第9話 歓迎
☆
アンリに案内された部屋は二段ベッドが置いてあり、壁際には箪笥(たんす)、窓際には物書き机が二つ並んでいるだけの質素な部屋だった。
とても広いとは言えないが贅沢を言える身分ではないことは重々承知している。
森の中で彷徨っていたことを考えると安心して寝られる屋根の付いた寝床があるだけでありがたいといえよう。
「ミドリ、僕は一人だったから下を使ってたけど下が良ければ譲るよ?」
「いや、そこまで気を回さなくてもいいよ。アンリはいつも通りの生活をしてくれ。寝るときは俺が上に行くよ」
「そうか、じゃあそれはいいとして。この部屋も今日から僕とミドリの二人部屋かぁ」
アンリは勢いよく下のベッドに倒れこむと両腕を広げて上のベッドの底を見ながらしみじみとそう言った。
「狭くなって迷惑だったか?」
「いやいや、そう卑屈になるなよ。僕はミドリが来て迷惑だなんて微塵も感じていない。それどころか今凄い嬉しいんだ。同世代の、同性の友達が出来てさ。ミドリ今年でいくつになる?」
「今は16、今年で17になる」
ミドリは自分の年は覚えていたが、果たしてこの世界の日付という概念と今までの失ってしまった記憶の世界では同じ時の歩み方をしているのか疑問を感じたがとりあえず現在の状態での年齢を答えた。
「お、全く同じだな!ほんと嬉しいよ…………」
嬉しいと言いつつもアンリの顔には影が差している。
その理由を聞きたい衝動に駆られたが、今は止めて置いた。これからどれほど一緒に過ごすことになるかは分からないが、少なくとも一日二日でどうこうなる話ではなさそうなのでアンリともルナともゆっくり親交を深めていけばいい。焦る必要はない。そう思うことにした。
だが、それと同時にもしも自分のいない自分の元居た世界で自分がいないことで何か起きていたとしたらどうしようという、記憶を戻して元居た場所に早く戻らなければならないのではないかという焦る気持ちも同時に芽生える。ミドリの心の中は複雑だった。
「改めてよろしくな、アンリ」
「おう、こちらこそよろしく」
お互い新しい同居人に挨拶を交わしてそのまましばらく雑談をしていると、扉を叩く音が聞こえた。
「アンリ、ミドリ、晩御飯の支度が出来たわよ」
「はい!」
ルナからの声がかかってアンリとミドリは話を中断し、そのまま扉の外で待っていたルナと合流して三人で食堂まで向かった。
教会はただの街の教会とは違い、アンリとミドリの部屋と同じような造りの部屋が他にいくつも同じ階に並んでいて、反対側も同じような扉が見られたのでルナの部屋もそっちの方にあるのかもしれない。これだけの部屋があれば相当の人数がこの教会に入ることができるだろう。
村の中を歩いてこの教会までたどり着くまでに他の色々な建物を見てきたが、この建物はひときわ大きい。
地上4階建てで、地下は何回まであるかは分からないが少なくとも地下一階へと繋がる階段は見た。まるで小さな古城のような装いである。外から見た教会は木製でシックでありながらも温かみのある雰囲気だったが、中では床や壁、インテリアに所々、というかかなりの場所で石が使われていて小さな古城という印象をより強く抱かせた。
食堂は一階の入り口の大広間の両脇にある扉からさらに奥にあるらしく、これまた広くて天井の高い綺麗な食堂だった。
食堂の入り口近くから奥のステンドグラスの輝く大きなロザリオの前まで伸びる長机が食卓になるらしい。そこにはターニャとルナとアンリとミドリの四人分の食卓が揃えてあった。これだけ大きな食堂に四人分だけということに対してミドリは物凄い違和感を感じたが、取り合えず疑問は部屋に戻ってからアンリに聞くとして今は目の前の食事の方に集中することにした。
考えてみれば感覚的に丸一日ぶりくらいの食事に思える。目の前に並んだ湯気を立てる食事に思わず涎がたれそうになるのを押させてミドリは席に着いた。
「じゃあいいですか」
ターニャがそういうとアンリとルナは手を合わせて祈るような姿勢を取った。思えばここは教会なのでそういった風習、ルール、ルーチンがあってもおかしくはない。
ミドリもそれを見て習おうとして、信仰もないのにそのようなパフォーマンスとしての祈りをささげることは無礼にあたるのではないかと一瞬考えたが、宗教的な意味合いではなくここに住まわせてもらう感謝と食材に対する謝意としての祈りを捧げることにした。そうすることで本気で祈ることができた。
何となくタイミングを見て目を開けるとちょうど他の三人も祈りを終えたところだったのでミドリはホッとした。
「ではいただきましょう」
ターニャの合図で食事は始まった。
ミドリはこれもまたあまり喋らないで食べるなどの宗教的作法があるのかと身構えたが、食事は普通に始まった。基本的にルナがよくしゃべり、ターニャは聞き役に徹してたまに合いの手を入れる。アンリはルナの話を聞きつつ食べるのに必死になっている。
ふとミドリはこの光景がどれくらい続くものなのかと遠い感情になった。温かい食事を囲み、何気ない会話をして楽しむ。奪われることのないと信じた、否、そんなこと思いもしない彼らにとっては当たり前の光景で今のミドリにとっては当たり前ではない光景。
きっとミドリも以前の世界では当たり前の生活があったのかもしれないが、それは突如として奪われた。
この世界は自分の知らない異質な世界だとばかり今まで感じていたが、ルナやアンリのいる世界からするとミドリの方が異端な存在なのである。彼だけがこの世界の仲間外れなのである。
ミドリはそれを感じた途端に温かい食事も幸せな空間も自分のものではないという疎外感と虚無感に襲われた。記憶にはないがかつて自分にもこんな温かい場所があったのだろうか、と。そして今この瞬間に幸せを感じている感情も今回のように突然何かの拍子で全て奪いされれてしまうのだろうか、と。
「ミドリ…どうして泣いてるの?」
パッと会話が止んだので何かと思ってミドリは顔を上げると心配そうな顔をしたルナがこちらを向いていた。
「え…………」
ミドリは自分でも気づいていなかったが、大粒の涙を流していた。
「おい、ルナ」
隣のアンリはルナが言う前から気が付いていたようだが、何かを察して敢えて触れないようにしていたらしい。それはターニャも同様らしかった。ただルナは会話に夢中になってそこまで気が配れていなかったのか、目についたものを反射的に勢いで言葉に出してしまったのかアンリに目で制されると小さく「あっ」という声を出して食事に戻った。
そのまま食事はぎこちない雰囲気になってしまい会話は弾まなかったが、みんなが食べ終わって少しすると、
「片づけは今日は私とルナでやっておきます。ミドリとアンリは戻って今日はもうゆっくり休みなさい。だけど二人とも、明日からは仕事をしてもらいますからね」
と言った。
「はい。今日は申し訳ないです、ターニャさん。お言葉に甘えさせていただきます」
「明日は今日の分もしっかり働くよ。じゃあまた明日。ターニャ、ルナ」
ミドリはターニャの気づかいに甘えることにした。同部屋のアンリはともかくとして、今は早く休みたいという気持ちは本当にあった。
だが、ミドリは今はその優しさを感じながらもしっかりと正面から受け取れる心は持っていなかった。その優しさを無下にするということはないが、今の彼には優しさが痛かった。
☆
「ふぅー。食った食った。僕はあのシチューが一番好きなんだ。ホカホカのパンにつけて食べるとこれ以上ない幸せを感じるんだ。美味かっただろう?」
アンリはへやに戻ると物書き机に座って振り返った。
ミドリは二段ベットの下のベッドに腰かけている。
「美味しかった。正確な記憶が無いから分からないけれど、相当久しぶりに摂った食事だった気がするよ。…さっき食事中に突然涙を流して空気を壊して悪かった。自分でもよく分からないんだ」
ミドリは俯いて先ほどのみんなが心配そうな顔をしてこちらを見る顔を思い出して悲しくなった。不可抗力だったとはいえ自分が楽しい食事の雰囲気を壊してしまったのだから申し訳ない気持ちを感じるのも自然な感情である。
「いいって。自分では思ってなくてもきっとかなり疲れているんだよ。ミドリじゃなくても訳も分からず記憶も失って放り出されたりしたら泣きたくもなるさ。ターニャもそれが分かっているから何も言わなかっただろ?」
「あぁ、ありがとう」
ミドリはこれ以上この話に自分がくよくよしていてはアンリにも申し訳ないと感じたので話題を転換することにした。
「それにしてもこの教会は本当に大きいな。立派だし、内装も綺麗だ」
「そうだろ。村一番の大きさの建物だしな」
アンリは誇らしげに部屋を見渡しながら言った。常日頃から生活しているのだから見渡しても真新しい発見などないはずだが、改めてその建築の荘厳さを再確認しているようだった。
そしてミドリは疑問に思っていたことの一つ目を聞くことにした。
「ここって教会の三階だけど、周りにも同じような扉の付いた部屋がたくさんあるみたいだけどターニャとルナとアンリ以外にはここに居ないのか?食事も俺を入れて四人だけだったし、アンリとの同室に決して不満があるわけじゃないんだ。だけど、空き部屋なのだとしたらどうして俺はアンリと二人部屋なのかなって。もしそれもターニャの気遣いだって言うならそこまではやりすぎかなって思うんだ」
アンリはミドリの言葉を聞いて目を開いた。目の焦点が合っておらず、どこを見ているか分からない表情でただ宙を見つめている。
その普通ではない様子にミドリは何かいけないことを聞いていしまったのかと思ったがもう後には引けなかった。
「ミドリ…今日はもう寝よう。この世界についても含めて、明日ゆっくり話すとするよ。約束する。お互い今日は疲れた頭で話すよりもその方がいいだろ?」
アンリは含みのある物言いでそう言うと物書き机の前の椅子から跳ねるようにして勢いよく降りるとミドリの前の前まで来た。その表情はいつもの笑顔に戻っていた。
「分かった。明日にしよう。ちゃんと話してくれよ」
ミドリはアンリの言葉を信じて座っていた場所を譲り、自分は上のベッドへと上がった。
「大丈夫、ちゃんと色々説明するよ。これからお互いしばらく一緒に生活するんだし隠し事は無しで行こう。ミドリも何か思い出したり、思うところがあったら直ぐに話してくれよ。あ、因みに僕のいびきに関しては何を言っても無駄だぜ」
アンリはベッドの下からそう言った。
最後の一言はきっと暗い雰囲気を変えて明日からは気持ちを切り替えていこうという彼なりの配慮だろう。全く、ここに来てから気を遣われっぱなしだとミドリは感じたが好意はありがたく受け取ることにした。
彼はミドリに対して隠し事をする気はないらしい。ただ話すのに気持ちの面やら諸々準備のいることもあるだろう。ミドリはアンリが話すと言っている以上、さらに質問を重ねるような無粋な真似はしなかった。質問の機会は明日設けられているのだからその時に思う存分聞けばいい。そう思い直して布団をかぶった。
「俺は一体誰なんだ…………」
ミドリは布団に入ると、記憶を失って目が覚めてから今までの記憶を振り返ろうとしたが一分もしないうちに眠りに落ち、夢も見ないほどの熟睡をした。
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