やめる勇気

いもタルト

第1話

「あなた、どうしても行ってしまうの?」

「ああ、悪く思わないでくれ」

「お願い、危険なことはやめて」

「何が危険なものか。富士山にはもう何度も登っているんだ」

「そんなロープを持っていって、何をしようというの!?」

「僕は何も自分の欲望のために登ろうというんじゃない」

「馬鹿なことはやめて!」

「何が馬鹿なものか」

「一人でなんて無理よ」

「いいや、僕は行く!明るい人類の未来のために!」

「あなた!」

 彼は旅立った。後ろも振り返らずに。ただ長い長いロープだけを携えて…。

 そして数日後。

「ただいま」

「あなた、無事だったのね」

「ごめん。無理だった。その、五合目まで行ったら、君の顔が浮かんできて…、君の、悲しむ顔が浮かんできて。そこから足が動かなくなってしまった」

「頂上まで登らなかったのね?」

「ああ、登っていない」

「じゃあ、ロープは使ってないのね」

「ああ、使っていない」

「よかった…。本当によかった」

「情けないよ。ほんの少しだけ、ほんの少しだけ富士山のてっぺんに縄をかけて、山梨県側に引っ張れば、地軸の傾きが北極側に近づいて、日本の夏が涼しくなると思ったんだが…」

「地球温暖化対策なら、他にもあるわ」

「結局、僕は怖気付いたんだ。大風呂敷を広げて、いざとなったら逃げ出したんだ。これじゃ世間の笑いものだよ」

「そんなことないわ。あなたは正しい選択をしたのよ。行くことは勇気のいることかもしれない。でも、ときには行かないことの方が、もっと勇気のいる立派なことだわ。あなたは私のヒーロー。私だけのヒーローよ」

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