過去と影絵とサイコさん 3

 週末。僕は電車とバスを乗り継いで、隣の市まで出かけた。初めて来る場所だったので道に迷い、目的地に到着したのは予定していた時間を五分ほど過ぎていた。

 マップと睨めっこしながらたどり着いたのは、古いビルの地下にある店だった。看板に『カフェ・バー』とあることから、酒類も扱うらしい。というか立地からして、そちらがメインなのではないだろうか。未成年が入るには、少し勇気のいる店だ。なんとなく、子供はお断りな雰囲気がある。しかし躊躇している暇はない。既に遅刻している身で、これ以上の遅れはトラブルの元だ。僕は鞄をかけ直すと、意を決してドアを押し開けた。

 店内は、独特の雰囲気があった。やはりカフェよりはバーに近い雰囲気の造りで、カウンターの奥には様々な酒瓶が並んでいた。全体的に薄暗い店内を、橙色の照明が柔らかく照らしている。各所に置かれたオブジェはどれもランプを内包しており、蝋燭のような明かりがちらちらと揺れていた。まず間違いなくフェイクだろうが、その揺らめく光は神秘的な雰囲気を作り出すのに一役買っている。オブジェは獅子や魚など生物が多かったが、中には女性像などもあり、あまり統一感はない。ただ、雰囲気は共通している。神秘的──というよりは、魔術的だろうか。密やかな、秘めやかな、秘密の気配を纏ったオブジェ。なにがそう思わせるのかは、僕にはわからない。

 店内にいたのは、カウンターの中に立つバーテンと、その前に座る女性客。手前のテーブルの男性二人。そして一番奥のテーブルに座るサイコさんの四人だった。

 僕は恐る恐る奥のテーブルまで進み、空いていた席に腰を下ろした。

「遅くなって、すみません」

「コーヒーでいい?」

 コーヒーを飲んでいたサイコさんは、僕の謝罪を華麗に聞き流した。僕としては、はい、と頷くしかない。音もなくお冷やを持ってきた店員に、コーヒーとケーキを注文する。

「呼び出して、悪かったわ」

「いえ」

「正直、来るとは思わなかった」

 それは、そうだろう。

 僕が受け取った封筒の中身は、一枚の便箋だった。店の名前と住所、日付、時間が、封筒の文字と同じ字で書かれていた。他に文言はなし。知らずにそれだけ見たら丁寧に書かれたメモ書きにしか見えない内容だった。あれを見て、『ああこの時間にこの場所で会おうという意味なんだな』と判断する人間は、あまり多くないだろう。

「なぜ、来たのか聞いてもいいかしら?」

「興味本位です」

「それは私に対するもの? それとも、これ?」

 とん、と細い指がテーブルを叩く。その仕草で、初めて僕はテープルに模様がある事に気付いた。星座板だ。やはり、どこか魔術的な雰囲気がある。僕はそれを見てようやく、店内のオブジェが星座をモチーフにしたものだと気付いた。

 枝のように細い指が、蟹座を指さしている。

 蟹。

「……自覚、あるんですか」

「あるわ。君、見えてるのね」

 ケーキとコーヒーが運ばれてくる。絵に描いたようなショートケーキ。シンプルだが、高価いんだろうな、と思わせる品格があった。僕は財布にいくら入っていたかを思い出そうとした。

「いつから見えているの? なにか、きっかけがあったのかしら」

「……いえ」

「生まれつき?」

「おそらくは」

 物心つく前のことまではわからないが、そうなのだと思う。まだ保育園に通っていた頃、僕は影絵が他の人には見えていないことを知らなかった。そのせいで周りと話が噛み合わないことが多く、僕はよく祖父と両親に怒られた。言ってはいけないことだと理解したのは、小学校に上がる少し前だと思う。

「あなたのほうは?」

「私?」

 サイコさんはくすりと笑った。

「私は、神隠しにあったの」

 その言葉に、僕は息を呑んだ。

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