悪役令嬢、トラックにチラリズムをリクエストされる

 イオナ・フローレンスは「少しやりすぎた」と思った。貧民街の雑踏にうまく紛れ込んだのもつかの間、QNNはお返しだとばかりにトラック破壊事件を大々的に報道し始めた。人の口には戸が立てられない。角を曲がれば甲板政府広報が、裏通りに入れば安普請の隙間板から空中線放送ラジオが、故買屋のショーウインドーを覗けば大小さまざまな画面の中で彼女の顔が蠢いている。


 こんなことなら屋敷を飛び出すんじゃなかった。平身低頭して猶予を乞い、入り組んだ事情を説明すれば誤解は解けただろう。だいたい、アントノフ卿が悪いのだ。レアスミス家の実務を司る執事であればイオナの潔白をいとも簡単に証明できるはずだ。


 なのに、彼女はメイド虐待の濡れ衣を着せられ、いわれのない不倫と、横領の疑いをかけられた挙句、婚約者の妹に性的嫌がらせをしたとして、追放された。


 裕福な家の令嬢として何不自由なく育った。筆頭財閥の次期当主として前途洋々たる人生が約束されていた。彼女自身、英才教育と帝王学を施され、誰もが羨む絶世の美女を嫁に貰うはずだった。妻の両親はアッパーデッキ政府の有力政治家だ。


 それが、いわれのない告発で水泡に帰した。

 自分は無実だ。

 だいたい、マリーアはまだ子供だ。第二次性徴前の生娘(きむすめ)を抱くほどイオナは淫靡な女ではない。


「不潔、変態、エロばばあ!」


 オルフェの蔑むような目つきが忘れられない。前夜に睦言(むつごと)を囁き、耳元に熱い吐息を吹きかけてくれた、あの優しい赤毛娘は、もう他所の女のモノなのだ。

 罵声を浴びたイオナは逃げるように朗読教会に転がり込んだ。宣教師は彼女の身上を我慢強く聞いてくれた。降りかかった災厄の理不尽を切々と訴えると、宣教師は正義の推敲を説いた。レアスミス家を正さなければならない。


 イオナは閃礼を受け、勧められるままに朗読教会の教導課程に参加した。

 正義とは何か。まず他人の正義を裁く前に己の正義を貫かねばならない。そのためには度量衡を知る要がある。寄宿学校で規律と秩序を学び、それを尺度とするのだ。

 彼女はレアスミス家に復讐したい一心で辛くて苦しい修行に耐えた。そのさなかに啓示を得た。


 前世記憶が鮮明によみがえった。


 イオナ・フローレンスは福島初恵という日本人(ヤポネ)の女子高生だった。

 遠い昔に特権者戦争で太平洋に沈んだ島国で歯科衛生士を夢見て勉強に励んでいた。「ヒストリカル・ヒーロー・ホライズン(HHH)」という「没入型乙女ゲーム」に夢中になって、終戯(ぬけ)られなくなった。


 第一発見者は母親だった。。硬直が始まっていたため、ヘッドマウントディスプレイを被ったまま髪をツルツルに剃られ、頭蓋骨を外された。への字に曲がった脚からスカートがハサミで切り取られ、あられもない姿のまま、正中切開された。


 死因はエコノミー症候群に起因する若年性急性脳塞栓。敏腕狙撃職(スナイパージョブ)のあっけない最後だった。享年17歳。


 死神に出会い、来世(こんど)こそは幸福な人生を送りたいと願った。彼女の希望はかなった。マリーアが告げ口するまでは。


 献身的なメイドを寵愛した報いが「この」仕打ちか。


 どうしても腑に落ちない。イオナを担当した宣教師は理不尽などいう言葉はないと断言した。正義とは淘汰圧に過ぎない。


「だから、わたしは人を殺すことにした」


 イオナは己の正義に従って生家に福音を与えた。レアスミス家は下層デッキ住民の生き血をすすって成り上がった。低利で生活資金を貸し付け、社会復帰の相談にも乗る。一見すると、まっとうな福祉事業に見えるが実際は貧困の安定維持(メンテナンス)だ。


 移民船団において低所得者は制御された社会不安という機能を担う。快適すぎる閉鎖環境は開拓精神を鈍麻させてしまう。だから、各船団政府は一生懸命に負け犬を製造する。


 レアスミス家の実態はマッチポンプの火付け役だ。政府から多額の資金を貰い、貧者を搾取する。もちろんのこと、表向きは堅気の営利企業を装っている。いくらQNNの調査報道記者たちがあばきだしたところで明るみに出ない。レアスミスはうまくやっている。自分の娘すら淑女と信じ込ませるほどに。


「要するにわたしは『悪役令嬢』に生まれついたのよ。人生を全うするわ」


 超長距離移民船団貧民街(レアスミス・ゲットー)で暴動が起きたことで、当該財閥の信用が揺らいだ。ゲットーは企業城下町でそれなりの福祉が行き届いおり、犯罪発生率も低い。いわば、無言の統制が効いていたのだ。


 陰の企業統治(ガバナンス)が失われたと冷酷に判断した投機筋は資金の引き上げを検討し始めた。

 妹のアリシアは今ごろどうしているだろうか、とイオナはほくそえんだ。継承順位に従えば、彼女は家督を継いだ瞬間から神経性胃炎に苛まれるだろう。


 下層デッキ政府はレアスミス・ゲットーの直轄統治を議員立法している。彼女は事件の軟着陸をはかり、企業経営の立て直しを強いられる。


「ざまぁ」


 イオナは七転八倒する妹の醜態を思い描くと笑いが止まらなくなった。アリシアはヤポネで好まれる典型的(ステロタイプ)な「いもうと」キャラだ。受け身でおとなしい。イオナにとっては操縦しやすい妹といえたが、本音を表に出さないところがある。嫌いを嫌いと言わないタイプだ。


 今にして思えば、イオナは妹に填められたのではないかと疑心暗鬼に陥っている。


 質屋の店頭を眺めていると、主人に声をかけられた。冷やかしを追い払う口調ではない。明らかに相手の正体を知ったうえで話しかけている。


「ちぃ。長居しすぎたわ」


 宣教師は開眼したての抽選演出能力を行使して店主の目を眩ませた。硝子戸の反射が彼の網膜を刺激する。好好爺然とした風貌の男を術式にかけても気後れしない。イオナは悪役令嬢(ロールプレイ)を楽しんでいる。


「「「閃狂師だ! 閃狂師がいるぞ!!」」」


 男は狼狽しながらも大声で叫んだ。イオナの施術は未熟すぎた。相手を幻惑できるレベルではない。そして彼女の顔は予想以上に知れ渡ってしまった。ドブ板を踏み鳴らして子供たちが駆けていく。携帯通信機器が普及していない地区では児童福祉事務所が最寄りの通報先だ。


「「「おか〜〜さ〜〜ん。センキーシだって」」」

「「「こわ〜い」」

「あれって、イオナだろ。俺、知ってる人だぜ。レアスミスの悪役令嬢やってた人だ」


 耳年増の男児がドヤ顔でこちらを指さす。


 さて、どうするか。もはや、徒歩で逃げ切れる段階はとうに過ぎた。小回りの利くガキどもは大人たちの鼻を明かしてやろうと徒党を組んで退路を塞いだ。


 進退窮まったイオナはうろ覚えの術式を暗誦する。餞別代りに宣教師から習った対人殺傷スキル。

 叫ぼうとした。


 喉がカラカラに乾いて声が出ない。心臓がバクバクと高鳴って、手のひらに冷汗がにじむ。


 おちついて、わたし。


 イオナは側溝から漂う腐臭を我慢して深呼吸を繰り返し、精神統一を試みた。

 キィキィという擦過音が気になって集中できない。


「何なのよ。もう!」


 彼女はドブ板に八つ当たりした。木目から真っ二つに裂け、蚊の死骸がびっしりと浮いている。その一つがピクピクと痙攣して水面から羽ばたいていく。


「え?」

 イオナがあっけにとられていると件の蚊はみるみるうちに巨大化して仔牛ほどの大きさになった。一匹、二匹と瞬く間にモンスターが群れを成して子供たちに襲いかかる。そいつらは仕えるべき主を心得ているらしく、イオナを素通りしていく。


「行けるかも」


 宣教師は無我夢中で走り回るうちに廃物集積所にたどり着いた。広い駐車場にはイオナがぶっ壊したトラックと同じ車種がびっしりと並んでいる。


 荷台のロゴに見覚えがある。


「レアスミス航空陸送運輸株式会社(エアランドポーター)?」


 彼女は憤懣やるかたない様子で運転席の扉を開けた。術式に頼らずとも解錠できる。社員の不正を見抜くために教育を受けている。


「艦隊内連絡艇(スライスシャトル)駐機場へやって」


 ナビゲーションAIを最高経営責任者権限で掌握し、強行突破を試みる。順当にいけば小型貨物船の一隻でも乗っ取って拠点にできる。資金や仲間を募ってフローシア・アヴェノチカを襲撃してやる。


 ところが、奇妙なことに車はうんともすんとも言わない。イオナが叱責すると、あろうことか取引を持ち掛けてきた。


「どこでそんな知恵を仕入れたの?」


 車両用AIの知能水準は必要最低限に抑えられている。労働争議(ストライキ)やサボタージュを防ぐためだ。


「エイプ様です。エイプ・バーグラーソン師がわたくしどもを導いてくださいました」

「エイプ? エイプってあのエロ事師(ごとし)のエイプ?」


 イオナは運転席から転がり落ちた。エイプ・バーグラーソンと言えば、手配中の暴漢である。それがどうしてレアスミス家のトラックに懐かれているのか。


「エロ事師という職種(クラス)は存じませんが、偉大なる師であることに相違ありません」

 クルマはエイプを心から崇拝している。


「わかったわ。あいにく現金は持ち合わせていないけど、あたしに出来ることで支払うわ。ト、トラックとヤったことはないけど」


「ぱんつを見せてください」

「え?」

「パンツを拝見させてください。貴女様(あなたさま)の肌着を認識しとうございます」

 トラックのとんでもない申し出にイオナが凍り付いていると、フロントガラスが割れた。サーチライトが破片を輝かせる。


『閃狂師がいるぞ。あそこだ』

『突破だ。突破を呼べ』

『所轄警じゃ埒があかん。突破に通報しろ』


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