いつも心に(私だけのヒーロー)

しょうわな人

第1話 やっちゃん

 私はいつも思う。貴方に会えて良かったと。


 貴方に会えてなかったら今の私は居ないと。


 だから、心からのお礼を言おう。


 有難う、私に会ってくれて。有難う、助けてくれて。有難う、有難う……


 1983年に僕はやっちゃんに会った。やっちゃんは明るくて、いつも僕を遊びに誘ってくれた。

 僕は大阪から、四国の愛媛に引っ越したばかりで、友達も居らず転校した先では関西弁が可笑しいと笑われて、いつしか喋らなくなっていた。


 そんな時にやっちゃんに出会った。やっちゃんは違う地区の子で、親の仕事が悪いから学校では無視されているって言ってたんだ。

 僕のお父さんはやっちゃんのお父さんの仕事を知っていたようだけど、僕には友達が出来たんだなと言っただけで、他所の親のようにやっちゃんと遊ぶななんて事は言わなかった。


 やっちゃんと二人で色んな遊びをした。川を上流に向かって歩いていったりもした。途中からコンクリートじゃなくなって、崖みたいな所を登ったりしたんだ。あの時は怖かったけど、先に上がっていたやっちゃんが声をかけてくれて、最後には手を引っ張ってくれたから、僕も何とか上がる事が出来たんだ。


 それからカブトムシも一緒にとりにいった。やっちゃんのお父さんが車を出してくれて、山の中を懐中電灯と虫網、虫かごを抱えて探しまわった。どっちが大きいのを捕まえれるか競争したりした。

 そのときにやっちゃんのお父さんから、


「学くん、ずっとヤーの友達でいてやってくれ」


 なんて頼まれたけど、僕は逆に言ってたんだ。


「オジサン、やっちゃんが先に僕の友達になってくれたんだ。だから、僕はやっちゃんがずっと僕の友達でいてくれたらいいなって思ってるんだ」


 そしたらやっちゃんのお父さんは笑いながら、そうか、そうかと言ってやっちゃんにずっと学くんの友達で居ろよなんて言ってた。


 中学校になって同じ学校になった僕とやっちゃんだけど、クラスは違っていた。その頃には僕もやっちゃんのお父さんがヤクザだって知っていたけど、やっちゃんとは友達だった。

 けれども、他に誰もやっちゃんとは友達になろうとしなかった。小学校の時と同じで、クラスのみんなからは無視されてたようだ。

 僕はそんな事は気にしないで、休み時間になればやっちゃんのクラスに行って、やっちゃんと話をしていた。

 そんな日が続いたある日、やっちゃんのクラスがやけにザワザワしていると思ったら、やっちゃんが先生に連れられて出てくる所だった。


「やっちゃん、どうしたの?」


 僕がそう聞くと、先生が


「君は三條くんだね。君も友達は選びなさい」


 なんて言ってきたから、思わず言ってしまったよ。


「先生、先生がそんな言葉を言うとは思いませんでした。それは日頃、僕達生徒にしてはいけないと教えている差別的な言葉ですよ」


 そう言ったら鼻白んだ様子で、


「ふん、君もヤクザの子と遊ぶような子だから、屁理屈だけは上手いな」


 なんて言ったんだ。気がついたら僕はその先生を殴って、やっちゃんに


「行こう、こんな学校で教えてもらうのは人として恥だよ、やっちゃん」


 そう言ってた。うん、思えば僕も若かった。それから何があったのか僕はやっちゃんに聞いてみたら、クラスの子がやっちゃんの所に来て、どうやら僕の悪口を言ったようだ。それで、カッとなったやっちゃんが、その子を殴ってしまったんだって。


 僕は笑いながら、やっちゃんに


「馬鹿だなあ、やっちゃん。そんなヤツには言わせとけば良かったんだよ」


 って言ったら、


「お前も一緒だろ。しかも、先生を殴るなんて」


 ってブーメランが返ってきたよ。それからは大変だったようだ。僕のお父さんとやっちゃんのお父さんが学校に呼ばれて、僕達二人もついて行ったんだけど、僕のお父さんは一貫して息子が正しい。良くやったと帰ったら褒めますよって言い続けたんだ。やっちゃんのお父さんも、さすが俺の息子だ、自分じゃなく友達をバカにされたなら怒って当然だって先生に言って、そのまま僕達は帰ってきたんだ。


 何故か、僕のお父さんとやっちゃんのお父さんが意気投合して、そのまま飲みに出かけたから、その日はそのまま、やっちゃんと二人で僕の家で遊ぶ事になったよ。

 

 そして、翌日から二人とも何食わぬ顔で学校に行ってみたら、やっちゃんが殴った子と、僕が殴った先生が揃って僕達二人に謝ってきたんだ。僕とやっちゃんは訳がわからなかったけど、謝罪を受け入れたよ。

 後で聞いた話だよ。やっちゃんのお父さんと、僕のお父さんが、その子と先生の家に二人で怒鳴り込んだらしいんだ。全く、大人気ないよね。


 それから、高校生になった僕とやっちゃんだったけど、お互いに彼女も出来てダブルデートも良くしたんだけど、彼女と二人で過ごす事も多くなって、中学校の時ほど、一緒には遊ばなかったんだ。

 けれども、時には夜遅くまで電話をして彼女に対する愚痴を言い合ったりなんかして、変わらず友達だった。やっちゃんのお父さんが組の解散届を警察に出したのも、この頃だった。


 そして、そのまま組としてやったいた仕事を堅気かたぎの仕事として会社化して、やっちゃんのお父さんは退いた。その後、警備員の仕事をやっていたよ。




 高校を卒業した私は、何とか就職する事が出来た。いつも一緒に遊んでいたアイツも違う会社に就職した。お互いに高校の頃の彼女とまだ付き合っていて、そして、私が二十二歳で彼女と結婚。アイツが二十五歳で彼女と結婚した。


 私が一男一女の子宝に恵まれ、アイツは一男三女に恵まれた。お互いに仕事が忙しかったが、月に一度はどちらかの家で宅飲みをしていた。そして、その時にウチの長男が白血病を発症した。


 私も妻もドナー登録をしたけれども、ダメだった。そして、アイツがドナー登録を既にしていて一致したのを知ったのは、長男の手術が無事に終わり、何年も経ってからだった。

 何故なら、ドナーの方には会えないから。

 

 長男が病気だった時には勿論宅飲みなんてしてなかったけれど、手術が無事に終わり半年経ってもう大丈夫だと言われた時に、ウチで快気祝いをするからとアイツを誘ったら、体調が良くないから延期してくれと言われた。その時はそうか、良くなったら教えてくれと言っただけだった。


 そして、何年も過ぎて長男も名前も顔も知らないドナーさんに毎年感謝の手紙を送っていたが、既に二十歳を超えて社会人になっていた。


 そして、コロナだ。アイツがコロナになったと聞いて、私は気が気でない日が続いた。どうか無事に回復してくれと祈ったけれども、願いは虚しく、アイツの奥さんから息を引き取ったと連絡があった時には呆然としてしまった。

 そして、遺体も既に火葬されたそうだ。遺骨が家に帰ったら、参ってやって下さいねと言われて、私はいても立っても居られずにアイツの家に向かっていた。


 仏壇と位牌だけがあり、遺骨はまだ帰ってない状態で私は泣いた。

 その時に一通の手紙を渡された。


 

※やっちゃんへ


 何か体調が悪すぎて嫌な予感がするからこの手紙を書いておきます。


 やっちゃん、今までずっと友で居てくれて有難う。俺はやっちゃんが友で居てくれたから、ここまで頑張ってこれたんだ。我が家に離婚危機が訪れた時には迷惑かけたね。ゴメンね。


 そして、哉太かなた君が元気で仕事に行けるようになって良かった。ドナーとして心からホッとしてるよ。毎年、哉太君から届く手紙が楽しみだったけど、来年からはもう読めないかもなぁ。


 最後に、やっちゃんにお願いします。俺がもしも死んだら、妻や子供たちを見てやって下さい。って言ってもどうしようもなくなってる時だけ、何とか手を差し伸べてやってくれるかな? 

 友として、図々しいけど最後の願いです。お願いします。


 俺にはやっちゃんが友でありヒーローでした。


 私は号泣した。違う、私にとってはまなぶこそが友でありヒーローだった。いつも心に学がいた。中学の頃に心無い先生の言葉に傷つきそうになった時に、学が先生をいきなり殴って言ってくれた言葉に私はどれだけ救われたか……


 それに、息子まで助けられていたなんて。何で黙っていたんだ。いや、分かってるんだ。学は私が負い目や負担を感じない様に黙っていたって……


 約束するよ。もしも困っていたら、ちゃんと手を差し伸べるって。


 だから、もう一度だけ幽霊でも良いから私に会いに来てくれ、学。ちゃんと礼を言わせてくれ……





 私には親友でもあり、ヒーローでもある友の笑顔がいつも心にある。





  

 

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