第2話 1972年
1972年当時において、子供向け娯楽番組の王様は特撮だった。そりゃそうだ、前年に「帰ってきたウルトラマン」と「仮面ライダー」だからな。特に仮面ライダーは1972年になっても続いて放送していたし、スーパーヒーローといえばウルトラマンしか知らなかった子供にとっては「人生観」すら揺るがしかねないレベルで価値観の大地殻変動が起こっていた。
子供たちは風呂敷を首に巻き、友達の背中にライダーキックをかまし、塀の上から飛び降りてケガをした。おかげで仮面ライダーの番組内で、本郷猛が「仮面ライダーのライダーキックは、仮面ライダーだからできるんだ」と注意喚起をせねばならないほど、日本中で熱狂的な盛り上がりを見せたのだ。
ウルトラシリーズもこの年「ウルトラマンA」の放送を開始、怪獣より強い超獣の出現に子供たちは驚いた。だが結果としては、超獣という言葉が怪獣と同等に人口に膾炙することはなかった。この点、怪人を使わずに魔人という言葉を用いたものの流行らなかった「超人バロム・1」と似ている。バロム・1も1972年放送開始である。
ピー・プロの「快傑ライオン丸」や円谷プロの「トリプルファイター」、東映の「変身忍者 嵐」「人造人間キカイダー」など、多少小粒だが錚々たる特撮番組が始まったのもこの年だ。鬼畜ヒーローシリーズで知られる「レッドマン」に「行け! ゴッドマン」、手塚治虫氏原作の「サンダーマスク」、川内康範氏原作の「愛の戦士レインボーマン」も1972年組である。他には「突撃! ヒューマン!!」「アイアンキング」も放映された。
まさにヒーロー特撮花盛り。全盛期を迎えたと言っていい。そんな時代、アニメもカラー化で頑張ってはいたとは言え、特撮の大ブームに比べれば日陰者扱い……と、なるのではと思われたのだが。
変化の兆しは、4月に現われた。「海のトリトン」の放映開始。後に「機動戦士ガンダム」(1979年)で有名になる富野由悠季氏(当時は喜幸)の監督作品だったが、当時、他の番組と比較して決して大ヒットした訳ではない。そこそこ人気があった、くらいだろうか。しかしこの頃の子供も気付いていた。「歌が格好いい」と。そう、厳密にどの番組が最初なのかはわからないが、この頃からアニメの主題歌の傾向が変わったのだ。
1971年頃までのアニメの主題歌は、いわゆる子供向けの、良く言えば軽快で明瞭な、悪く言えば面白味に欠ける曲が多かった。もちろん例外はあって、白土三平氏原作の「サスケ」(1968年)、「カムイ外伝」(1969年)のように、いま聞いても「渋過ぎるだろ」と思わざるを得ない曲もあったが、その中間辺りのちょうど良くて格好いい曲があまりなかったのだ。それが1972年を境にガラリと変わる。
7月にはデビルマンが始まった。これまた主題歌はいまだに歌い継がれる名曲である。このテレビアニメ以降、オリジナルビデオや実写映画、ネット配信など様々な媒体、様々な手法のデビルマンが登場したが、この初代テレビアニメ版以外の主題歌を歌える人は極めてまれではないか。なお虫けらは「イヤモンとバウウ」のエピソードが大好きだ。わかる人だけわかればよろしい。
10月からはタツノコプロの「科学忍者隊ガッチャマン」が始まった。当初のオープニング主題歌は、コロムビアゆりかご会の歌う「倒せ! ギャラクター」だったものの、ご承知の通り途中から、エンディングに使われていた子門真人氏の歌う「ガッチャマンの歌」に差し替えられる。当時虫けらはこれを喜んだように思う。この方が断然格好いいのだから。おそらく虫けらが子門真人氏という歌手を意識した最初の作品だろう。
同じく10月からは「日本最初のカラー放送の巨大ロボットアニメ」として知られる「アストロガンガー」が始まった。制作会社のナックはいろんな意味で悪名高い会社であるが、アストロガンガーが当時の平均的なアニメと比較して作画がとびきり酷かったとか、そういう印象はない(ガッチャマンと比較してはいけない)。ただジャンルは目新しかったものの、斬新さには欠けていた。その辺は主題歌にも現われている。
水木一郎氏の歌うアストロガンガーの主題歌は「どこかで どこかで 何かがあれば」から始まるが、これは月光仮面(1958年)の主題歌の歌詞「どこの誰だか知らないけれど」に通じるものがある。つまり旧来のヒーロー物の流れにある歌詞なのだ。実際作中のアストロガンガーも、設定上はともかく活躍の仕方はウルトラヒーローのそれと変わらない。巨大ロボット物という新しいジャンルに対する新しい解釈は盛り込まれなかったと言っていい。そういう面では「鉄人28号」(1963年)の方が――主題歌はアストロガンガーの方が好きなのだがな――設定や作品世界の魅力は上だったろう。
実際アストロガンガーはガッチャマンほどの話題性も人気も得ることはなかった。虫けらも嫌いではなかったが、そう熱心に観ていた訳でもない。しかし、この激動の1972年はまだ終わらない。1年も終わりが見えた12月、アストロガンガーに続き「日本で2番目のカラー放送の巨大ロボットアニメ」の放送が開始される。そう、「マジンガーZ」だ。
あのとき水木一郎氏の声で「空にそびえるくろがねの城」から始まる主題歌を最初に聞いた子供たちの受けた衝撃を、現代の読者に伝える手段は残念ながら持ち合わせていない。「そびえる」の意味も「くろがね」の意味も知らない子供たちが、その肌で感じ取ったのだ。「何か凄いことが起きてる!」「いままでと全然違うことが始まった!」と。
その巨大な波は一瞬で日本を飲み込んだ。文字通り一夜にして「ウルトラマンと仮面ライダーさえ知っていればOK」だった子供たちの世界が「マジンガーZ知らないなんて有り得ない!」世界へと変貌したのである。上の方で仮面ライダーの登場を地殻変動に例えたが、子供たちにとってマジンガーZの登場もそれに匹敵するか、見ようによってはそれ以上の巨大な地殻変動となった。
何せ変なヘルメットかぶったお兄ちゃんがパイルダーオンして操縦するのである。光子力ビームで、ルストハリケーンで、ブレストファイヤーで、そして何よりロケットパンチだ。どれもこれも言葉の意味はまったくわからない。だがわからないことをみんな覚えた。そこには未来が見えたからだ。いつかこんな世界がやって来るんじゃないかという希望に満ち溢れていたからだ。
たまに「ガンダムはSFか否か」という議論を目にするが、少なくともマジンガーZはSFである。これまでとは違う形で、それまでなかった未来を子供たちに見せてくれたのだから。
マジンガーZはオープニング主題歌が格好良かったが、エンディングも格好良かった。挿入歌の「Zのテーマ」「空飛ぶマジンガーZ」も格好良かった。音楽に非常に力を入れていたのだろうな。この1972年のトリトン、デビルマン、ガッチャマンにマジンガーZという流れが、その後の日本のアニメソング、あるいはアニメ全体の方向性にまで大きな影響を与えたのではないかと虫けらは思っている。
あ、1972年には「ど根性ガエル」もあった。この主題歌は旧来の子供向けアニメの香りを残しながら新しさも見せている名曲である。アニメーション技術に興味のある人は、この作品のオープニングアニメーションをじっくり観てみるといい。アニメの教科書のような素晴らしい仕事が見られる。
こうして、日本のテレビアニメは特撮(および実写全般)の真にライバルたり得る存在へと成長して行くのだ。続きはまた次回。
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