ダークマター

kanobia2

第1話

ダークマター


 安置所から娘の体を背負い、廃墟と化した自宅へ戻る途中、ふと夜空を見上げた。澄んだ空気。日中と異なり、空からの爆音も聞こえない。5歳の我が子はこんなにも軽かったか? もう少し体重はあったような気がするのだが。

 背に顔を向ける。安らかに眠っているだけのようなきれいな顔。しかし、二度と息をすることはないのだ。

 再び見上げる。天の川がきれいだ。こんな思いの時に「美」を感じるのも不思議だが、妙に納得もする。誰だったか、「転んだ時に見つめる、地べたの草花。泣いて見上げた青空の美しさ」……そんな詩を詠んだ詩人もいたような気がする。

 こんな思いをするために5年間、育ててきたわけではない。児童施設に爆弾を落とすなんて、常軌を逸している。いや、戦争を起こすこと自体が、もう……。

 天に召されたこの子たちの魂はどこへ行くのだろうか? 全くの無なのか……。いや、そうは思いたくない。

 楽しかったこと、悲しかったこと、短い期間ではあったが、親子3人の楽しい思い出……。それらがすべてなかったことになるなんて、なんともやるせないではないか。

 そう言えば、有史以来の生物の感情はどうなっているのだろう? わが身を捨てて子を守ろうとする親の愛、恋人が交わした甘い感情、すべてを投げ打って貫いた友情。絶対に許せないという、強い強い、消せない負の感情だってあっただろう。それらも全てその個体の死とともに、完全な無となってしまったのだろうか?

 今勤務している理論物理学教室について考えた。いったい、何の役に立ってきたのだろう。今後の科学や文明の発展にために必要なのはわかる。だからこそ、子ども時代から一心に取り組んできたのだ。でも、でも、今回の戦争を防ぐ、止めることに何の役にも立たなかった。星の一生、中性子星、ブラックホール、ダークマター……。それらの謎を解明したとして、こうした悲劇を防ぐことなんてできたのだろうか。

 私は、ふと歩みを止めた。ダークマター……。この宇宙の1/4をしめる未知の物質。その存在がなければ、銀河の外枠の回転スピードが説明できない。ダークマターがなければ、まだら模様ができず、星の形成に至らない。

 何の根拠もなく、この子たちの魂は、有史以来の生物の感情は物質となってこの宇宙に残っているのではないかと思った。いや、そうでなければ悲しすぎるではないか。時間も空間も超えて、地球やその他の星々の生物の想いや思い出はダークマターとなって宇宙を満たす。

 宇宙創成期まで、この子たちの魂は戻っていったのだろうか?

 天の川を見上げる。「це віроо《そうだよ》」……か。

 涙で視界がにじみ、まるで天の川に文字が浮かんでいるかのように見える。まさにあの子の書き間違いと同じだ。「рно」の綴りを「роо」としてしまう。何度言っても治ることのなかった間違い。

 見間違いであってほしくない。でも、確認するのが怖い。私はなかなか顔を上げられずにいる。 

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