえてプレッシャーをかけていく必要がないのだ。

 特にアマチュアの競技においては、スポーツマンシップは指導者にこそ求められる。

 今のアメリカのスポーツに、ハートマン軍曹は存在を許されない。


 もしも直史が、高校時代に一般的な、普通の野球部に入ったとしよう。

 勝てるチームで一勝したら、最後の夏どころか二年の秋を目処に引退して、受験の準備をしていたかもしれない。

 その時点から勉強していれば、逆算して東大に入るだけの学力に達していたはずだ。

 もっとも直史の当初予定としては、地元の国立大を目指すつもりだったのだが。


 とりあえず直史は、球数を少なくし、全力のストレートなどもあまり使わず、ゴロでダブルプレイも狙い、ストレスなく試合を終わらせている。

 虐殺ではなく屠殺と言ったのは、おそらく正しい。

 そこに敬虔な気持ちは持っていても、あまりにも作業的に効率よくアウトを取っていく。

 これは勝負ではなく仕事だ。 

 なので無駄に感情を混ぜず、淡々とアウトを取っていく。

 マスコミには絶対に言わないが、瑞希には言っているので、おそらく引退した後にはこの価値観が公表されるかもしれない。

 離れてしまった世界には、特にもう興味もないだろうが。




 ブラックソックスとの第二戦、アナハイムの先発はガーネット。

 ここのところピッチングの調子を落としているのは、明らかにわずかなクセを見破られているからだろうな、と樋口は確信している。

 ただそういったクセは、すぐに直るというものではない。

 一度マイナーに落として、しっかりとフォームのクセから修正していく必要があるだろう。

 この試合は、ブラックソックスの研究が不充分であったのか、それなりの内容になってくれた。

 ヴィエラが復帰するまで、おそらくあと二週間前後

 その間にガーネットが登板する試合は、同地区のチームではない。

(あと二回投げてもらうわけか)

 なかなかリードは難しい。


 ガーネットはやや自信も落としているだろう、

 ボールに勢いがないのは、打たれることを恐れているからだ。

 ピッチャーを焚きつけるタイプのメンタルケアは、樋口はまだ充分とは言えない。 

 日米で人間のキャラクターの違いを、はっきりと感じる。

 むしろこういった時は、日本のピッチャーの方が、メンタルが強く思えてくる。


 実際のところは日米の、ピッチャーへ期待されるものの違いなのか。

 それにレギュラーシーズンは、やはりピッチャーは安定して投げてもらえればいい。

 全勝するようなリードというのは、ピッチャーに色々と求めすぎるものだ。

 個々のピッチャーの能力を考えた上で、シーズン全体でペース配分しなければいけない。

 特にこれからは暑くなってくるのだし、いくら日本と比べて体感温度はマシだとしても、体力の消耗は考えていかないといけない。


 勝敗はガーネットにはつかなかったが、リリーフ陣も点を取られて、アナハイムは接戦を制することが出来なかった。

 このあたりはやはり、ベテランのピッチャーの方が立て直し方を知っている。

 第三戦のスターンバックは、逆に落ちていたパフォーマンスが、回復しつつある。

 このあたりを上手くリードするのが、キャッチャーの醍醐味だ。

 究極のピッチングを追及するのなら、直史のような意味不明のピッチャーが必要だろう。

 ただ直史もちゃんと、調子が悪いときは存在するのだ。


 ベンチの中で観戦しながらも、その肉体はニューヨークの試合の仕様に変化していっている。

 寒いと言うほどではないが、まだ暑いとも言いがたいのが、ニューヨークのこの季節。

 それを意識した上で、対決しなければいけない。

 幸いにも投げるのは、三戦目となっている。

 気候に合わせて体調も整える。

 万全の状態でなくては、勝てない相手なのだ。


 ブラックソックス相手のこの試合は、スターンバックが七回まで投げて一失点。

 復調しており、ハイクオリティスタートの達成である。

 打線も好調で、リリーフがやや打たれたが、追いつかれることなく5-4で終了。

 次はいよいよメトロズとの対戦。

 一日をかけて移動し、お互いが万全の状態で対決する。

 擬似ワールドシリーズなどと、今の段階で既に呼ばれているのだ。




 翌日、直史は荷物を準備し、マンションを出る。

 球団が車を回し、それに乗って空港へ向かうのだ。

「それじゃあ、私も明日にはニューヨークに行くから」

「ああ、待ってる」

 瑞希は子供たちの世話をシッターに任せて、直史の登板日にスタジアムで観戦する。

 今更チケットは取れないと思ってセイバーに連絡したら、観客席はもうないが、オーナー席に同席することが出来ると言われてしまった。

 大介をメトロズに紹介したのはセイバーだ。

 そして直史はアナハイムに。

 どちらもワンマンオーナーであり、その両方に伝手がある。

 セイバーはそうやって、影響力を拡大している。


 オーナー席などそれこそいいのか、と思わないではなかった。

 だがそれはセイバーが、メトロズのオーナーであるコールから返してもらう貸しであるらしい。

 なお同席するのは、セイバーと瑞希だけではない。

 その試合に限っては、恵美理も来るらしい。

 それで大丈夫なのかな、と瑞希は思わないでもない。

 武史は気分でピッチングの内容が変わる。

 より恵美理の姿は見えていた方がいいのではないか。

 だが周囲にメトロズファンがいる場合、選手の家族がスタンドにいるのは、不測の事態が生じるかもしれない。

 それを防ぐためには、セキュリティのしっかりしたVIP席の方がいいだろう。


 瑞希と恵美理は今更言うまでもなく、義理の姉妹の関係だ。

 恵美理はお義姉様と呼ぶが、日本ではけっこく違和感を持たれる。

 恵美理の方が身長が高く、スタイルもメリハリがあり、顔立ちも大人びているからだ。

 アングロサクソンの血が、それなりに入っている影響である。


 ただこの二人の関係は、とても良好である。

 佐藤家の一族は縁戚関係まで含めて、だいたい仲がいい。

 強いて言えば、瑞希と直史の祖母の間には、やや緊張感がある。

 内孫の嫁ということで、自然と田舎では気になる関係なのだ。

 ただその緊張感も、瑞希が明史を生んでからは、かなり解消している。

 やはり跡継ぎを産んでこそ嫁、という意識が自覚しながらも消えないらしい。

 あとは、直史の母と、恵美理の間もやや緊張感がある。

 直史は本家の跡取りとして、祖母からもしっかりと育てられた。

 母がすぐにまた武史を妊娠してしまったため、それも仕方のないことであった。

 その代わりと言っていいのかは分からないが、母は次男の武史の方を可愛がっている。

 それゆえ恵美理との関係性は微妙なのだが、そこは仲裁する小姑がいるため、実際に危険な事態が起こったことはない。


 恵美理は日本よりもむしろ、アメリカやヨーロッパの方に親戚が多い。

 ニューヨークでなくても、アメリカのあちこちに親戚や知り合いがいる。

 そんな彼女は今年のシーズンオフも、色々な式典に武史と出席するのだろう。

 日本時代も分かっていたことだが、スタイルのいい欧米の人間に混ざると、恵美理の派手さはより目立つ。

 瑞希はあまり胸がないので、ああいう場のイブニングドレスが似合わないのだ。

 直史は自分の妻が公の場で、あまり露出のある服を着てほしくないと、また子供のようなことを考えているが。

 ただそういった嫉妬と言うか独占欲は、むしろ直史の場合は、逆に可愛げがある。




 直史が東へ飛び立った翌日、瑞希も準備を整えて、ファーストクラスでニューヨークへ向かう。

 子供たちはシッターに預けて、一人旅となる。

 だが空港へ到着すれば、そこには恵美理が待っていてくれていた。

 ツインズは桜がそろそろお腹が大きくなってきて、小回りが利かなくなっているのだ。

「お久しぶり、というほどでもないですね、お義姉様」

「お迎えありがとう」

 そうは言うのだが実際には、恵美理だけでなく迎えの人間がいる。

 ニューヨークでの暮らしにハウスキーパーなどの他に、運転手も雇っているそうな。

 このあたりは武史の稼ぎから出ているのか、それとも恵美理の方から出ているのか、瑞希も知らない。

 恵美理は正真正銘のお嬢様なので、そのあたりの管理も誰かに任せているのかもしれない。


 びしっとブランド物に身を包み、サングラスなどをしている恵美理は、まさにセレブの雰囲気を醸し出している。

 瑞希の場合は仕事の延長のように、スーツ姿なのだが。

 つくづく美人だなと瑞希は感心するが、恵美理としても知的で可愛い義理の姉のことは、かなり外見からお気に入りなのである。

 姉妹だと言えば確実に、逆に見られることだろう。

 なんだかんだ言って瑞希は、未だに顔立ちなどに幼いところがある。

 恵美理は昔から、ちゃんと大人っぽく見えていたが。


 二人はマンションに向かう前に、ニューヨークの郊外の一画へ向かった。

 共同墓地の一画ではあるが、特別に囲われているのが、イリヤの墓だ。

 途中で買った花束を捧げるが、瑞希は日本人らしく手を合わせた。 

 イリヤは一応カトリックだったはずだが、宗教音楽には興味はあっても、信仰には全く興味など持っていなかったはずだ。


 一人は死んでいるが、この三人がニューヨークで揃った。

 出会う順番によっては、それぞれの運命は大きく変わっていただろう。

 ミュージシャンは感性が鋭く、そして価値観がでたらめになりやすいため、薬物のショックで死んだり、自殺をしたりといった人間がいる。

 だがその中でイリヤは、エキセントリックではあったが、ちゃんと生活は安定していた。

 周りが放っておかなかったというのもあるが。


 彼女はまだ死ぬべきではなかった。

 直史のピッチングに芸術的な刺激を受けたというなら、ここからの直史の、あとわずかの野球に携わる生活は、彼女にとって大きな糧となったであろう。

 そして武史が来て、恵美理が来た。

 彼女はまだ、生み出すものを全て、生み出しきってはいなかった。

 音楽的に大きな損失だとは、ずっと言われていた。


 瑞希が今も、直史たちの記録を残すのは、彼女の代わりをしているという面もあるかもしれない。

 散文的なことと、詩文的なこと。その違いは大きい。

 だが後世に何かを残すという点では、どちらの方が影響力はあっただろうか。

 イリヤは刺激を受けて、数々の曲を残した。

 それはいまだに、世界中で拡散している。

 恵美理もまた彼女の生み出した曲を、わずかな胸の痛みとともに弾くことがあるのだ。

 自信と言うよりは、子供が最初に手に入れた、よって立つものを彼女に砕かれた。

 天才はその巨大な才能で、暴力的に周囲の人間を、悪意なく傷つけることがある。

 恵美理はその牙を受けて、それでもやがては歩くのを再開しなければいけなかった。

 世の中の人間は、天才ばかりではないのだから。


 瑞希が文章として記録を残したのは、イリヤに出会う前からのことだ。

 だがそれを他人が読める形にしようとしたのは、イリヤの影響が大きい。

 芸術ではなく記録。そのつもりであった。

 だが瑞希の紡いだそれは、ノンフィクションながらフィクションとして、世の中に流布している。

 不思議な導きで、不思議な人と人の縁だ。

 イリヤはそういうことを、運命とは言わずに引力と呼んでいたが。


 やがて血のつながりのない姉妹は、その場を立ち去る。

 常に花の絶えないその場所は、今日もまた何人かの訪れを待っている。

 魂はそこにはない。

 だが彼女の意思は、音楽と共に、世界中を巡っていく。

 それが失われない限り、イリヤが本当の意味で死ぬことはないのだ。

 人にとっての、生命の終わりの次の、もう一つの終わり。

 誰の記憶からも忘れられるということ。

 イリヤが本当に死んでしまうのは、おそらくほとんどの彼女を知る人間が死んで、さらにずっと先の、未来のことになるのだろう。

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