彼は私だけのヒーローでありたいらしい

卯野ましろ

彼は私だけのヒーローでありたいらしい

 今日、数学の授業は自習になった。担当の先生がいないこの時間は、用意されているプリントの問題を解いて提出するように、とのこと。

 ……よし。

 とりあえず全問解けた私は、


「ひとちゃん助けて~難しい~」

「あたしも全然ダメ!」


 教える側となった。私の席に友達が集まってくる。序盤は静かだった教室が、少しずつザワザワしてきた。

 そして人が集まっているのは、


「やっしー、もう解けたか?」


 彼も同じだった。


「どれ?」

「全部!」

「おお大変だ」

「オレも全滅~」 

「よし、頑張るか」

「やっしーが答案見せてくれれば良いよ」

「ははっ、それはダメ」


 頼られて嬉しそうな姿に、見ている私も嬉しくなる。ああ、そういうとこだよ。


「あの、近岡ちかおかくん……ここ分かる?」

「ん、見せて」


 そうだよね、やっぱり優しいから頼りたくなるよね……あ。


「ひとちゃん、ひとちゃん」

「あ、ごめんね! 何?」

「ここ教えて!」

「あ、それはね……」





 数学の次は体育。プリントで疲れた頭をリフレッシュするのには最適。それに今日は、


「それぞれ好きな球技をやって良いぞー」


 自由な日だから楽しい時間になると思う。ちなみに私たちは、バドミントンをしている。四人でダブルス。


「ひとちゃん強い~」

「えー、そうかな……あ!」

「へ? どうしたの……」


 私は持っていたラケットを手放してダッシュした。なぜなら、


「ひとちゃん!」


 隣に立っている友達の元に、豪速球が向かっていたからだ。男子数人がドッジボールをしていて、そのボールが私たちの元に流れてきたらしい。


「はー……間に合った……」


 でも大丈夫。友達は無事だった。私が彼女の前に立って、ボールを蹴り飛ばしたからだ。


「あ……ありがとう、ひとちゃん!」

「何、今のキック……すご!」

「超イケメンじゃん!」

遠塚とおづかさん、かっけー……」

「アクション女優みたい!」

「あるいは美し過ぎる格闘家!」


 まさかの拍手喝采。大勢に注目されて恥ずかしくなった私は、逃げるように蹴ったボールを追い始めた。


「イタッ……!」


 けれど私の駆け足は、すぐに止まった。あまりにも強い衝撃を受けたことからか、右足が痛み出した。


「ひとみ!」


 その場に座り込んでしまった私の名前を呼んだのは、


「近岡……ひゃっ!」

「誰かボール拾ってくれ!」


 お約束のように彼だった。いつだって彼は、ヒーローのように私のピンチに駆け付けてくれる。


「先生、保健室に行ってきます!」

「お、おう……」


 彼に返事をする先生は戸惑っているようだった。それは他の人たちも同じみたい。その理由は私たちにある。


「お、お願い……下ろして近岡……」

「悪いけど、保健室に着くまで我慢してくれ」

「で、でも……」

「歩くと余計に痛むぞ。恥ずかしいなら、そのままでいて」

「……」


 私は彼に、お姫様抱っこをされてしまったのだ。ますます恥ずかしくなった私は、その赤い顔を両手で覆っている。もう怖くなって、周囲の人たちの表情を確かめたいけど確かめられない。




「もう誰もいないよ。今は授業中だから……廊下にいるのは、おれたちだけ」

「うん……」


 優しい声を聞いた私は、顔に被せていた両手を外した。本当に私たち二人きりで、その状況にもドキドキしてしまう。学校には多くの人がいるはずなのに、彼と私の二人だけの世界に感じられる。


「遅くなったけど、ごめん」

「えっ?」


 ほんの少し幸せに浸っていると、次は重々しい声が耳に入ってきた。


「どうして優士やさしが謝るの?」

「あのボールを投げたの、おれなんだ」

「あ、そうだったんだ。やっぱり強いんだね、優士……」

「……ごめん……」


 私は純粋に強さを褒めたけれど、どうやら彼は違う受け止め方をしている様子。


「あっ、あの! 嫌味じゃなくて! 本当に強くて、すごいなって意味で……」

「そうか……。でも、ひとみに怪我をさせてしまった。ひどい奴だよ、おれは」


 私が焦って説明しても、まだ優士の声は元気がない。


「ひどくないよ。気にしないで」

「ひとみを痛め付けて、気にしないわけにはいかないよ。それと……」

「それと?」

「数学のとき、嫌な気分だったよな。ごめん」

「え! 何で?」


 予想外の言葉に驚いた。数学の時間、私は不愉快になった覚えは全くない。

 あっ、もしかして……。


「おれ、ひとみ以外の女子に……」


 やっぱり。

 あのとき目が合ったから、ピンときた。


「それはダメだよ優士。困っている人は、ちゃんと助けてあげなきゃ」

「え……」


 私の返答が意外だったのか、ここで優士の歩みが止まった。彼のパッチリとした目が、さらに丸くなっている。かわいらしくて、私は思わず笑ってしまった。


「あのとき私は優士が、みんなに親切に接している姿を見て喜んでいたんだよ。そんな優士を好きになって良かったなぁって、ただしみじみしていただけなの」


 向き合っているのは、相変わらずの表情。唯一の変化は、ほんのり赤く染まっていること。


「……私以外の人に冷たい優士なんて、絶対に見たくないよ……」


 照れる優士を見ながら、私は話し続ける。


「すぐに私が目を反らしちゃったのは、名前を呼ばれたからだよ。大丈夫、本当に怒っていないからね?」

「ひとみ……」


 そのとき私の体を、ちょっとだけ優士が動かした。


「えっ? 優士……」


 それは彼が、私に口付けたかったからだった。


「……」

「……」


 見つめ合う私たちは、お互い頬が真っ赤。初めてではないのに、まだまだ二人はキスに慣れていないのかもしれない。


「ひとみ」

「は、はい!」

「おれを好きになってくれて、ありがとう」

「優士……」

「でも忘れないで。おれがこういうことをしたいと思うのは、ひとみだけだから」

「……うん、ありがとう」


 その真剣な表情が、かっこよくて胸が高鳴る。堪らなくなった私は、お返しのように優士の頬に口付けた。そして彼は再び、かわいらしくキョトン顔。


「ひとみ……!」

「ふふっ、大好き!」


 優しい彼は、みんなのヒーロー。そんな彼が私は好き。でも彼は、私だけのヒーローでありたいらしい。そんな彼も私は好き。

 もう色々な意味で、私だけのヒーローになっているとは思うけど。




 ひとみを保健室まで送り、おれは体育館へ戻っている。さっきまで二人でいたから、一人で歩いているのが淋しい。

 それにしても濃かった。

 濃い数分間だった……。

 お姫様抱っこ(おれは「する側」だが)、学校で二人きりの空間、そしてキス。お姫様抱っこは久々で、ひとみは今回も恥ずかしがっていた。中学で柔道部の練習中に、ひとみが生理痛で倒れたときと全く同じ反応だった。

 おれは、ひとみのヒーローになれているのかな。

 なれていれば嬉しいのだけれど。

 ……。

 それにしても良かったな、ひとみの上段蹴り! 

 不謹慎だが実は、おれはひとみに空手の才能を見出だしていた。稽古を重ねていけば、ひとみは絶対に化けるぞ……! おれが投げたボールなんて、もっと鍛えたらパーンと割れる! ひとみと組手したら、すごく楽しいと思う。柔道も楽しかったし、これは想像できる。

 ……でも、ひとみが殴られたり痛そうにしているのを見るのはキツいな……。あれだけ投げ飛ばしていた、おれがそう感じるのは変かもしれないが。

 うーん……。

 ひとみに空手をやらせたいけれど、やらせたくもない。

 かっこいいひとみも、やっぱり好きなんだよな~……複雑。

 おれは、ひとみの蹴りを見て惚れ直したのだった。




※以下、二人がいないときの体育館の様子

「まさか授業中、あんな素晴らしいものが見られるとは……」

「それは良かったっすね、先生」

「ひとちゃんイケメンだったな~」

「でも近岡くんの前では、すっかりお姫様だったね!」

「カップルで、イケメン炸裂か~」

「ひとちゃん、お姫様にも王子様にもなれるのね……」

「かわいい、かっこいい、そして賢い……」

「ひとちゃん3Kか!」

「ツヨカワ女子、最高じゃん!」

「ひとちゃんは柔道も強いからね~」

「やっしーも強いし、二人が喧嘩したら大変そうだな……」

「二人共ラブラブだし、そんなことはないんじゃない?」

「あれだけ甘々なのに、二人揃って武闘派なんだね……」

「中学時代、部活でガチバトルしていたらしいぜ」

「しかも遠塚さん、やっしーに絞技で勝ったこともあるとか」

「す、すげーな」

「ほー。それなら夜の寝技も……イテッ!」

「上品な二人で、下品なこと考えるな!」

「じゃ、じゃあ畳の上だけでなく、ベッドの上でも……」

「だから、やめろっての!」

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