掌編エッセイ・『私だけのヒーロー』

夢美瑠瑠

掌編エッセイ・『私だけのヒーロー』

 あまり年齢が、というか年代、世代があからさまになるようなことは避けたいという中高年後期?のおっさんなのですが、リアルで何かしら内容が伴う、まとまった、まあ記録的な価値だけでもあるようなことを書こうと思うとある程度プライベートをさらさざるを得ないのはしょうがないかなとも思う。


 僕の生まれたのは最初の東京オリンピックが開催された年の前後で、東海道新幹線の開通ともほぼ同時期です。万国博覧会や高度経済成長の前夜。で、新幹線「ひかり」とか「こだま」のあの丸っこい鼻の大きい横顔?がらアイデアを取って誕生した、当時にものすごいブームになったスーパーヒーローがいる。


 誰あろう、それが「ウルトラマン」である。


 僕の少年期は、ほぼ「ウルトラマン」で埋め尽くされていた。

 ウルトラマン漬け、ウルトラマン尽くし。大げさに言うとそんな趣でもあった。

 ウルトラマンや怪獣のフィギュアをたくさん集めていた。散逸したそれらが今、全部残っていればオークションで一財産できるくらいに。浩瀚な怪獣図鑑というようなものも何冊も持っていた。もちろん怪獣の形状や名前は全てすっかり暗記していた。

 駄菓子屋で20円で藁半紙を20枚買ってきて、そこにいつも怪獣の絵を詳細に描いていた。

 自分の名前の字を覚えるころに、すでに「怪獣」という字は書けたのです。

 が、そういう熱狂的なファンが当時はたくさんいて、テレビの視聴率とかもすごかったと思う。

 〽むねーにつけーてるマークは流星 自慢のジェットで敵を撃つ 光の国からぼーくらのために きーたぞわれらーのウルトラマン

 そういう主題歌も今でもフルコーラス歌える。

 カラータイマーが点滅しだしてから初めて使うwスペシウム光線、とか八つ裂き光輪、などという必殺技も脳内にありありとエフェクトのイメージがあります。

 ハヤタ隊員がよく落とす「ベータカプセル」なんかのフォーマットも懐かしい。 


「ウルトラマン」や「セブン」は、ゴジラの流れをくむ「巨大特撮ヒーローもの」で、その後も亜流が沢山出た。「ミラーマン」、「スペクトルマン」、「マグマ大使」、「ジャイアントロボ」とか、どれも個性があって面白かった。懐かしいなあ。

 「ウルトラマン」自体にも次々と続編、兄弟編が作られて、最後には「ウルトラ7兄弟」ということになって、「ウルトラの父」、「ウルトラの母」まで登場した。

 この「ウルトラの母」が乳房が膨らんでいたりしてみょうになまめかしく、なんだか自分の児童期のセクシーシンボル?みたいにヰタ・セクスアリス的に特別な思い入れがあったりもする。

 子供たちの心をつかむのに長けている、才能のあるデザイナーとかがそういう秀逸なイメージを造形したのだろう…

 

 「ウルトラマン」が流行ったころは、日本のSFの揺籃期、黎明期で、「ウルトラマン」に、個人的に好みの、昔のSFめいた物語や設定が多かったのも時代を反映していて、そこもたまらなく懐かしいのです。当時は皆テクノロジーの未来を信じていて、それで画面にもどこかに楽天的な明るさがある。


 今の「エヴァ」とかサイバーパンクなアニメを見慣れた子供たちが「光の国」などという設定を見たら、あまりに能天気で牧歌的で、「お花畑ヒーロー」とか「ウルトラマン」は揶揄されるかもしれない。


 実際、今でも「ウルトラマン」は、あまりに正攻法の勧善懲悪なので?よくパロディや笑いの種になったりしている。

 しかしそれはそれだけ「ウルトラマン」の登場した時の強烈なインパクトとか熱狂的な支持とかが群を抜いていたことの証明でもある。


 「私だけのヒーロー」などと言うのはちょっとおこがましいほどに人口への膾炙度も高くて、実際は超絶ポピュラーで、文字通りヒーロー界の「巨人」であろう「ウルトラマン」ですが、素朴な、真摯な、正義の味方として、まだ時代や世相が純粋で、楽天的だったころの、自分自身も素朴に幸せだったころの時代のムードと軌を一にしている正統SF文脈の救世主として、そういう意味で「ウルトラマン」は最初の最高の、そうして私にとっての永遠の唯一無二のヒーロ-なのであります。



<了>

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