温泉郷の土産屋のほこりっぽさ

島尾

わびしさ

 雪が舞う中、枝には葉が一枚も無い広葉樹。


 雪が積もっていた。それを注意深く観察するために近寄ってみると、層状組織が発見された。それがだ。土を巻き込んで降った日、土を巻き込む隙も与えぬ威力でごうごうと降った日を表すのだろうか。


 今回訪れたのは鳴子温泉である。こけしが有名である。芥子けしから、こけしと呼ばれ、「こげす」とも呼ばれる。「こげす」だなんて、「し」と「す」が区別できにくい東北訛の特徴であるし、「げ」も東北的で、「クッ」と発音するほど温暖でない極寒の地ゆえに「ぐ」という潰れたような発音でエネルギー節約を図っていると予想でき、これからは私も「こげす」と呼ぼうかなと思わなくもない。


 そんな、こげす。そして温泉。


 これらは、極めて厳しい山奥の冬の、雪ふきすさび手足がシビ凍り、もはや家から一歩も出たくないどころか布団からも一歩も出たくない低温の存在が前提となっているだろう。


 こげすの絵付けは、子供の顔であり、昔は子供が遊ぶ人形の役割を果たしていたという。冬、子供にとっては厳しい環境下、人々は子供のことを思っていたのだろう。遊ばせ、エネルギーを与えようとしたのでは? 温泉は43℃という、高めの温度であり、入ると肌が痛いレベルで、思わず口から吐息が漏れ出す。

 いずれも厳冬をしのぐ術である。低温、そして雪は自然が見せる牙の色であり、人間にとっては脅威である。緑の世界を白に変える侵略者だ。おそらく設備の整っていなかった大昔、凍死する哀れな方もおられただろう。そんな中、人々は心身ともに暖を求めていたのだろう。


 ここでもう一度書く。憎き厳冬の低温や雪があってこそ、温泉やこげすが誕生しえたのだ、と。




 今の温泉郷は、ゴージャスな建物や土産物店で賑わっている地区もある。それは現代技術の驚異がもたらした恩恵であろう。今の人は雪を見ながら露天風呂を楽しめるが、昔の人は室内で温泉に入るほうが温かくてよっぽど良かったに違いない。8階の展望フロアから白い雪山を見て「わぁきれい」と感動する今の人とは対照的に、大昔の人はきっと「おそろす」と言って目を背け、客室または温泉の内湯に向かうだろう。


 


 わびしさを、見た。


 入浴可能な時間より早く来てしまったので、ぶらぶらと街を散策していたときのこと。道端を歩く人は少なく、数少ない歩行者は全て老人だった。コロナの影響か、シャッターが閉まった店が多かった。とある小橋から見る川には、まだ雪が残っていて、厳冬の名残ともいうべきなんとも言えない中途半端な時間が流れていた。

 私は少し遠いところにアーチ橋を見つけた。そこまで行ってみようと思って行ってみたが、雪にはまって足を取られ、最終的にはアーチ橋に山のような雪が積もっていて、とても渡れる状況ではなかった。諦めて、再び雪にはまりながら戻った。


 ところが再び小橋を過ぎて元来た街に戻ると、さっきまで下りていたシャッターがどこもかしこも上がっていた。活気が急に出たように感じた。そして温泉のあるホテルに向かうと、観光客が興奮して嬉しさの込み上げるような声を出していた。


 温泉は、先ほど書いたように、肌が痛くなるくらい熱かったので、何度か半身浴に切り替えながら全身浴をした。


 そして温泉から出てロビーに戻ると、30人くらいの人間の列ができていた。皆一様に宿泊客だったのだろうか、浮ついた心地が声に漏れ出していた。


 そんな客たちを背に、私はホテルを後にした。すなわち入口の自動ドアが開いたわけであり、寒い風が打ち付けてきたのでダウンジャケットのジッパーを首まで上げた。




 

 思うことがある。


 温泉やこげすで町を活性化させて、観光収入を得て、皆が金銭的に安定して、幸せになるならば……

 大前提である、あの脅威の存在を忘れてしまいはしないか? と。


 観光を否定したのではない。


 観光客の在り方を、少し否定してみたのである。

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温泉郷の土産屋のほこりっぽさ 島尾 @shimaoshimao

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