ねぇ、笑って。
おくとりょう
部屋が暗くても、外
は明るいから。
目蓋を開けると、部屋に外の光が射し込んでいた。きっともう、とっくにお昼なんて過ぎていて。
青空の下、誰もが働いている時間。
深く息を吸うと、埃っぽい空気が鼻腔を満たす。
『ひっでぇ顔だな』
上を向くと、マロがいつもように眉間に皺を寄せ、ぷわぷわ宙に浮かんでいた。
(どうでもいいじゃん。ほっといてよ)
私は口の中でそういうと、布団を被って目をつぶる。
『やれやれ、今日もお休みってわけか。失恋したあとはいつもそれだな』
彼は焦げ綿みたいな声でクスクス嗤う。出会った頃から変わらない、どこか苦くて甘い声。
……ふと彼と出会った日のことを思い出した。
――たしかあれは……十年一ヶ月と十日ほど前のこと。あの日も空は突き抜けるように晴れていて、そのときも私が失恋したあとだった。
手元には熱心に書いたラブレター。それは綺麗に畳んで捨てられていた。
雑然としたゴミ箱の中。四つ折りになった小さな紙。飲み残したコーラが垂れた真っ白。それが何なのか、一晩向き合って書いた私には一目で分かった。
近くには一生懸命選んだ可愛い包装紙も紛れていて、「あぁ、チョコは食べてくれたんだな」って思った。同時に、ツーッと熱いものが私の頬を
そうやってぼんやりと突っ立っていたとき。私はマロに話しかけられたんだ。
『おい、ブス!何、ゴミ箱を漁ってんだ』
ゴミ箱より五十センチほど上辺り。手のひらサイズのふわふわした何かが宙に浮かんでいた。濃いめの雲みたいで、薄めのマシュマロみたいにも見えるそれには、目も口もあった。
しゃべる煙なんてフィクションみたいだし、失恋したあとにブス呼ばわりなんて酷すぎると思う。……思うのだけれど、いっぱいいっぱいだった当時の私は、びっくりすることも怒ることも傷つくこともなかった。……
私はただぼんやりとそれを見つめた。
『何だよ。見せもんじゃねーぞ。
言いたいことがあるなら、さっさと言えや』
低く甘ったるい声。何故だかキャラメルを思い出しながら、私の口は苦い想いをポロポロこぼした。ずっと気になっていた同級生の男の子のこと。一生懸命、チョコケーキを焼いたこと。気持ちを伝えるのが恥ずかしくって手紙をつけたこと。
『……丁寧に畳まれたその汚ねぇ紙がそうか?』
返事をしようとすると、また何かがこみ上げてきて、溢れそうになって。……私はただ黙ってうなずいた。
『……フン』
その喋る煙は小さく鼻をならすと――パッと見、彼の顔に鼻はないようだけど――、突然はすぅーっと空気を吸い込んだ。ほんのり紅く膨れて、甘い香りをぶわぁーっと辺りに撒き散らす。
胸を満たす甘い香り。それは喉の奥を掴むような、目の前がくらくらするような濃厚さで。私は気持ち悪くなって、吐いてしまった。
『……どうだ、すっきりしたか?』
口いっぱいの酸っぱい味にしかめて顔をあげると、そこにはすごく自信ありげな顔の煙がいた。……意味がわからない。
慰めてくれるのかと、ほんのちょっぴり期待していたのに。ただ妙な匂いを押しつけられただけだ。
『俺は何にも言いたくねぇ。
だけど、お前を応援してやる。感謝しろ』
頭がずーんと痛くなって、大きくため息をついたとき、後ろから友だちが駆けてきた。
「わっ!大丈夫?!」
「うん、ごめん。ちょっと気分悪くなっちゃって」
そう返事して振り向くと、煙はどこかに消えていた。
あぁ、幻覚だったのか。そう思って、私は現実へと帰った。酸っぱい匂いの満ちた廊下へと。
……と思っていたのだけど。
『何、愉快な顔してんだよ』
ふわふわの身体を揺らめかせながら、マロは私の顔を覗き込んだ。甘い香りが部屋にじんわり広がる。
彼は私が落ち込むといつも現れる。名前はないらしい。甘くてふわふわでマシュマロみたいで、偉そうなので、「マロ」と呼んでいる。
『別にいつでも吐いてもいいんだぜ』
意地悪そうにニヤッと笑って膨らんだ。
『片付けるのはお前だからな』
愉しそうに言う彼にしかめっ面を返しながら、私はもうひとつあのときのことを思い出した。
私は手紙をあんな丁寧な四つ折りにはしていない。
……。まぁ、今さら何も分からないのだけど。
急に私は濃いめコーヒーが飲みたくなって、電気ポットに水を注ぐ。ニヤッと笑うマロは私の周りをぐるっと回ると、煙のように薄れて消えた。ボヤけた彼の笑顔を吸い込むように息をして、私は電気ポットの灯りを見つめた。
……そろそろ雨戸を開けようか。私が吐こうが吐くまいが、空は曇るし晴れるだろうから。
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