好きそれぞれ

名苗瑞輝

好きそれぞれ

 第一印象は覚えていない。強いて言えば無味乾燥、平々凡々。印象に残らないことが印象的だったのかもしれない。それが私の、もしかすると世間全体の彼に対する認識なのだと思う。

 私の中でそれが覆ったのは、ほんの些細な、けれど私にとってとても大きな事件がきっかけだった。

 その日私は遅刻寸前で慌てていた。目の前に同じ学校の制服を見かけて一瞬安堵したけど、時間を見るとギリギリなことに変わりはなかった。

 やがて前を歩いてた彼との距離は無くなって追い越そうとした。けれどその瞬間腕を引かれて、それは叶わなかった。


「ちょっ――」


 何するの、と感情的な声を上げるよりも、私の前に車が止まる方が早かった。


「危なかったな。この辺りは停止線で止まらない車が少なくないから気をつけた方が良い」


 彼がそう言い終える頃には、止まっていた車は走り去っていた。別に私をきそうになったから止まったわけじゃないらしい。『止まれ』の文字がもう少し奥の方に見える。

 命の恩人、なんて言うと大げさかもしれないけど、私は彼に助けられたらしい。


 彼が私市きさいちという名前で、同じ一年だけど別のクラスだということを知ったのは、それから少ししてからだった。

 あまり目立たないようで、名前を知るのには苦労した。


「そういや、結奈ゆなの好きな人とか聞いたことないよね」


 教室での唐突なネタ振りに少し辟易する。そんな話の流れだっけ。

 皆の視線がこっちに集まる。


「特に居ないけど?」

「あたし知ってるよ。私市、だっけ?」


 そう言うと麗楽れいらは口角を上げた。知ってて話題に上げたな、これ。

 話題を逸らそうにも、他のみんなの興味が完全に私のことになっていた。観念するしかなさそうだ。


「誰それ、どんな人? カッコいい?」


 ひときわ興味を示した来海くるみに対して、麗楽は「あんな感じ」と教室の隅の方を示した。

 そこに居たのはもちろん私市ではなくて、寝てるのか起きてるのか、机に突っ伏して休み時間を過ごすような、目立たない奴だ。名前、なんて言ったっけ。

 もちろんこいつは全然関係ないし、興味すら無いんだけども、それを見た途端に輝いていた来海の目が一瞬にして闇に包まれたように感じた。


「なに結奈、あいつの事が好きなの?」


 問いかけてきたのは来海ではなくて修斗しゅうと。遠慮なしにこの女子トークに混じってくる。


「いや、ありえんし」

「だよな。あんな陰キャは釣り合わねえだろ」


 別に教室の隅で寝てるあいつは関係ないんだけど、麗楽が例えに出したせいで、まるであいつが好きみたいに話が進んでるのがなんかムカつく。

 けど、麗楽の例えはそんなに外れてもなかった。私市の事を調べたときに、彼のことを知ってる人が少なくて苦労させられたからだ。普段の様子も、さすがにあんなじゃないけれど、一人で大人しく本を読んでいるタイプ、らしい。

 だから結局のところ、彼のことを否定されたようで、苛立ちの原因はそこにあるんだと解った。


「そういう言い方する方が嫌い」

「悪い悪い」


 修斗はそう言うけれど、まったく悪びれた様子が感じられない。

 そんな修斗の態度は論外だとして、みんなから賛同が得られないのはしょうが無いと私は解っているつもりだ。

 何なら麗楽が話題に出したのも、自分の好みの範疇にない相手だから、さらし者にするような感じもあったに違いない。彼女のタイプは大和やまとみたいなイケメンなんだから。

 けれど、普段は冴えないけれどここぞの場面で頼りになる、そんな影のヒーローに私は一目惚れしたのだ。それを簡単に理解して貰うつもりは全く無いのだ。

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好きそれぞれ 名苗瑞輝 @NanaeMizuki

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