第5話 第1の事件

 エリリカの誕生パーティーを行うため、大広間には多くの人が集まっていた。しかし、フレイム城の大広間がいかに広くても限度がある。そこで、両国の王族、城の関係者は大広間で、両国民は城の周辺で、参加する決まりになっていた。両国主催の国民参加型パーティーのみ、時間内は自由に関所を移動できる。そのため、関所に務める警備兵は、城門や城内の三階に上がる階段で見張りをしている。関所の警備兵は全員信頼できる人物である。さらに、各持ち場のリーダーは、特に信頼できる警備兵ばかりだ。

 パーティー開始のため、エリリカは大広間に移動した。アリアは確認のため、大広間の前にある廊下を一周する。

 大広間の入り口で、見慣れた紫髪が目に留まった。彼女は足音に気づいたのか、ゆっくりとこちらを振り返る。

「今日の準備もお疲れ様。素敵な日になることを祈っているわ」

「イレーナ大臣、お越し下さり光栄です。主人エリリカに代ってお礼を申し上げます」

 イレーナ大臣の優しい笑みにつられて、アリアも自然と笑顔になる。彼女は歳とともに背中が曲がり、前よりも身長が縮んでいた。しかし、偉大なオーラがそれを感じさせない。

 イレーナ・スノーは今年六十五歳になる、アクア王国の大臣だ。両国の間で戦争が始まる前に、アクア王国の大臣、マーク・スタンが死んだ。そのため、マークの前大臣であるイレーナが、戦争のために急遽大臣として戻ってきた。戦争が終わった今でも、大臣職を続けている。

 イレーナ大臣は申し訳なさそうに眉の皺を寄せる。

「私は引退する身だったので、人が多い所には長居したくないの。ごめんなさいね。パーティーが始まる前には、大広間に移動するわ」

「かしこまりました。無理のない範囲でご参加頂けた方が、主人も喜びますわ。何かありましたら、遠慮なくお申しつけ下さいませ。これにて失礼しますわ」

「ええ、ありがとう」

 絵画を見るイレーナ大臣を残し、アリアは大広間に入っていった。

 大広間の中には、両国の王族や城の関係者が集まっていた。煌びやかな室内とほどほどの喧騒は、エリリカの誕生日を祝うのに相応しい。

「アリア~、こっち来て。ダビィ王とミネルヴァ女王にご挨拶よ」

 エリリカがアリアに向かって手を振っていた。その周りには、フレイム夫妻の他に、セルタ王子とダビィ王、ミネルヴァ女王がいた。

 ダビィ・アクアはアクア王国の王であり、セルタの父だ。アクアの家系に生まれており、セルタと同じ青い髪にオレンジの瞳をもつ。無表情が威圧感を与えてしまい、きつい性格だと誤解されやすい。

 ミネルヴァ・アクアはアクア家に嫁いで、夫のダビィを支えている。物事を冷静に判断できるため、アクア王国の存続に大きく貢献している。

 アリアはアクア夫妻に向かってお辞儀をした。

「お忙しい中お越し下さり、ありがとうございます。使用人を代表してお礼を申し上げます」

「アリアさんか。久しぶりだな」

「ダビィったら、もう少し気の利いたことを言いなさいよ。せっかくアリアさんが声をかけて下さったのに。ごめんなさいね。ダビィは口下手だから、気の利いた事が言えないのよ。私が変わってお祝いの言葉を述べるわね」

 ダビィは無表情のまま、短い言葉を発しただけだった。アリアはアクア夫妻に会うことが多いため、二人の性格はよく知っている。ミネルヴァがダビィのフォローをする姿は、見ていて微笑ましい。

「さっ。そろそろ乾杯用のワインが運ばれる頃だ。乾杯した後は、セルタ王子とエリリカを二人きりにしてあげようじゃないか」

「あら、そうね。それに、エリリカも成人したんだし、本格的に式の準備を始めても良いわよね」

 コジーは手を叩いて嬉しそうに言った。それに続いて、エリーは結婚式にまで話を飛ばす。アリアは居心地が悪くなり、手元の懐中時計を見た。

「私はアスミの様子を見て参ります」

「そろそろ時間かねっ」

「はい。数分ですが時間が過ぎております。すぐお持ちしますので、ご心配には及びません」

「な~に、数分くらい構わんよっ。三人とも、お待たせして申し訳ないなっ」

 コジーの謝罪に、ダビィは短く「気にするな」と答える。

 アリアがこの場を離れようとした時、お盆を持ったアスミが大広間に入ってきた。彼女が運んできたのは、フレイム夫妻とエリリカ用のワインだ。フレイム夫妻はお揃いの薄い赤みがかったグラスで、エリリカは薄い緑がかったグラス。三人が常に愛用しているグラスは、フレイム家の髪、瞳の色をしている。

 ワインはグラスの八割ほどまで注がれており、アスミはバランスを取るのに必死だった。

「お待たせしてしまい、申し訳ございません。準備に手間取りました。こちら、コジー様、エリー様、お嬢様のワインです。お受け取り下さい」

「ありがとう。少しくらい大丈夫さっ」

「恐れ入ります」

 お盆にあるワインを各々が手に取ると、アスミは慌てて部屋を出ていった。コジーは中央奥にある玉座の前に立ち、その場の全員に呼びかける。

「皆様、お待たせ致しましたっ! 今日は我が娘、エリリカのためにお集まり下さり、ありがとうございます。それでは、ご自分の近くにいる使用人から、一杯ずつグラスをお取り下さい。エリリカ、皆様にご挨拶をしなさい」

「はい。私のためにお集まり下さり、ありがとうございます。本日は私が成人する大切な日です。皆様にお会いできたこと、大変嬉しく思います」

 コジーの挨拶に続き、エリリカも堂々と挨拶をする。会場の誰もが彼女の美しさに見とれていた。

 コジーは全員がグラスを持ったことを確認する。

「それでは、エリリカの十八歳の誕生日を祝して・・・・・・乾杯っっっ!!」

 グラスを掲げて音頭を取ると、この場の全員がそれに続く。会場のあちこちから、液体が喉を通る音が聞こえる。アリアは会場の端でそれを眺め、エリリカへの祝いの言葉を心中で述べた。その瞬間、アリアとエリリカの視線がぶつかる。優しく笑いかけてきたエリリカに、アリアは胸が締め付けられた。

 バタンッ

 突然、大広間に大きな音が響いた。それはまるで、鈍器が床に落ちたような鈍い音。今の一瞬で、大広間は静まり返る。アリアにも何が起きたのか理解できなかった。困った時、無意識の内にエリリカを見てしまう。だが、エリリカもアリアと同じように固まっていた。少しの膠着状態の後、エリリカの意識が戻ってくる。

「お、お父様っ、お母様っ!! どうなされたのですかっ!? すみません、どなたかクレバ医師を呼んで下さい」

「わしが呼んでこよう。おい、ミネルヴァ。エリリカ姫についていてやれ」

「分かりました」

 ダビィが駆け足で大広間を出ていく。それが引き金となって、室内がざわつきはじめた。エリリカはフレイム夫妻の横にしゃがみ込み、必死で呼びかける。我に返ったアリアも、エリリカの近くに駆け寄る。サッと傍にしゃがみ、「失礼します」と声に出してから脈を測った。

「正直に言って」

「その・・・・・・脈が動いておりません」

 エリリカの顔からスーッと表情がなくなる。息を飲む音とともに、彼女の脳から「思考」の二文字が消えた。脈が動いていない。それが何を意味するのか、彼女の脳が理解することを拒んでいる。

「エリリカ・・・・・・様・・・・・・」

 しかし、それもほんの一瞬のことだった。アリアの声が聴こえた瞬間、エリリカの中で何かが変わった。彼女の瞳には火神が持つ松明の如く、強い光が宿った。アリアが信じ続ける、強い意思を宿した瞳。エリリカの瞳を見て、アリアも正気を取り戻していく。

「トマス! スポイトと容器を持ってきて。それから、ライ大臣を呼んで」

「か、かしこまりました」

 玉座の近くにいたトマスは、名前を呼ばれてビクリと体を震わせる。震える声で返事をすると、大急ぎで大広間を出ていった。

「スポイトと容器は、このワインを採取するためですの?」

「察しが良いわね。私は真横でお父様とお母様を見ていた。二人は乾杯後、このワインを飲んでから倒れた。何か混ぜられていた可能性が高いわ」

 ワインに人を殺すほどの何かが混ぜられていた。この恐ろしい事実に、アリアはスッと息を呑む。

「そんな。でも一体、誰がどのような目的で、何をワインに混ぜたのでしょうか。そもそも、エリリカ様は大丈夫ですの? その、いろいろと」

「私のワインには何も入ってなかったみたいね。体調は問題ないわ。お父様とお母様のことが心配だけど、私にできることはこの場を収めること。二人のことは専門のクレバ医師に任せるわ。それに、私が泣いていたら誰がこの場を仕切るのよ」

 さっき硬直していたのが嘘のように、エリリカは背筋を伸ばして心臓マッサージに入る。エリリカがコジーの、アリアがエリーの、心臓マッサージを行うことにした。クレバ医師が到着するまで、無我夢中で両手を動かす。

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