四章―鬼― 6
毒を盛った犯人が分かっているのは、蟲毒と青梅の源少将だけ。漆かぶれは事故のようなもので、犯人なし。唐胡麻の犯人は分かっていない。正月に帝を襲った杯の毒は、その毒の正体すら分からない。
――何のために、ここにいるの。毒で、これ以上誰も苦しまないため、わたしが出来ることを。
正月の儀式の時、杯がいくつか用意されていたと言っていた。帝が使う杯を予想して毒を塗った杯を置くのは、仕掛ける側から考えると、不確かな方法だ。かといって、杯の全てに毒を塗るのは、露見する危険性が上がる。
「それは、分かってる。もっと、他に手掛かりは……」
菫子は思わず、思考を口に出していた。そんなことも、気にしていられない。早く、早く毒と犯人を特定しなければ。
「わあ、ごめん。水瓶倒しちゃった。割れてないやろか」
「あたしのは丈夫に出来てるから、平気」
菫子の考えの邪魔にならないよう、移動してくれたらしい紹子が、紫苑の水瓶を蹴ってしまったようだ。水瓶から少しだけ水が流れ出していた。紫檀がすばやく布巾で拭いたから、広がることはなかった。
「……水瓶。そうだわ。杯じゃなくて、水の方」
どうして思い至らなかったのか。青梅で騒ぎになると分かっていたら、水を飲む流れになるのは予想出来る。水をすすめるのも自然だ。杯ではなく、水そのものに毒を入れれば、どの杯であろうと関係がない。
「何か、分かったん?」
「ええ。でもあと少し、足りないわ」
ふと、紹子が話していた鳥のことを思い出した。どうして今、そのことを思い出したのか、菫子自身も分からない。何かの意志に動かされたような心地だった。
「ねえ、右近さん。お正月の儀式の時、綺麗な鳥を見たと言っていたわよね」
「うん。この世のものとは思えないほど、色鮮やかで、凄いなーって思うたから、よく覚えてる」
「それって、こんな鳥じゃなかったかしら」
菫子は、折り本のある頁を広げて、紹子に見せた。
「これこれ、こういうのだった」
「そう……なんてこと……」
「なんで藤小町があの鳥のこと知ってるん? この頃は宮中にいないはずやよね」
「この鳥は、元々高階の家にいて、わたしが世話をしていたのよ」
「え、どういうこと?」
紹子と、紫檀と紫苑が困惑した表情で、菫子を見つめていた。真実が分かったのに、話をすることが、気が重い。
「この鳥は、
鴆は、本来は伝説上の、存在しない毒鳥である。だが、この鳥を、ある人は作り出してしまった。餌に少しずつ毒物を混ぜて、日々毒を摂取させ続ける。すると、羽一枚一枚に猛毒を持つ鳥が完成する。
どうしてそのような酷いことを、と問えば、毒小町がどうして毒を持っているのか、それを解明するために、人為的に鳥を毒鳥にしたのだと返された。そして、毒を持つゆえ、誰にも世話が出来ないから、菫子がするようにと言いつけた。
この毒鳥を作り出したのは、高階の大叔母だった。
「藤小町の、大叔母様が……?」
「ええ。宮中では、
「兵部大輔って……女御様のところの」
「そう。大叔父上と大叔母上の娘、わたしにとっては従妹伯母上が、女御様の女房をしていると聞いたわ。右近さんに聞き覚えがあるのなら、間違いないわ」
麗景殿で使う油をすり替えたのは、おそらく指示を受けたこの女房。麗景殿に仕えているのなら、簡単なこと。正月の時には、水瓶に鴆の羽を一枚入れたのだろう。鴆の羽は一枚あれば、成人男性が死に至るほどの毒がある。
「まさか、大叔母上が……」
大叔母にいい感情は持っていなかったけれど、それでも恩は感じていた。まさか帝を害するような計画を立て、それを実行してしまう人だったなんて。少なからず気が沈んでいる自分がいる。
折り本は、いつも傍に置くようにしていたけれど、四六時中というわけにはいかない。どこかで盗み見されて、今回の毒の事件に使われたのだ。
「これを作った、わたしのせいだわ」
「違う! これは、藤小町が毒から人を助けるために作ったもの」
「そうやよ。悪用した人が、全面的に悪い」
紹子は、力強く頷いて、菫子の手を掴む振りをしてくれた。触れられなくても、その温かさは伝わって来た。
「右近さん、お願い。中宮様を通して、主上に伝えて。源大臣と兵部大輔が犯人、身を守ることを最優先にしてください、と」
「分かった。そろそろ戻らんと、役人たちにばれてしまう。うち、ちゃんと伝えるから、藤小町はもうしばらくここで辛抱してて」
「ええ、右近さんも気を付けて。あの、本当に、ありがとう」
「友達やもん。当然やよ」
紹子は、にっこり笑ってから、外の様子を窺いつつ、するりと念誦堂から出た。何食わぬ顔をして、予め用意していた籠を持って、役人に手渡した。そして、藤壺の方へと歩いて行った。紹子が何事もなく帰ることが出来そうで一安心だ。
今、一番気がかりなのは。
「橘侍従様、どこにいらっしゃるのかしら。ご無事でいて……!」
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