第18話 イレーナ・スノー大臣
アリアとイレーナ大臣は、二階の食堂に到着した。アリアは一度食堂を出て、厨房まで温かいお茶を取りに行く。イレーナの前にお茶を置くと、一歩後ろに下がった。
「熱いので、お気をつけてお召し上がり下さいませ」
「美味しそうな緑茶ね。頂くわ」
イレーナ大臣は皺の寄った右手でコップを手に取る。ゴクゴクとお茶を飲んでいる間、頭上では団子状にまとめた紫色の髪が動く。
イレーナ大臣は、ふうと息を吐いた。
「何か私に、お話したいことがあるんじゃないかしら」
「えっ!?」
「お顔に書いてあるわよ」
アリアは自分の顔を両手で触った。イレーナ大臣は口に手を当てて小さく笑う。
「この歳になるとね、そういうことが分かるものなの。お話聞かせて」
「ありがとうございます。エリリカ様の誕生パーティーの日です。パーティーが始まる前に、大広間の入り口前で、私はイレーナ大臣とお話しました。あそこにいらっしゃれば、コジー様のご挨拶が聞こえていたはずですわ。それなのに、お部屋へお入りにならなかったのはどうしてでしょうか。何をなさっていらしたのですか」
アリアの問いに、イレーナ大臣は穏やかな調子を崩さない。
「少し疲れてしまっただけよ。乾杯の声が聞こえたら、邪魔にならないように入るつもりだったの。廊下の絵画をゆっくり見させてもらったわ。どれも綺麗ね」
「お言葉ですが、イレーナ大臣がメイドのアスミとお話なさっていたことは、知っております」
イレーナ大臣は一瞬だけ、真っ黒な瞳を大きく見開いた。しかし、すぐに柔和な笑みに戻る。
「黒髪で一つ結びのお嬢さんよね。疲れたからお茶が欲しい、とお願いしただけよ。とても良いメイドさんだわ。その後はダビィ王がいらして、アクア王国に戻るよう仰ったの。『もしかしたら、すぐにアクア王国に戻れないかもしれない。イレーナ大臣は今からアクア王国に戻って、城を頼む』とね。実際には姫様が大丈夫と仰ったので、すぐに戻っていらっしゃいました。それだけよ」
「アスミは早足でいなくなった、とも聞いております」
「私のために急いでお茶を取りに行ってくれたのね。何も言わずに帰ってしまって申し訳ないわ」
いつものペースで会話を続けられ、アリアは焦りを感じていた。このままでは、何も聞き出せずに終わってしまう。
「そ、そのお話以外に、何か起こりませんでしたか。例えば、アスミの持ってきたお茶が零れる、というようなこととか・・・・・・」
「いいえ。何も起きていませんよ」
撃沈。
イレーナ大臣は穏やかな笑顔を崩さない。しかし、アリアには彼女が何か隠しているようにしか見えなかった。アスミの手が濡れたことや脅迫状の話はまだ出さない方が良いだろう、とアリアは判断した。
食堂にある扉が、大きな音を立てて開いた。どうやら、全員が戻ってきたようだ。エリリカとセルタが並んで歩くのが目に入る。アリアは胸の詰まる思いがした。それが顔に出ていたのか、エリリカは明るい声を出す。
「イレーナ大臣はお休みになられましたか」
「ええ。美味しいお茶を持ってきて下さったし、話し相手にもなって下さったし、アリアさんにはお礼を言わないとね。それから、もう少しここで休んでいてもよろしいかしら。体が休まったら、大広間か墓地へ向かうわ。フレイム家の墓地も裏庭でしたね」
イレーナ大臣は申し訳なさそうに頭を下げた。フレイム城とアクア城は、中の配置も線対称になっている。案内されなくても、彼女なら一人で移動することができる。
「遠慮なくゆっくりして下さい。いらして下さっただけでも嬉しいですから。父と母もきっとそうです」
「ごめんなさいね」
イレーナ大臣の座高に合わせて、セルタ王子が屈みこむ。マントが床につくのもお構いなし。
「大丈夫ですか。よろしければ、僕がお傍につきますが」
「セルタ王子は本当にお優しい方ですね。大切なフレイム王国の王と女王のご葬儀です。参列なさって下さい」
「分かりました。お気をつけて下さい」
それを見つめていたミネルヴァは、エリリカの肩に右手を添えた。息子の気遣いに感動しているようにも見える。
「ここからはさらに辛い時間だと思うけど、私達もいますからね。さぁ、行きましょう」
「はい。皆様、一階の大広間まで移動しましょう」
エリリカ、アリア、ダビィ王、ミネルヴァ女王、セルタ王子の五人で大広間まで移動する。
ポケットにある懐中時計を取り出し、開始までにまだ時間があることを確認する。
「まだ時間がありますので、大広間前の廊下も見て参りますわ。大切なご葬儀ですから、抜かりのないようにしておきたいのです」
「始まるまで五分くらいあるし、大丈夫よ。任せたわ」
アリアは、イレーナ大臣とアスミが話していた方じゃない扉から、廊下へ出る。扉の両脇に置いてある花に問題はなく、どちらも綺麗に飾ってあった。もう一方の扉へ回り込んで、こちらの花瓶も確認する。花は綺麗に飾ってあるが、よく見ると、向かって左側の花瓶の位置が少しズレていた。
厨房は二階で大広間は一階だが、厨房から大広間に料理を運ぶこともある。そのため、大広間にある二つの扉の内、こちら側を使う人が多い。また、厨房からは向かって左側の花瓶の方が、扉の幅分近い。
ズレた花瓶を中央に戻すため、両手で大切そうに持つ。しかし、花瓶を持った時に違和感を覚えた。少し軽い。花の本数かと思って数えてみるが、そうでもない。そもそも、数本の花で重さが変わることはない。心なしか、もう一方の花瓶の花より枯れているように見える。そこで、花瓶の水が少なくなっていることに気づいた。近場の水道で、花瓶の水を増やす。それから、花瓶を元の位置に戻した。最後にもう一度、両方の花瓶を確認し、エリリカの元へ戻る。
「お帰り、そろそろ葬儀を始めるわ。今日もちゃんと隣にいてね」
「かしこまりました」
アリアは両手を揃えて静かに頷く。
娘の誕生日に毒殺されたフレイム夫妻。犯人を捕まえたわけではいないが、今は二人を弔うのが先。葬儀に集中するため、アリアは頭の中の雑念を振り払った。
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