影絵ウサギ3

 一般に、人間の男女では女性の方が噂話を好む、という。だが僕個人の経験で言わせて貰えば、噂話を好むのに性別は特に関係ないと思う。男だろうが女だろうがそれ以外だろうが、人間は噂話が好きだ。もちろんそうではない人も多く存在するのは当たり前のことだが、それだってやっぱり性別は関係ない。噂話を好むか否かに性別は無関係だ。

 ただ男女で違う部分ももちろんあって、その最たるものが拡散の速度だと思う。少なくとも僕の周囲では、女子の方が噂話の広まり方が早い。同じ話題でも、男子の拡散の速度は緩やかだ。この拡散速度の差は、女子の間でまず速報として流れた噂話を、遅れて知った男子が蒸し返すという形で長引かせる結果に繋がっているのでは、と僕は考えているのだがこれ以上はただの蛇足なので閑話休題。

 なにが言いたいかというと、噂話は男女どちらもするものだが、最新情報を知りたいなら女子に聞いた方がいいということだ。しつこく繰り返すが、あくまで僕の周囲に限った話なので、世界的に通用する話なのかは知らない。

「…………」

「でね、先輩がうっかり先生の荷物をぶちまけちゃって──」

 がらんとした、放課後の教室。西日の入らない教室は薄暗く、しんと静まりかえっている。遠くから、部活動に励む生徒たちの声が微かに聞こえていた。

 授業を終えた後、僕は忙しく部活動へ向かう──あるいは帰宅する──クラスメイトたちを見送り、教室に残った。一人ではない。もう一人、クラスメイトが居残っている。僕が頼んで、居残りをして貰った。

 クラスメイトの女子である。名前は──ちょっと失念したが、明朗快活で社交的な性格の女子である。運動部に属しているためか、横だけでなく縦方向にも交友関係が広い。そのおかげで、とにかく女子生徒の間で囁かれる噂話に聡い人物だった。

 僕はつい今し方まで、彼女から先生に関する情報を引き出していた。いや、話を振ったらあとは彼女がどんどん喋ってくれるので、それを聞いていただけなのだが。たまに口を出して話を誘導するだけで、必要な情報はだいたい聞き出せてしまった。今はもう、惰性で彼女の話に相槌を打っている段階である。

「ねえ、なんで急に先生のこと聞いてきたの?」

「うん。…………うん?」

 突然そんなことを聞かれたものだから、惰性で聞いていた僕は上手く対応できなかった。

「なんでって……特に理由はないけど」

「嘘だぁ。アンタ、普段はこういう話に全然興味ないじゃん。わざわざ聞いてきたってことは、なにかあるんでしょ?」

「なにもないよ」

「もしかして、幼なじみさんと関係ある?」

「…………」

 僕とレンズの関係が保育園時代から続くものであることは、同じ保育園、小学校に通っていた人間なら当然、知っている。彼女のような他の学校出身の生徒でも、それなりに交友関係の広い人間なら知っていておかしくない。そしてそれを知っていれば、僕の行動がレンズに関係することを予想するのも難しくない。難しくはないしおかしくないのだけれど、こうもあっさり看破されるとなんとも言えない気分になる。図星を突かれるとはこのことか、と妙に感心してしまった。

「ねえ、どうなの?」

 沈黙した僕に少し苛立ったように、彼女はこちらへ身を乗り出した。上目遣いにこちらを睨む。本気ではないらしく、その目には隠しきれない笑いと好奇心が浮かんでいた。

「レンズは関係ない」

「ふぅん? ホントかなぁ」

「本当だ」

「まあいいや。そういうことにしといてあげる」

 彼女はさっと立ち上がると、学校指定の鞄を肩にかけた。

「こんなことなら部活休むんじゃなかったなぁ。珍しくアンタが呼び出しなんてするから、なにかあるのかなってちょっと期待したのに」

「それは、悪かった」

「いいよ、別に」

 彼女は軽く笑うと、それじゃ、と軽やかな足取りで去って行った。僕はそれを最後まで見届けることなく、思索にふける。

 薄暗い教室とは対照的に、窓の外は明るい。風が吹くと木々がざわざわ揺れて、それが作る影が地面の上をざわざわと這い回る。もちろん、あれはただの影だ。僕が見る影絵とは違う。わかってはいるが、それでも影が動く様を見るのは少し苦手だった。大きな木々はもちろん、人間や動物の影も本当はあまり見たくない。けれどその一方で、目を逸らしている間にこっそり動いていたら──という不安もあって、見ないようにすることも出来ない。僕は明るい場所や晴れた日が苦手だった。

 僕が見ている影絵の正体は、いったい何なのだろう。

 何度となく繰り返した疑問が、蠢く影につられて顔を出す。

 一部の人間について回る、影絵のようななにか。姿形も大きさも人それぞれで、行動にも統一されたものはほとんどない。共通点といったら、影絵のように真っ黒であることと、あとは宿主である人間からそう遠くへ行くことが出来ないということくらいだ。逆に言えばそれくらいしか共通点はなく、あとはもう千差万別だ。だから、彼らの行動を見てなにかを知ろうとするのは難しい。彼らの行動が人間にどう作用するのかも、正確なところはよくわからない。こうだろうと想像することは出来るが、それはいつだって仮説止まりだ。それが正しいのかどうか、確かめる方法は今のところない。

「…………」

 ため息が口から出た。この疑問に答えが出たことはない。いつも、わからないことばかりが次々に浮かんできて、頭をいっぱいにしてしまう。

 考えたところで、答えなどないのかもしれない。

 いつも通り、半ば無理矢理に締めくくって、堂々巡りに陥りそうになる思考を断ち切る。

 それにしても、だ。

 クラスメイトの女子に図星を突かれたことを思い出して、僕は少し憂鬱になった。

 彼女の言うとおり、僕の行動の理由はレンズだ。それは事実なのだが。それを真っ向から指摘されると素直に頷けないのはなぜなのだろう。

 考えてみて思いついたのは、そもそも自分の行動原理が他人に筒抜けである事、それ自体が受け入れがたいのだろうな、ということだった。実際はそんなことはないのだが、心の中が覗かれているような気がしてしまう。あるいは、部屋を覗かれている感覚。携帯端末のデータが何処に流れ出ているのでは、という不安に近いかもしれない。ようは、僕のごく個人的な、プライベートな部分に赤の他人が踏み込んで来たような気がして、不快なのだ。僕は彼女のことを、そこまで近しい相手だとは思っていない。そういうことなのだろう。

 別に、嫌いではないのだけど。

 言い訳のようにそう付け足してみたけれど、不快感は拭えぬままだった。

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